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沢木耕太郎 流星ひとつ [日記(2015)]

流星ひとつ
 1979年、沢木が、当時引退を控えた藤圭子にインタビューしたノンフィクションです。あとがきにあるように、ノンフィクションの「方法」を模索する沢木は、文章を一切加えずふたりの会話だけで成り立っている実験的な手法でこの本をまとめ、沢木の「迷い」で出版を思い止まった経緯があります。
 2013年藤圭子は投身自殺し、宇多田ヒカルと別れた元夫の「精神を病んだ果ての自殺」というコメントに対抗するように、一度は封印された本書が出版されます。出版の理由を、

彼女のあの水晶のように硬質で透明な精神を定着したものは、もしかしたら『流星ひとつ』しかのこされていないのかもしれない。『流星ひとつ』は、藤圭子という女性の精神の、最も美しい瞬間の、一枚のスナップ写真になっているように思える。

 歌手はその歌で評価されればいいわけですが、様々な伝説を背負った歌手の実像を知った沢木は、「精神を病んだ果ての自殺」と簡単に片付けることができず、このインタヴューの出版に踏み切ります。自殺に便乗する出版でないことは、沢木を読んで来た読者なら十分に理解できます。
 「水晶のように硬質で透明な精神」とは、たとえば昭和48年、家庭内のゴタゴタを週刊誌に書かれ、それが原因で「紅白」を落とされた時の話です。

向こうが出さないないっていうんだから、こっちも出るのやめようよ、来年のNHKのスケジュールをとるのはやめよう、って。そしたら、蒼くなって、そんなことはできないっていうわけ。でも、あたしはあたしの筋を通したかったんだ。選ばれた人より、あたしの方が劣っているとは、どうしても思えない。でも、NHKは劣っているとみなした。だったら、こっちにもNHKを拒絶する自由があるじゃない。

沢木は、「女にしておくには、もったいない性分だね、まったく」。

 藤圭子は、1969年「新宿の女」で歌手デビューし、『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』『命預けます』と立て続けにヒットを飛ばし、1979年に引退を突然表明アメリカに渡ります。沢木が言うように

1970年というと、ぼくが大学を卒業する年だったけど、ほんとに、この年はあなたの〈夢は夜ひらく〉の年だったなあ。
前を見るよな 柄じゃない
うしろ向くよな 柄じゃない
よそ見してたら 泣きを見た
夢は夜ひらく
これを聞くと、ぼくにも、よぎるものがある。何だかはっきりわからないけれど、体の奥の方から泡立つようなものがある

確かに「体の奥の方から泡立つようなものがあ」ります。
1960年が『アカシアの雨がやむとき』なら、1970年は『夢は夜ひらく』かもしれません。

 沢木耕太郎_藤圭子で検索するといろいろ出てきますが、そんなことはどうでもいいです。対象に惚れなければ(入れ込まなければ)ノンフィクションもインタビューも書きようがないわけですから、『流星ひとつ』が恋の告白であっても何ら不思議ではありません。そのように沢木は、『一瞬の夏』や『』、『キャパの十字架』を書いてきたのですから。

タグ:読書
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ktm

沢木さんの本は「深夜特急」が凄く印象に残っています。

by ktm (2015-12-28 19:10) 

べっちゃん

沢木耕太郎はたいてい読んでいるのですが、何故か「深夜特急便」だけ未読です。さっそく読んでみようと思います。
by べっちゃん (2015-12-28 21:11) 

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