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映画 勝手にしやがれ(1959仏) [日記(2010)]

勝手にしやがれ 【ベスト・ライブラリー 1500円:隠れた名作特集】 [DVD] ゴダールヌーベルバーグだそうです。ゴダールも、ジャン=ポール・ベルモンドも、ヌーベルバーグも初めて。

 一言で言うと、自動車泥棒のミッシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)とアメリカ娘パトリシア(ジーン・セバーグ)の無軌道なラブストーリーです。ミッシェルという男は徹底してふざけています。車を車庫から出してくる=路上の車を盗む、金を下ろす=かつあげ、住み家もなく知り合いの住居を
泊まり歩くチンピラ。たぶん、映画史上一度もヒーローとはなったことのない設定でしょう。 
パトリシアも相当変わっています。留学のためアメリカからパリにやって来てふらふら。トリビューンの新聞を立ち売りしたり、記者の真似事をしたり、どうも親の仕送りで暮らしているのが実情の様です。

 このふたりが恋愛関係となるのですが、

これも肉体関係が先行してミッシェルが一方的に惚れ、パトリシアはと言うと、嫌いじゃないが積極的に恋愛関係を維持しようという熱心さもありません。冒頭でミッシェルは自動車泥棒で追われて警官を殺しています。パトリシアはミッシェルが殺人犯であることを知ってもアッケラカン、何も変わりません。ふたりで逃亡を楽しんでいる風情。

 ところが、パトリシアはミッシェルを警察に密告します。ミッシェルが嫌になったとかそう言うことでは無く、ふたりの関係性を確認するための密告でしょう。密告して警察が来ることによって何かが起こる、起こることによって次が開ける・・・。

 最後にミッシェルは警察に後ろから撃たれ『虫けらのように』路上で命を落とします。

 などと書いても、この映画について何も書いていないことになると思われます。ストーリーは面白くも何ともない。会話も、意味があるとも思われない戯言(たわごと)。

 最後にミッシェルを見下ろすパトリシアの昂然たる姿には唖然とします。日本映画だったらこうはならず、道行きがあってふたりとも蜂の巣となって死ぬはずです。 ボニーとクライドも死にました。市井のチンピラが主人公となり最後は無惨に死んでゆく、これはアメリカン・ニューシネマの先取りだと言うことは分かります。

ヌーベルバーグは新しい波と訳すようで、この映画の何処かが『新しい』のでしょう。ヌーベルバーグとは何ぞや?wikipediaによると
 
ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などの手法的な共通性のある一連の作家・作品を指す(単純に1950年代末から1960年代中盤にかけて制作された若い作家の作品を指す

というもので、1960年末のアメリカン・ニューシネマとも違うんですねぇ。

 確かに、ロケ撮影中心、同時録音、即興演出などは見て取れ、
おぉヌーベルバーグ!』かと思うのですが、この3つはある意味『手抜き』であり、若い監督のコストをかけない製作法に過ぎません。いろいろ見ていくとヌーベルヴァーグは従来からあった『詩的リアリズム』のアンチテーゼとして現れた様です。しからば詩的リアリズムとは何か?

大型セットにおけるスタジオ撮影を基本とし、遠近などに関して誇張を行なう場合が多く、「たいていはパリを舞台にし、厭世的な都市のドラマを描く。設定は労働者階級であり、しばしば犯罪性に伴なわれた不幸に終わるロマンティックな物語が伴なう」という見解もある。

 『勝手にしやがれ』も「パリを舞台にし」た「厭世的な都市のドラマ」で「労働者階級」ではありませんが正統な社会性を喪失したアウトローが出てきて、見事「不幸に終わるロマンティックな物語」が伴っています。説得力ゼロです。って言うか、この引用ばかりの駄文も説得力ゼロ
(^^;)。

監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド ジーン・セバーグ

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