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児島襄 満州帝国 Ⅲ-(1) [日記(2013)]

満州帝国 (2) (文春文庫 (141‐14))
 冗長になったので、2つにわけます。

 第3巻は、1944~45年満州国の落日を描きます。満州国は1932年3月の建国ですから、わずか12年で潰えたわけで、一炊の夢です。仮想敵国ソ連の防波堤として作られた満州国が、その役目を果たせず最後は仮想敵に蹂躙されるのですから皮肉な話です。

 第3巻で興味深いことは、

1)関東軍の弱体化
2)日ソ中立条約を過信しソ連の参戦時期を見誤った
【関東軍の弱体化】

 1945年当時の関東軍は、兵員こそ24個師団、1個旅団、9個独立混成旅団、2個戦車旅団、総員75万人(1941年の「関特演」では74万)ですが、装備の方は充足率の高い第39師団で80%、「根こそぎ動員」で編成された8個師団、7個独立混成旅団は15%というありさまです。この戦力を正規の師団能力に換算すると、関東軍はわずか「8.75個師団」にしか当たらないというものです。一方ソ連は、100万の兵力をヨーロッパ戦線から極東に転用し157万。訓練不足で装備の不足した75万の関東軍が、倍するソ連の機械化部隊を迎え撃つという状況です。

 この弱体化の要因のひとつは日本軍の戦略によるものです。日中戦争の打開と米の経済制裁で不足した資源を求めて、日本はインドシナへ侵攻します。1941年7月の『情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱』によって、対ソ戦の準備と南部仏印への侵攻という二面作戦が取られることに決定しています。
 この南進のために関東軍の兵力が割かれ、戦局が押し詰まった1945年には南進に加えて、本土決戦のために満州から3個師団兵力が本土へ転用されます。そのままでは対ソ戦略に支障をきたしますから、「根こそぎ動員」によって員数を合わせため、実態は、訓練の不足した兵士と武器の足りない関東軍だっというわけです。
 この辺りは『終わらざる夏』の45歳の翻訳家・片岡直哉、、満州から占守島に写された戦車連隊の大島准尉の世界です。

 この兵器兵力不足のため、関東軍は『関東軍作成計画(1944.1月)』を作成し、戦線を縮小後退して新たな防衛ラインを設けてソ連軍を迎え撃とうとします。関東軍が想定した防衛ラインは、

大連-奉天-鉄嶺-四平街-新京
新京-吉林-敦化-図們
鴨緑江

を結ぶ線を辺とした「通化“デルタ三角地帯”」です。
 ソ連との開戦となれば、部隊は玉砕覚悟で抗戦し、その敗残兵と関東軍司令部、在留邦人ををこの三角地帯に集めて抵抗の拠点にしようというわけです。

トライアングル.jpg

 このデルタ三角地帯を地図上に引いてみると唖然とします。満州国の広大さに比べ、三角形のいかに小さいことか。さらに三角地帯の中心・通化(画像の赤丸)の山中に兵器、燃料、食料を集積し、自給のための工場を移設し持久戦持ち込もうという構想を立てます。満州各地に散った日本人を置き去りにして、関東軍はこの三角地帯に逃げ込もうということです。
 

タグ:読書 満州
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