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室谷克実 日韓がタブーにする半島の歴史 [日記(2014)]

日韓がタブーにする半島の歴史 (新潮新書)
 竹島に端を発する韓国の“嫌日?”感情は凄まじいものですね。竹島問題に安部総理の靖国神社参拝が火を付けた格好で、日本の歴史認識がやり玉に上がっています。大阪に住んでいると、焼肉、キムチをたべて、韓国はわりと普通の存在です(samsungは使っていませんが)。あれだけ騒ぐと、日本の世論そのものが右傾化してゆくのですが、その辺りは考えていないんでしょうか?。
 日本の歴史認識が非難されているので、そもそも日韓(朝)の歴史はどういった経過をたどってきたのか、ということを知るのも一興です。

 日韓関係で教科書で習うのは「広開土王碑(414)」で、この碑文には倭(≒日本)が新羅、百済を破ったこと、後に高句麗に敗れたことが書かれてあり、5世紀の半島で倭人が暴れていたことがうかがえます。次に出てくるのが任那日本府で、大和朝廷は任那日本府を足がかり半島に進出し、百済を助けて新羅と戦った(白村江の戦い663)と習いました。大和朝廷はこの戦いに負けて半島経営から手を引き、半島は新羅によって統一された、だったかなと思います。戦前に教育を受けたわけではありませんよ(笑、1970年頃の話です。
 その後、司馬遼太郎が、九州北部と朝鮮半島の南部はひとつの文化圏であり、人々は「ちょっとあっちに行ってくる」という感覚で対馬海峡を往来していたのではないかといういう文章に出会い、以来その気分できました。
 本書は、かなり「嫌韓」という意図が働いていますが、その司馬遼さん的気分を補完してくれる本です(だと思った)。

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【三国史記】
 まず、韓国最古の歴史書『三国史記(1145)』とその補遺『三国遺事(1270~80)』が取り上げられます。この2冊は古事記、日本書紀に相当するとのことです。『三国史記』は高麗が編纂した「正史」であり、他に史書がない以上、古代朝鮮史はこれに頼らざるを得ないわけです。三国史記に登場する新羅の第4代王・脱解(在位57~80年)は、山陰または新潟から流れ着いた倭人だというのです。第2代王の娘を娶って第4代王についたというのですから、征服したわけではなさそうです。著者によると、財と家来を持って新羅に来た倭の有力な豪族の王子を、新羅が取り込んだのではないこということです。まぁ神話の世界ですから真偽の程は?ですね。しかし、彼の国の正史に堂々と載っているところが愉快です。韓国ではどう扱われているのでしょう。

【前方後円墳】
 全羅道で前方後円墳が発見され、前方後円墳の起源は韓国だと大騒ぎになったそうです。韓国の古墳は5~6世紀で、日本の同古墳は3世紀から存在していますから、全羅道の前方後円墳は、むしろその地で勢力を持っていた倭人の墳墓ではないかというのです。広開土王碑でも明らかなように、倭は新羅、百済から倭が朝貢を受け、高句麗と戦った時代ですから、全羅南道=任那で、倭人の前方後円墳が作られても何の不思議はありません。
 また、稲作が朝鮮から伝わったという説は、日本の稲は朝鮮の稲とDNA上関連性がなく、稲作が朝鮮から伝来したものでは無いという話は、定説ですから目新しくはありません。
 もうひとつ、ヒスイの勾玉が韓国南部でで大量に発見されているそうです。ヒスイは韓国では産出されませんから、これも倭から伝わった、当地の倭の有力者が所持していたんでしょう。
 という具合に、文化の朝鮮→日本の流れを日本→朝鮮へとひっくり返しています。歴史の問題としては、私が高校の頃に習った東アジアの歴史をあまり出ていないように思われます。

