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保阪正康 昭和史七つの謎 [日記(2014)]

昭和史 七つの謎 (講談社文庫)
 同じ著者の『瀬島龍三―参謀の昭和史』が面白かったので、読んでみました。七つの謎とは、

1)日本の〈文化大革命〉は、なぜ起きたか?
2)真珠湾奇襲攻撃で、なぜ上陸作戦を行わなかったか?
3)戦前、戦時下の日本のスパイ合戦は、どのような内容だったか?
4)〈東日本社会主義人民共和国〉は、誕生しえたか?
5)なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?
6)占領下の日本で、なぜ反GHQ地下運動がなかったか?
7)M資金とは何か、それはどのような戦後の闇を継いでいるか?

 1)はタイトルだけでは分かりにくいですが、5.15事件の裁判のあった昭和8年から、軍国主義に傾斜してゆく日本の風潮を〈文化大革命〉と捉えた論評です。後はだいた分かりますね。興味深かった5)について、感想を若干。

 勝者が敗者を裁く東京裁判については、幾分知っているつもりでしたが、言われてみれば、絞首刑になったのは広田弘毅を除いて全員陸軍軍人です。

板垣征四郎(陸軍中将)、木村兵太郎(陸軍大将)、土肥原賢二(陸軍大将)、東條英機(陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)、松井石根(陸軍大将)、広田弘毅(内閣総理大)

 さらに、A級戦犯28名についてその帰属をみると、陸軍15名、海軍3名、外交官5名、文官2名、天皇側近1名、民間右翼1名、+広田弘毅となり、陸軍が突出して多く、海軍は3名のみ。海軍の3名は、岡敬純(終身刑)嶋田繁太郎(終身刑永野修身(1947年獄中病死)と岡は1954年、嶋田は1955年に仮釈放です。この差は何なんだ、というのが「謎」です。

 著者によると、東京裁判は、始まる前からその帰趨が見える裁判だったということです。
 連合軍は、ドイツを裁いた「ニュルンベルク裁判」と同じ構図で日本を裁きたかったようです。ドイツのケースは、独裁者ヒトラーを頂点とするナチという組織があり、この組織の中枢を戦犯として裁けばいいわけです。日本には、ヒトラーに相当する独裁者もナチに相当する組織も無く、あえて同類を探せば、天皇と東條、東條を頂点とした軍閥ということになります。東條は首相、陸軍大臣、参謀総長を兼任するというある意味独裁者ですが、天皇が戦争を指導した軍閥の頂点にいた独裁者かというと、微妙な問題です。

 占領期の日本の支配者であったアメリカとマッカーサーは、敗戦後の日本の復興を円滑に進めるために、天皇を温存する方針で臨んだということです。この方針は東京裁判が開始される前に決定され、天皇の戦争責任を問わないという前提で裁判は開始されます。
 
 天皇には統帥権があり、天皇の裁可無しには兵を動かせないという建前になっていました。陸軍は参謀総長、海軍は軍令部長(軍令部総長)が作戦を立案し、天皇がOKを出して実行ということになります。参謀総長が細かい作戦を立てるわけではないので、参謀本部作戦課の佐官(例えば瀬島龍三)が立案し参謀総長がハンコを押し天皇が裁可するという構図です。戦争の実質的指導部、参謀本部を裁くと、累は天皇に及びます。これが、参謀本部、軍令部の将官が戦犯とならなかった理由だというのです。
 では何故海軍ではなく、陸軍なのか。この問題に関わっているのが、木戸幸一の日記と田中隆吉(少将、第一次上海事変首謀者?)だと著者は言います。日記と検察側証人となった田中隆吉の証言によって、A級戦犯23名の「共同謀議」が立証され、東條を首魁とする軍閥として6名が絞首刑されます。

 東京裁判には、アメリカの冷徹なリアリズムが働いていたわけです。感想にもなっていない個人的なメモです。
 昭和史の謎に史実を積み上げて分け入り、後は著者なりの推理となります。5)だけを取り上げましたが、いずれも面白いです。pari2もあるので読んでみます。

タグ:読書 昭和史
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