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織田作之助 蛍(1944) [日記(2014)]

蛍
 父母を亡くし彦根の叔父のもとで育った登勢が、京都伏見の船宿「寺田屋」に嫁ぎます。お登勢?、寺田屋?、そうです、「寺田屋お登勢」の物語です。昭和19年の発表で、時局がら小説の素材もこうした歴史物に求めていたのでしょう。寺田屋事件や坂本龍馬にかかわる「お登勢」も、織田作の手にかかると、幕末の女傑ではなくごく普通の女性として輝き出します。

『夫婦善哉』以来、織田作の描く女性は男で苦労します。寺田屋の主人で夫の伊助は、

明けても暮れてもコトコト動きまわった。しかし、客の世話や帳場の用事で動くのではなく、ただ眼に触れるものを、道具、畳、蒲団、襖ふすま、柱、廊下、その他片っ端から汚い汚いと言いながら、歯がゆいくらい几帳面きちょうめんに拭いたり掃はいたり磨いたりして一日が暮れるのである。

ちょっとした精神異常?、おまけに姑お定は、伊助の継母で、伊助を追い出して実の娘に寺田屋の跡を継がせようと画策しているというという複雑な家に、登勢は嫁に来たことになります。登勢は、

彦根の伯父が、お前のように耳の肉のうすい女は総じて不運になりやすいものだといったその言葉を、登勢は素直にうなずいて、この時からもう自分のゆくすえというものをいつどんな場合にもあらかじめ諦あきらめておく習ならわしがついた。

という女性で、中風で寝込んだお定の面倒を見、伊助に代わって船宿を切り盛りします。

あんさんお下りさんやおへんか、寺田屋の三十石が出ますえ
と登勢と女中たちが叫び、
あんさん、お下りさんやおへんか。お下りさんはこちらどっせ、お土産みやはどうどす。おちりにあんぽんたんはどうどす……
と物売りの声がします。

 そうした伏見・京橋の船着場の喧騒の中で、登勢は寺田屋の軒下に棄てられた赤ん坊を拾って育て、自分にも娘が生まれ、伊助が放蕩し、京都の町医者の娘・お良(龍)を養女にします(この辺りは史実とは少し違う)。甲斐性無しの夫に手を焼きながら船宿を切り盛りする登勢は、「蝶子」さながらです。そして「寺田屋事件」が起こります。
 おいごと刺せ!おいごと刺せ!と叫ぶ有馬新七の声を聞いて

 勢いっぱいに張り上げたその声は何か悲しい響きに登勢の耳にじりじりと焼きつき、ふと思えば、それは火のついたようなあの赤児の泣声の一途いちずさに似ていたのだ。
 その日から、登勢はもう彼らのためにはどんな親切もいとわぬ、三十五の若い母親だった。

「あの赤子の泣き声」とは、寺田屋の軒下に棄てられた赤子の泣き声です。この当たりの書き様は、新戯作派・織田作の面目如実。やがてお良が坂本龍馬と去り、龍馬が暗殺され、ええじゃないかの御札が降り、

あんさんお下りさんやおへんか、寺田屋の三十石が出ますえと、キンキンした声で客を呼

ぶ登勢の姿で幕。「寺田屋お登勢」も織田作の手にかかるこうなります。

タグ:織田作之助
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