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草柳大蔵 実録・満鉄調査部(下) [日記(2008)]


実録満鉄調査部〈下〉 (1979年)

実録満鉄調査部〈下〉 (1979年)

  • 作者: 草柳 大蔵
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1979/10
  • メディア: -


【満州建国と調査部】

 日露戦争で多大の犠牲を払ってロシアよりもぎ取った満州の権益を守る為に関東軍が存在するわけですが、関東軍は満鉄沿線の治安維持を越えて、沿線の領有 →満蒙領有 →満州国の建国 へと突っ走ります。関東軍はロシア南下の防波堤として独立国満州を必要としました。

 この満州国誕生と深く関わったのが、戦後国鉄総裁を務め新幹線の基礎を築いた当時の調査部(経済調査会)統括理事・十河信二と、満鉄社員を中核とする『満州青年連盟』です。
 謀略と占領が精一杯で行政能力の無い関東軍に代わって、戦後の復興に当たったのが『民族協和にもとづく満蒙新国家の建設』を掲げる『満州青年連盟』と民族主義学生運動の流れを汲む『大雄峰会』です。中央に『自治指導部』地方に『自治指導委員会』を設け、満州事変と満州国建国の間の空白を埋めます。関東軍や満州の中国人知識階級と連携し、孤立した奉天に鉄道を通し、逃亡した漢人役人に代わって地方行政を収拾する活躍は、侵略とは異なる側面があったことをうかがわせます。一方、経済調査会は関東軍の懐に飛び込み満州建国のグランドデザインを描きます。これは満鉄(調査部)が侵略の片棒を担いだのか関東軍の独走を防ぐ方策であったのか、見方の分かれるところでしょう。

【太平洋戦争と大調査部】

 昭和14年、総裁・松岡洋右によって調査部は改組されいわゆる『大調査部』が誕生します。尾崎秀実等によってまとめられた『日満インフレ調査』(昭和16年)は、石油の輸入は困難であること、日本の戦時経済力は石油の保存量によること、民間保有量は4~5ヶ月、軍保有量は1年半~2年と推定され、戦争は2年半以内に終えること、と結論づけられました。著者は当時の尾崎秀実の発言を次の様に書いています、

『どうしても、アメリカ相手の戦争を食い止めねばダメだ。日本はひどいことになる。かといって、日本に内部には食い止める力はでてこない。そこで、外部からの力を借り、内部からの力と呼応させる以外にない。とにかく、アメリカとの戦争は回避しながら、に中戦争をいかに早く収束させるか、これですよ。』

その翌日、尾崎はスパイ容疑で逮捕されます(ゾルゲ事件)。また彼は「日米戦力比較(現存せず)」もまとめ、尾崎の発言を引用します、

『日本の経済力は消耗は一段と強化され、膨大な資源を保つアメリカと戦えば、せいぜい2年半しかもたないであろう。日本はアメリカと開戦しても、南方に進出し敗退するか、戦わずして南方進出を断念するか、そのいずれかを選択すべきでしょう。しかし、私の見るかぎり、日本は南方に戦い、結局は退くでりましょう。』

この調査研究も結局は無に帰し、昭和15年、16年の満鉄事件によって『満鉄調査部』は終焉を見ます。このリベラルさが仇となった様です。

『「戦争遂行」という国家目標を支えている権力の支柱からすれば、彼らの “知性” は別の方程式を描きかねない反逆者それと映るわけである。・・・「満鉄事件」も、問題は「事件」を構成する犯罪要件ではなく、国家権力が自己の論理を展開してゆくための思想的清掃作業であったのだ。』

 敗戦によって日中戦争、太平洋戦争は侵略として裁かれます(東京裁判)。正義は常に勝った側日にあり、『侵略』も歴史的事実なら、満州の地に王道楽土を夢見た理想があり、軍部の独走とファナティシズムの中で冷静に歴史を見通した知性があり、それらの孵卵器として『満鉄調査部』があったこともまた歴史的事実でしょう。★★★★
タグ:読書 満州
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