児島襄 満州帝国 Ⅲ-(2) [日記(2013)]
児島襄 満州帝国 3巻の続きです。
【ソ連参戦】
ヤルタ会談(1945.2月)で、スターリンは南樺太、千島列島の領有や南満州鉄道、東支鉄道の中ソ共同管理等を交換条件に、ドイツ戦線終了後2~3ヶ月以内に日本に参戦することをチャーチルとルーズベルトに約束しています。ドイツの降伏は1945年5月8日ですから、3ヶ月後とは8月9日、まさにソ連軍が国境を超えた日です。
ここによると、ヤルタ密約情報はスエーデンの駐在武官小野寺信によって日本に打電されていたようです。ところがこの情報は誰かが握りつぶし、届いたという痕跡さえないようです。wikipediaの「小野寺信」にも「ヤルタ会談後にソ連が対日宣戦するとの最高機密情報を日本に送ったが、参謀本部作戦課の瀬島龍三中佐に握りつぶされる。」とあり、佐々木譲『ストックホルムの密使』のようなミステリです。
小野寺電は、ヤルタ会談の直後と考えられますから、1945年の2月の発信です。もしこの情報が政府中央に伝わっていれば、その後の満州の「悲劇」というものはよほど小さいものになったのではないかと思います。ドイツの敗戦は5月8日ですから、3ヶ月の猶予をもってソ連と交渉が出来たはずであり、日本人の保護、満州からの「引き揚げ」が出来たはずです。握りつぶしたのが瀬島龍三(伊藤忠商事会長)かどうかは別にして、「本土決戦」を考える陸軍にとって、和平工作に拍車をかけるソ連参戦の情報はジャマだったんでしょう(『消えたヤルタ密約緊急電: 情報士官・小野寺信の孤独な戦い』という本があるらしいので、次読んでみます)。
本書によると、ソ連参戦の様々な兆候があったにもかかわらず、関東軍は「日ソ中立条約」に期待してソ連参戦は無いと考え、有効な防御策、退避策が打てていません。
4月には日ソ中立条約の延長破棄の通告があり(期限は1946年5月、1年前に破棄通告をしないと自動延長)、独ソ戦の終了によって、ソ連は余った東部戦線の兵力を極東に移動しています。ソ連が極東に兵力を集結させているというソチ領事館等からの情報あったにもかかわらず、関東軍、参謀本部はソ連の参戦は無いという希望的観測を捨てません。
満洲国そのものがソ連を仮想敵国とした防波堤であり、「関特演」で日ソ戦を想定した演習をやっているわけですから、条約ひとつで安全が保証されるということ自体幻想でしょう。陸軍も本音では分かっていた筈です。このあたりを、著者は
その底流にうかがえるのは・・・「ソ連は阻止できぬ」との認識と、それにもとづくソ連不参戦への希望である。ソ連に対する「恐れ」であり、だからこそ、一方ではソ連参戦を必至と判断しながらその判断を希望的観測で弛め、居留民の危険を承知しながら、ソ連に弱点をみせないように疎開を避けることになる・・・
と書いています。参謀本部もまた年内にソ連の参戦はないという「情勢判断」を下しますが、著者は、「政治的に変色」された、軍部側の希望に基づいた、“軍事的作文”と切って捨てます。
先の「小野寺電」の文脈で理解すると、「本土決戦」をとなえる参謀本部にとって“軍事的作文”は自明、希望的観測に基づいた作文ではなく、「一億玉砕」という悪意に基づいた作文かもしれません。
満州に残された日本人がソ連軍によって受けた被害は、「引き揚げ」「抑留」という言葉とともの十分知っているつもりですが、満州国の産業施設の4割が撤去され4割が破壊されたという物的な被害については、改めて知りました。
電力71%,炭鉱90%、鉄鋼50~100%、鉄道80%、機械75%、液体燃料50%、化学50%、洋炭50%、非鉄金属75%、繊維75%、パルプ30%、電信電話20~100%
が撤去または破壊されています(米国のポーレー委員会調査)。被害額にして約9億ドル(1$=4.2円)をソ連は破壊するか略奪したわけです。
日本国は、戦争賠償の一環としてこれらのインフラを利用しようと考え、保全の命令を出したのですが、ソ連は「戦利品」として自国に持ち帰ったようです。戦争というものは暴力団の抗争と同じで、人、もの、金、縄張り(領土)です。
【崩壊】
関東軍司令部が通化に移るとともに、皇帝溥儀以下の満州国政府もまた通化近郊大栗子に移動しています。
8月18日、大栗子の満鉄の社宅の一室で皇帝溥儀が退位します。
部屋には、裸電球が1個、天井からぶらさがっているだけでうす暗かった。その電球に、小さな蛾や羽虫がぶつかりあい、鱗粉をまき散らして低い羽音をたてていた。(これが国家が消滅する時と場所なのか)
満州国 総務長官秘書官 山田明
国が滅ぶということは、そういうことなのでしょう。溥儀の退位で「五族協和」を掲げた「王道楽土」満州国は地上から消え、6歳で第12代清朝皇帝を退位し、26歳で満洲国執政となった波乱のラスト・エンペラーは歴史の舞台から姿を消します。
敗戦によって満州に取り残された154万人の日本人は、翌年1946年3月には145万人まで減少していますが(この時点では組織的引き揚げは未だ始まっていない)。10万人近い人々が、戦火に倒れ、暴徒に襲われ、飢えと病気で生命を失ったと考えられます。引き揚げは1946年5月から始まり、1948年8月に終了しています。
日露戦争の勝利によってもたらされた満鉄附属地支配(1906)から始まった日本人の「満州」は1948年まで42年間続いたことになります。
やっと3冊を読み終えました、いやぁ面白いです。著者独特の言い回しと馴染みのない漢字には苦労しますが、まさに「満州国演義」です。
消えたヤルタ密約緊急電: 情報士官・小野寺信の孤独な戦い (新潮選書)
- 作者: 岡部 伸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/08/24
- メディア: 単行本
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