【任那日本府】
 本書から離れますが、任那日本府の歴史的な扱われ方が面白いです。wikipediaを見ると、

・第二次大戦前
一般的な認識は、任那日本府は伽耶地方=任那地方を政治的軍事的に支配したとするものである。
・第二次大戦前後
北朝鮮の金錫亨「朝鮮半島の三国が日本列島内に植民地を持っていた」北朝鮮です(笑。戦後も戦前の通説を踏襲していますが、こういう異説が自由に語られるようになったわけです。
・1970年代
1970年代は任那という言葉を口にするのは、はばかられるような雰囲気でした」(黒岩重吾)
半島南部の倭人の政治集団(井上秀雄)
百済・新羅に国を奪われた加羅諸国の政治集団、任那日本府とヤマト王権は直接的には何の関係も持たない、実体は倭王権が派遣した単なる使者である
外交を始めとする重要な事柄を論議する会議
・1990年代
句麗・新羅に対抗するために百済・倭国と結んだ任那加羅(金官加羅)を盟主とする小国連合
任那が倭国の軍事力を勢力拡大に利用するために倭国に設置させた軍事を主とする外交機関
・2000年以降
文部科学省は、「倭(日本)は加羅(任那)を根拠地として百済をたすけ、高句麗に対抗」との記述に検定意見をつけて「近年は任那の恒常的統治機構の存在は支持されていない
 
・海外はどう見ているかというと
5世紀の日本の勢力は朝鮮半島南部まで支配した、西暦400年ごろ、(日本は)幾つかの氏族が連合して日本の大半を統一し、朝鮮南部の地域を統治するまでに至った(米教科書)

 こういうことですね、戦後、左傾化?したアカデミズムが、日韓併合の罪悪感から任那日本府を使者や会議体にまで格下げして、朝鮮への侵略(あるいは日本の軍事施設)はなかったということにしたわけです。黒岩重吾の発言が生々しいです。
 やはり、5世紀には倭の軍が半島で戦い、任那日本府は存在したのではないですか?。政治や国益におもねって、歴史を曲げることは、皇国史観ならぬ○○史観ではないかと思います。

【嫌韓】
 隋と戦って大勝利を収めた乙支文徳の話が出てきます。乙支文徳は、降伏と偽って退却する隋の軍を背後から襲って勝利したのですが、著者は、この将軍を国民的英雄に祭り上げる韓国を俎上に載せ、

偽降伏戦術による勝者が、希代の戦術家に仕立て直されていく作業の底流には、「どんな手段を使ってでも、得られる利が大きければいい」とでも言うべき価値観が渦巻いていたのではないか。いや、今も韓国人社会には激しく渦巻いている。

と切って捨て、WBC(野球)で紳士協定を破って先発メンバーを変えた韓国を例に引き、

北朝鮮がある日、「全面降伏する。国を全面開放する」と申し出てきても、国際社会は決して油断してはならないのだ。

 とは、笑いますが、国内で署名を集めてキム・ヨナの判定にイチャモンをつける姿を見ると、著者の非難もあながち的を射ていないこともないかもしれません(笑。

 wikipediaの黒岩重吾の発言は、本書にも出てきます。

任那という言葉を口にするのさえはばかられるような雰囲気でした」 の後、「つまり、任那に倭人がいたとする説でさえ皇国史観と非難され、なにか重戦車で押し潰すような雰囲気が一時、あったわけです

と続き、戦後、朝鮮史の研究者が自虐史観に転向していった様子がうかがえます。「従軍慰安婦」「南京大虐殺」問題と自虐史観が未だ尾を引いているんでしょうか。

 どうも「嫌韓」の時流に乗った出版物です。売られた喧嘩を買うだけでは面白く無いと思うのですが。amazonでは星5つ、4つが多いですが、★★です。

タグ:読書
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コメント 2

cocoa051

いまいちばん恐れているのは、これまで比較的善意の親韓・知韓派だった人たち(ワタシもその一人かな?)までもが嫌韓・反韓に向かいつつあること。そのことに気付いてほしいと思うきょうこの頃です。

by cocoa051 (2014-02-26 08:30) 

べっちゃん

私もだんだん右傾化してきました(笑。
by べっちゃん (2014-02-26 09:08) 

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