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松元寛 漱石の実験 現代をどう生きるか [日記(2015)]

漱石の実験―現代をどう生きるか
序章 漱石の挫折
第1章 漱石の視点
第2章 漱石の転換 -坑夫から三四郎へ-
第3章 『それから』から『門』へ
第4章 『彼岸過迄』から『行人』へ
第5章 『こころ』論
第6章 『道草』論
第7章 『明暗』の世界

【第3章 『それから』から『門』へ 】
 小森陽一は、『漱石を読みなおす』で小説に中に隠れた明治という時代語りましたが、本書では、漱石自身の内面が分析されます。
 『それから』は、父親の財産に頼って「高等遊民」を決め込む代助が、友人の妻を奪うという不倫小説です。著者は朝日新聞に掲げられた予告文を引用し、

『三四郎』における主人公の、好意を持ちながら好きだと言うことができないままに恋人を他に奪われてしまう消極的な生き方のそれからとして、、この作品では、まずその延長線上を生きている優柔不断の三十男代助を描いたあと、その消極的生活を脱却して「積極的生活」に入ろうとする代助の転機ー主人公の陥る「奇妙な運命」(三千代との不倫)ーを描き、更にここには書いてない「それからさき何うなるか」を、できることならば「積極的生活」として次の作品で書きたいというのが、『それから』執筆を前にした漱石のもくろみであった・・・

とし、ところがその「もくろみ」は失敗したと言います。代助は、三千代との生活の為に、真夏の東京の炎天下のなか職業を探しに行った筈で、代が「積極的生活」に踏み出すところで終わっていた筈です。

 叩いた門は閉じられていたという『』の、宗助とお米の崖の下の暗い生活を読むと、代助の「積極的生活」は成功しなかったようにも思われますが、もくろみの失敗は『それから』の中に既に現れていると言います。「白い百合」を飾って三千代の来訪を待ち、「二人は孤立の儘、白百合の香の中に封じ込められた」代助は、「積極的生活」へ踏み出すどころか、過去の閉じられた「消極的生活」への回帰だと云うわけです。
 そして鎌倉に参禅し、「自分は門を開けて貰いに来た。けれども門番は扉の向側にゐて、敲いても、遂に顔さえ出して呉れなかった。たゞ、『敲いても駄目だ。独りで開けて入れ』という聲が聞こえた丈であった。」という『門』へ至ります。

 前期三部作は、外部の世界(世間)に積極的に関わろうとしない自閉的な(著者は「自閉的な自我」と呼んでいます) 『三四郎』と、そこからの脱却を目指しながら失敗する『それから』『門』の世界だということです。「修善寺の大患」を挟んで、漱石は、(『三四郎』へ一旦後戻りして)『三四郎』の分身である須永を主人公に、『彼岸過迄』を書き、『行人』『こころ』の後期三部作でこの問題を更に深化させたというのです。

【第5章 『こころ』論-<自分の世界の>と<他人の世界>のはざまで-】

 『こころ』の最大の謎は、先生は何故自殺しなければならなかったのか?です。Kに対する「同性愛」的殉死の小森陽一説(『漱石を読みなおす』)、K=石川啄木と推理した上で、「大逆事件」に沈黙を守った漱石の「文学上の自殺」とした高橋源一郎説(『日本文学盛衰記』)がありました。本書では、先生を殺したのは「私」だというのです。

 著者はまず、『こころ』が(K以外)先生、私、奥さん、お嬢さんなど人称代名詞で成り立っていることに注目します。そして、この小説の語り手である「私」と、「遺書」の書き手である先生すなわち「私」のふたりの「私」が登場し、意識的に「私」と先生を意識的にダブらせる仕掛けになっていると言います。

『こころ』という作品は、いわば「先生」の前身である「私」という青年が、「先生」にめぐり合うことによって人生のとば口までさしかかる物語と、「先生」という「私」の後身がそのとば口から破滅へと歩まなければならなかった物語とを重ねあわすところに成立している・・・

小説であると分析します。つまり、先生は「私」の中に若き日の自分を発見し、「私」は先生の中に後年の「私」自身を発見したわけです。先生が「私」に出会ったことで自殺への道を歩み始めることが、『こころ』のポイントだというのです。

 『こころ』では、叔父による裏切り、先生の裏切りとKの自殺が描かれます。先生は叔父の裏切りによって人間不信となりますが、先生はKを裏切り自殺に追いやったことで自分もまた信用出来ない人間のひとりであることを自覚し、激しい自己嫌悪に陥ります。Kを裏切った自分が許せないほどの行為であれば、お嬢さんから身を引くこと出来た筈です。ところが、先生はすべてを隠して(自分自身をも騙して)お嬢さんと結婚しKの自殺後も生きながらえて来たわけです。

 今まで生き長らえてきた先生が、何故突然自殺したのか?。先生は遺書で乃木大将の殉死が引き金となって、明治の精神に殉じると書いていますが、「私」の出現こそがその引き金に他なりません。

<他人の世界>から「お嬢さん」だけを<自分の世界>の中に取り込み、そこに罪の意識と共に閉じこめて、それ以外の<他人の世界>を一切きり捨てることによってその困難を切り抜けたのだが、今「私」が「先生」に新たな<他人>として関わりを求めてきた時には、それと同じ方法はもはや通用しない。・・・今や「先生」には、自分をありのままの姿で<他人の世界>に対立させ、その対立の結果を真正面から受けとめること、つまり告白して自己を抹殺する以外に取るべき方法がなくなっているのである。

 これが、著者による「先生殺し」の犯人探しの結論です。「自閉的な自我」からの脱却を目指した三四郎の分身「先生」は、『こころ』に至って他人との関係をほとんど結べず、究極の「自閉」、自らを死に閉じ込めてしまいます。
 そして先生を「殺し」、東京行きの汽車に乗った「私」はどうなったのでしょう。小森説によると「私」は奥さん=お嬢さんと結婚するわけですが、『門』の宗助や「先生」とは違った道を歩むことになったのかどうか?...。

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