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奥泉光 『「吾輩は猫である」殺人事件』 [日記(2008)]


『吾輩は猫である』殺人事件 (新潮文庫)

『吾輩は猫である』殺人事件 (新潮文庫)

  • 作者: 奥泉 光
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/03
  • メディア: 文庫


 題名通り漱石の『吾輩は猫である』の後日譚をミステリーに仕立てたものです。主人公は当然の如く『猫』。漱石の猫は酒に酔って溺れて死んだ筈ですが、何と生きて上海に現れるのです。しかも『吾輩は・・・』と語り、その語り口も漱石そのままで驚かされます。

 例えば、『吾輩』が憧れの三毛子(猫)と再会し、三毛子に既に子供があることを知った時の描写です。
『凡そ浪漫的なる事とは遠くから憧れる所に其の本質はある。絶対に手の届き得ぬ存在へ憧憬の視線を投げ、決定的に失われし者を空想の裡に取り戻す所に浪漫はある。幻と知りながら其の幻を愛し切る精神こそが正しく浪漫的と呼ばれるにふさわし。・・・吾輩には三毛子の面影がある。・・・この貴重な宝を生涯に亘って愛し抜こう。・・・』
笑ってしまいますね。

 また密輸船から逃げ出して小舟に飛び移る場面の描写です。
『・・・もはや一刻の猶予もならん。既に吾輩は船腹が全くの垂直ではなく、僅かな勾配がある事実を素早く目の端で確かめて居った。とんとんと二度程傾斜を蹴る様にすれば、単純な落下ではなく、降下と呼ぶべき状態に持ち込めぬ事もない。落下は物の様で困るが、降下ならば意思ある生き物にふさわしいと思える。吾輩は斯う見えて絶えず主体的たらんとする近代精神を備えた猫である。主体性とは暗闇への命懸けの飛躍であると云った哲学者があったらしいが、此点からするなら此時代以上に吾輩は主体的であった例しは後にも先にもない。ここがまさに吾輩の跳ぶべきロドス島であった。吾輩は思い切って身を宙に翻した。』
逃げるにも『主体性』です(^^;)

漱石が乗り移ったかの如き饒舌が随所にちりばめられ、読む方は思わずニヤリとさせられます。漱石がタイムトラベラで原題に甦り、『猫』の続編を書いたとしたらこうなるのでしょうか。

 さて物語ですが、『吾輩』の主人であった苦沙弥先生が殺されます。『「吾輩は猫である」殺人事件』とは実は『苦沙弥先生殺人事件』だったわけです。しかも、内から鍵のかかった自宅で殺され、自宅には妻と幼い子供しかいなかったところから、密室殺人です。おまけに、殺害現場には何故か季節外れの百合の花が一輪残されていたという不可思議。苦沙弥先生殺人事件が何故上海の『吾輩』の知るところとなったのか?日本租界で『吾輩』が新聞を読んだという設定で話は出来すぎているのですが、この辺りはまぁ許しましょう。
 この『苦沙弥先生殺人事件』の謎を解こうとするのが、上海の共同租界の公園にたむろする野良猫達です。孫文の三民主気を奉じる上海猫の虎君、フランス租界に住み啓蒙主義者のペルシャ猫『伯爵』、ドイツのモルトケ将軍の元飼猫で保守主義の現実家、隻眼の『将軍』、ロシア領事館の飼猫『マダム』。これに加え、宿敵バスカヴィルの犬を追って上海に上陸したイギリス猫のホームズとワトソンまで登場します。これら一家言を持つ猫が深夜に集まって、苦沙弥先生殺害犯人探しの推理を展開する描写は、上野瞭の『ヒゲよさらば』と少し似ています。
 容疑者は、当然の如く『猫』の登場人物、迷亭、寒月、東風、独仙、鈴木君に多々良三平。ここで完全に漱石の『猫』の世界が出現します。苦沙弥先生こそ登場しませんが(殺されたのだから当たり前)、迷亭の大ボラや寺田寅彦がモデルだと云われる寒月の端正な口調はは、これはもう『猫』そのものだと嬉しくなります。
 しかし、何故舞台が上海なのでしょうか。東京で起こった事件を上海で云々するより、舞台を東京に設定したした方が都合がいいでしょう。漱石の『猫』で死んだ筈の『吾輩』が何故か生き返って上海に現れたのかの経緯も全く触れられていません。この謎が物語の重要な鍵となります。この謎を解くことが物語の主題ともなています。

『これを書くために自分は小説家になったのではないかと思ったのがこの小説である。』と自分のホームページで書くほど、ノリにのった小説です。また『僕は、漱石の主人公たちを「孤独」から救い出すことに密かな関心があるらしい。』とも書いていますが、漱石の主人公をhappy endの主人公として甦らせたいという作者の願いは切ないほどよく分かります。

漱石の『猫』を面白く読んだ人は間違いなく楽しめます、久々の →★★★★★
『猫』を読んでいない人には →★でしょうね。

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