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夏目漱石 道草 [日記(2016)]

道草 (新潮文庫)道草健三が遠い所から帰って来て駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう

という書き出しで始まる『道草』は、1915年(大正4年)6月~9月に朝日新聞に連載されます。1903年(明治36年)に イギリス留学から帰って駒込の奥に居を構え、第一高等学校講師、東京帝国大講師となり、三女栄子が誕生する半年あまりの自分自身を描いた自伝的要素の強い(と言われる)小説です。

 漱石は朝日新聞に入社し、『虞美人草』から『こころ』まで7年間「小説」を書いてきたのですが、何故またここに来て「自伝的小説」なのか?です。当時文壇は自然主義全盛の時代ですから、漱石もこの影響を受けたとも考えられますが、人間のエゴイズムを描き自我と闘ってきた漱石は、ここで自分という存在を検証する必要に迫られたのではないかと思います。

【何をしに世の中に生れて来たのか?】
 『道草』は、大学教師と思しき健三が、かつての養父・島田と出会い、れに触発された幼時の思い出と、細君・お住を始めとする健三を取り巻く人々の話から成り立っています。
 漱石は生まれて間もなく里子に出され1歳で内藤新宿の名主塩原昌之助(『道草』の島田)の養子となります。塩原が離婚したため9歳で夏目家に引き取られますが、夏目家に復籍して塩原金之助が夏目金之助となるのは21歳の時です。この実父母から拒絶され養父母の確執の中で過ごした幼児体験が、漱石の小説に色濃く影を落としている、というのが通説のようです。

「御前の御父おとっッさんは誰だい」
健三は島田の方を向いて彼を指ゆびさした。
「じゃ御前の御母おっかさんは」
健三はまた御常の顔を見て彼女を指さした。
これで自分たちの要求を一応満足させると、今度は同じような事を外の形で訊きいた。
「じゃ御前の本当の御父さんと御母さんは」

金之助は自分が島田夫婦の子供ではないことを知らされ、自分を養子に出したということで実父母からは拒絶されているわけです。父母の情愛を受けて育つべき幼年期に、早くも「孤独」を思い知らされるのです。さらに島田の離婚によってお常と夏目家に身を寄せ、その後再婚した島田に引き取られ、その後夏目家に戻ります。夏目小兵衛と千枝を祖父母と思い込む漱石は、夏目家の下女によって実父母だと知らされたといいます(『硝子戸の中』)。
 この不幸な幼児体験を『道草』に書くことによって、漱石は自分とは何者であるかを確認しているようです。漱石は自らに問います、
「御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ」
彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。彼はそれに答えたくなかった。なるべく返事を避けようとした。するとその声がなお彼を追窮し始めた。何遍でも同じ事を繰り返してやめなかった。彼は最後に叫んだ。
「分らない」の声は忽たちまちせせら笑った。

【世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない】
 登場人物は健三、お住夫婦のほか
島田:健三が9歳になるまでの養父。離婚し、困窮し健三から脅しまがいに金を引き出そうとする。
お常:島田の元妻で健三の養母。健三に小遣いをせびりに現れる。
お夏:健三の腹違いの姉。健三から貰う小遣いの増額を要求。
比田:お夏の夫、女を囲いっている。
健三の兄:小役人、リストラに怯えている。
お住の父:元高級官僚で現在浪人。相場で失敗し健三に借金を依頼。
 
 漱石の小説には「金銭」の話がよく出てきます。『道草』では、健三と登場人物の関係はほぼこの問題で埋め尽くされています。当時の漱石は、第一高等学校講師(年俸700円)、東京帝国大講師(年俸800円)を兼任し月125円の収入を得ていますから、まずまずの暮らしが成り立っていた筈ですが、留学中に生じた借金、熊本から東京に引っ越す際に生じた借金の返済などがあり。夏目家の家計は楽ではありません。江藤淳によると、五高教授の給与は年俸1200円ですから、実質昇給していますが、漱石が留学する前に比べ物価は上昇、熊本と東京の地域差を考えると、家計は熊本時代より苦しかったようです(『漱石とその時代(第二部)』)。

 『道草』は、過去のしがらみを持ち出し、島田、お常、お夏、お住の父が健三に金を無心するという小説です。金銭は絡みませんが、比田、健三の兄も決してほめられる人間としては描かれません。健三は彼等を蔑みながらも小遣いを渡し、島田の脅しには100円の金を作り島田との交渉を比田と兄に任せ、妻の父親にも借金して金を工面をします。ここには、妻の貞操を試すドラマ(『行人』)も、友人の妻を奪い(『それから』)親友を裏切る(『こころ』)ドラマもありません。漱石は、東京帝国大学を出て留学までした第一級の知識健三と、健三自身も彼が蔑む人たちと同じ土俵で生活している姿を描きます。彼らを見下す健三もまた同類であるという作者漱石の覚めた眼があります。
 健三が蔑む「同類」に妻のお住がいます。

 彼は自分の新たに受取ったものを洋服の内隠袋から出して封筒のまま畳の上へ放り出した。黙ってそれを取り上げた細君は裏を見て、すぐその紙幣の出所を知った。家計の不足はかくの如くにして無言のうちに補なわれたのである。
 その時細君は別に嬉しい顔もしなかった。しかしもし夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい顔をする事が出来たろうにと思った。健三はまたもし細君が嬉しそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた。

 家計の足しに新たなアルバイトを始め、その収入をお住に渡す時の描写です。漱石が描いたのは、嬉しい顔をしなかった細君ではなく、優しい言葉を掛けられなかった健三です。
 『道草』のラストは、

「世の中に片付くなんてものは殆ほとんどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るから他ひとにも自分にも解らなくなるだけの事さ」
健三の口調は吐き出すように苦々しかった。細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好いい子だ好い子だ。御父さまの仰おっしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」
細君はこういいいい、幾度いくたびか赤い頬ほおに接吻せっぷんした。

  「世の中に片付くなんてものは殆ほとんどありゃしない」と苦々しくつぶやく健三、「御父さまの仰おっしゃる事は何だかちっとも分りゃしないわね」と暗に夫を非難して赤ん坊にキスする細君、絵に描いたような夫婦の断絶です。それとも、赤ん坊にキスする母性を最後に置くことで、漱石は『道草』の閉塞感から一歩踏み出そうとしたのかもしれません。ひょっとして、宗助の前で閉じられたていた『門』が開きかけたのでしょうか?。


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