ロバート・ワイマント ゾルゲ 引裂かれたスパイ 新潮文庫 [日記(2006)]
ゾルゲ事件は1933年ドイツの新聞特派員として東京に潜入した赤軍諜報員リヒアルト・ゾルゲにより組織されたスパイ組織の摘発事件である。その最大の諜報活動のひとつは、ドイツのソ連侵攻情報を在日ドイツ大使館から取り、ほぼ正確な日時をソ連に流したことである。
この情報に接したスターリンは、ゾルゲを「日本のちっぽけな工場や女郎屋で情報を仕入れている<くそたれ野郎>」と、このドイツ侵攻の情報を無視した。
チャーチルは早くも4月にこの危機をイギリス大使を通じてスターリンに伝えているし、ゾルゲ以外にヨーロッパのソ連諜報員もこれを伝えているが、イギリス・ドイツ諜報部の謀略としてこれを退けている。自ら結んだ独ソ不可侵条約を信じたかったスターリンの独善であろう。
もひとつは、ドイツと同盟関係にある日本が中立を維持するであろう確度の高い情報をソ連に流したことである。日本人協力者である尾崎秀実を通じて、日本が日ソ中立条約を順守すること、石油等の資源確保にために南進策を遂行することと云う日本の戦略をソ連に流した。独ソ戦に於いて、日本の参戦はソ連の戦力を東西に分散させることであり、日本が中立を守ればソ連は安心してドイツに戦力を集中できる。この情報により、ソ戦はシベリヤの兵力を東に移動させ独ソ戦に勝利することができた。
諜報活動だけではなく、ゾルゲは政府中枢にパイプを持つ尾崎を通じ、日本の参戦を阻止しようとその不利を説き思い止どまらせようと政治工作までした(普通スパイは政治工作をしない)。ゾルゲと尾崎の一連の活動は、単なる諜報活動の枠を越えて反戦活動の趣がある。ゾルゲはコミュニストとしてソ連の国益を守るだけではなくヨーロッパをナチから、尾崎は日本を戦火から守ろうとした(この辺りは異論もあるだろうが、従容として絞首台に消えたゾルゲと尾崎への畏敬故に、二人が確信犯である以上そういうことにしておく。また、満鉄調査部で日中戦争の敗戦を予測した報告書<支那抗戦力著差>をまとめた尾崎にとって、当時の日本を裏切ることによって未来の日本に希望を託したのかもしれない。以上勝手な想像である)。 結局ゾルゲの東京諜報網は昭和16年10月に摘発され、尾崎とともに昭和19年処刑される。ソ連との無用な摩擦を避けたかった日本政府は、捕虜交換のかたちでゾルゲの釈放を打診するが、ソ連の返事は冷たいものであった、「リヒアルト・ゾルゲなる人物に、当方は心当たりがありません」。自国スパイの存在を公式には認めないソ連にとって、ゾルゲは迷惑な存在であり、ドイツ侵攻の警告を無視したスターリンにとっても「目の上のこぶ」のような存在であった。「スターリンの失態を見知った証人は、粛正されるか、やがてその運命に置かれているかのいずれかでしかない。ゾルゲはソ連を守りたいという熱い思いだけで動いていたのに、ドイツの占領から祖国を救った英雄どころか、偉大なる指導者を脅かした人間と見なされることになった。」1964年、スターリン批判とともにソルゲは国家英雄として復権し、モスクワには彼の名を冠した通りや学校があり、銅像が立ち、肖像切手まで発行されるようになったらしい。 ノンフィクションライターの西木正明の訳で非常に読み易く、詳しい脚注が多数配され分りやすい。スメドレーを始めゾルゲを彩る女性も華やかで楽しめる(スメドレーとゾルゲの関係など初めて知った!)。唯一の不満は、ゾルゲ事件のもうひとりの主人公・尾崎秀実の扱いである。近衛内閣の中枢まで入り込んだ尾崎の確信犯としてのスパイ像にもっと紙面を割いてほしかった。 ゾルゲ事件は2006年篠田正浩によって「スパイ・ゾルゲ」として映画化された。あとがきによると本書は映画の原作でないらしい。インテリジェンスとは何かが見えて来る →☆☆☆☆★
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