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ジョン・スタインベック 怒りの葡萄(2) [日記(2013)]

怒りの葡萄 (下巻) (新潮文庫)
 
【カリフォルニアの実相】

 カリフォルニアを目指しルート66を西に向かうジョード一家の物語です。砂嵐とトラクターによってオクラホマを捨てたジョード一家は、カリフォルニアで再起を図ろうとしますが、その家族の絆にほころびが出始めます。祖父が死に、長男が失踪して脱落し、トラックによる旅に耐え切れず祖母まで亡くなります。
 さらに不吉な兆しが現れます。何十万という‘ジョード一家’がカリフォルニアを目指しますが、逆にルート66を東に向かう人々が現れます。彼等は、仕事の無いカリフォルニアから故郷に戻ろうとする人々です。ジョード一家は、果実摘みの労働者を募集するという宣伝チラシを信じてカリフォルニアを目指したわけですが、彼等によると、過剰な労働力を中西部から集めるためにチラシをばらまいたということです。どういうことかと言うと、

 彼ら(労働者)には理屈もなければ組織もなく、数多いことと困っていること以外には、何もなかった。一人分の仕事があれば、十人がそれのために争った--賃金を引きさげるために争った。もし、あいつが三十セントで働くんなら、おれは二十五セントで働くぜ。
 もし、あいつが二十五セントでやるってんなら、おれは二十セントでやる
 いんや、おれだ。おれは腹がへってるだ。十五セントで働くだよ。食い物のために働くだ。

 仕事と労働者のバランスが崩れた、これが、「乳と蜜の流れる」土地カリフォルニアの姿です。カリフォルニアに着いたジョード一家は、難民キャンプに車を停め僅かな持ち金で生活しながら仕事を探します。難民キャンプは、差別と迫害の別称であり、ストライキと労働運動を恐れる大地主(資本家とは書いていませんが)は、ジョードたちと同じ境遇の労働者を用心棒として雇い、警察を使い、、「赤狩り」と称して難民どうしの絆(団結)を絶とうとします。地主たちは、持たざる者どうしが連帯し力を持つことをひたすら恐れるわけです。

 トムは、不当な干渉を繰り返す保安官と難民のゴタゴタに巻き込まれ、ケーシーはトムの身代わりとなって逮捕されます。 
 地主の手先がキャンプに火をつけるという噂が流れ、ジョード一家は国営のキャンプに移動しますが、ここで一種の理想郷が示されます。屋根と壁のある家が提供され、共同でしする水洗トイレや湯の出るシャワーまで完備された国営キャンプは、テント生活をしてきたジョード一家にはまさに理想郷です。
 彼らを何よりも喜ばせたのは、キャンプの住民による自治が行われ、警察や地主の用心棒による介入が排除されていたことです。そこでは、オーキーと呼ばれて差別されることもなく、住民が助けあって生活する、理想の共同体だったわけです。

【ケーシーの死とトムの旅立ち】

 この国営キャンプでの生活も長くは続きません。トムは、キャンプの近くでケーシーと再会します。ケーシーは語ります、

 わしは、キリストのように野っ原へ出て、何かを見つけ出そうとしてきた男だ。ときにゃ、もう少しでその何かがわかりかけたこともあるだ。ところが、監獄へ行ったら、たちまち本当のことがわかっちまただよ。
・・・いいかね。やつら(囚人)がわるくなった原因は、やつらが何か必要になったからなんだ。そこで、わしにもわかりかけてきただ。貧乏だってことが、すべてのめんどうや厄介ごとを起こす原因だということがな。

 貧しさこそがすべての原因だと言うのです。ケーシーは、地主の賃金政策に対向するために、仲間とともにストライキの指導をしています。
 ケーシーによると、トムたちがありついた綿摘の仕事も、早晩、地主の策略によって賃金が半分に切り下げられる。それを防ぐためには、キャンプの外と中でストライキを打つしかない、協力しろというわけです。
 そしてこの策動に気づいた地主の用心棒とトラブルとなり、ケーシーは撲殺され、トムもまた用心棒のひとりを殺してしまいます。キリスト教を捨て実践家となって人々の救済を目指すケーシーは、救済すべき人々によって殺されるという悲劇に見舞われます。人類の罪を背負って十字架に架かったイエス、といことはないでしょうが...。

 殺人を犯したトムは逃亡のために旅に出ます。母親との別れです。

 これからどうするんだいという母の問に、トムは国営キャンプのような共同体を作りたいと告げます。

 これから先、おまえの消息は、どうすりゃ知れるだかね(母親)

 ケーシーが言ったように、、人間、自分だけの霊なんてものはもっちゃいねえだ、ただ、大きな霊の一部をもっているだけかもしれねえ
 ・・・そうとすりゃ何でもねえじゃねえか。つまり、おれは暗闇のどこにでもいるってことになるだもの。--おっ母が見さえすりゃ、どこにでもいるだ。パンを食わせろと騒ぎを起こせば、どこであろうと、その騒ぎのなかにいるだ。警官が、おれたちの仲間をなぐってりゃ、そこにもおれはいるだよ。
 ・・・仲間が怒って大声をだしゃ、そこにもおれはいるだろうて--お腹のすいた子供たちが、食事の用意ができたというんで、声をあげて笑っていれば、そこにもおれはいるんだ。(トム)

 トムは、自分は虐げられた人々の中、貧しい人々の中にいると言うのです。ケーシーの後を継いで、救済の実践家となろうという決意でしょう。

 久々に「文学」というものを読んでみましたが、難しいことを抜きにして楽しめます。次は『白鯨』あたりを読んでみようかなと思います。

タグ:読書
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