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織田作之助 世相(1946年4月) [日記(2014)]

世相
 タイトルは『世相』ですが、昭和21年の現在と昭和15年を行ったり来たりしながら、戦中戦後の作者の小説家としての「揺らぎ」を描いています。人はよくも悪くも時代の子ですから、そうした意味で自らを語ることが世相を語ることになるのかもしれません。

【昭和15年】
 昭和15年の夏、バー「ダイス」のマダムから四ツ橋の天文館のプラネタリュウム見物を誘われた話をマクラに、作者が「十銭芸者」の構想を練る話しです。作者はこの年(実際は16年)、『青春の逆説』が発禁となり、

もう当分自分の好きな大阪の庶民の生活や町の風俗は描けなくなったことで気が滅入り、すっかりうらぶれた隙だらけの気持になっている

という状況にあります。
この「ダイス」のマダムは、

わては大抵の職業しょうばいの男と関係はあったが文士だけは知らん・・・こんど店へ来はったら、一ぺん一緒に寝まひょな

と宣う、開けっぴろげな大阪の水商売の女性です。そして、小説のネタをあげると「十銭芸者」の話を始めます。

マダムへの好奇心も全く消えてしまっていたわけではない。「風俗壊乱」の文士らしく若気の至りの放蕩無頼を気取って、再びデンと腰を下し、頬杖ついて聴けば、十銭芸者の話はいかにも夏の夜更けの酒場で頽廃の唇から聴く話であった。

十銭芸者とは、今宮あたりの浮浪者相手に稼ぐ花代十銭の芸者で、春をひさがず芸を売るという不思議な芸者のことです。作者は、芸者から「十銭芸者」へ転落してゆく女と、女にぴったりと寄り添って堕ちてゆく男の物語を妄想し、

題は「十銭芸者」――書きながら、ふとこの小説もまた「風俗壊乱」の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の戯作者のことを思えば、いっそ天邪鬼な快感があった。

【昭和21年】
 最早発禁の恐れがなくなった昭和21年、作者は「阿部定事件」を題材に小説の構想を練り、「阿部定事件」が起こった昭和11年の回想が挟まれます。高等学校三年生の作者が、カフェの女給に惚れ同棲するようになった顛末です。後の愛妻・宮田一枝との馴れ初めです。

女の過去を嫉妬するくらい莫迦げた者はまたとない。が、私はその莫迦者になってしまったのである。しかし莫迦は莫迦なりに、私は静子(宮田一枝)の魅力に惹きずられながら、しみったれた青春を浪費していた。その後「十銭芸者」の原稿で、主人公の淪落する女に、その女の魅力に惹きずられながら、一生を棒に振る男を配したのも、少しはこの時の経験が与っているのだろうか

 この宮田一枝「事件」は、『競馬』を始めとして、織田作の小説には繰り返し登場します。それも「嫉妬」という言葉とセットで描かれます。

阿部定の事件が起ったのは、丁度そんな時だ。
女の生理の悲しさについて深刻に悩むことなぞありゃしない、俺を驚かせた照井静子(宮田一枝)の奔放な性生活なぞこの女(阿部定)に較べれば、長襦袢の前のしみったれた安パジャマに過ぎないぞ。そう思うことによって、私は静子の肉体への嫉妬から血路を開こうとした。お定を描かこうと思った。

 宮田一枝との同棲は昭和9年に始まり、同14年には正式に結婚し、19年に病で亡くなっています。この時、作者と暮らしている事実上の妻は輪島昭子です。昭和9年の織田作の嫉妬は10年経っても彼の中にくすぶり続け、「嫉妬から血路を開こうと」書かざるをえないのです。
 作者が阿部定を下敷きに書いた小説は『妖婦』ということになっています。ところが、『妖婦』は18歳で終わる阿部定「前史」であり、「嫉妬から血路を開こうと」書いた小説ではないようです。『世相』が発表された昭和21年4月、織田作は『競馬』を発表しています。たぶん、『競馬』を書いて織田作は一枝の呪縛から開放された思われます。何故なら、『競馬』には、嫉妬を克服したギャンブラーの競馬に賭ける情熱が描かれているからです。この時の織田作にとって、「競馬」とは文学(小説、戯作)だったのでしょう。

 『競馬』以後、織田作は堰を切ったように小説を書き出します。『それでも私は行く』(京都日日新聞 4/25~7/25)、『夜の構図』(婦人画報 5月号~12月号)、『夜光虫』(大阪日日新聞 5/24~8/9)、『土曜夫人』(読売新聞 8/30~12/8、未完、絶筆)。

 さて『世相』です。作者は、阿部定の公判記録を見せてもらった天婦羅屋の主人と闇市で偶然に出会います。一寸面白い家があるんですがね、と連れて行かれた先でバー「ダイス」のマダムと再会し、戦前の「世相」を供した三人のよもやま話が始まります。そして天麩羅屋の主人が阿部定との因縁話を話しだします...、

「で、その女がお定だったわけ……?」
「三年後にあの事件が起って新聞に写真が出たでしょうが、それで判ったんですよ。――ああえらい恥さらしをしてしまった」
 ふっと気弱く笑った肩を、マダムはぽんと敲いて、
「書かれまっせ」と言った。
 その時襖がひらいて、マダムの妹がすっとはいって来た。無器用にお茶を置くと、黙々と固い姿勢のまま出て行った。
 紫の銘仙を寒そうに着たその後姿が襖の向うに消えた時、ふと私は、書くとすればあの妹……と思いながら、焼跡を吹き渡って来て硝子窓に当る白い風の音を聴いていた。

というオチとなります。この時、作者はあれほど拘ってきた阿部定を棄て、書くとすればあの妹…と小説家としての方向転換を語っていることになります。

タグ:織田作之助
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