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加藤哲郎 ゾルゲ事件 覆された神話 (2014平凡社新書) [日記(2018)]

新書725ゾルゲ事件 (平凡社新書)  本書は、「ゾルゲ事件」を

 a) 1930年代、上海と東京で行われたゾルゲ、尾崎秀実の諜報活動そのもの
 b) 戦後、ゾルゲ事件を米ソ冷戦下、マッカーシズムの影響下での「ゾルゲ事件」の変貌

のふたつに分け、主にb)ついて書いたものです。それは章立てを見ると明らかです、

第1章 ゾルゲ事件はいかに語られてきたか
第2章 ゾルゲ事件イメージのルネッサンス
第3章 松本清張「革命を売る男・伊藤律」説の崩壊
第4章 川合貞吉はGHQウィロビーのスパイだった
第5章 検挙はなぜ北林トモ、宮城与徳からだったのか
第6章 ゾルゲ事件の二重の「始まり」

 著者の言う「神話」とは、

1)尾崎が獄中から家族に宛てた書簡集『愛情は降る星の如く』によって流布されたの反ファシズムの愛国者
2)GHQのウィロビーによる『赤色スパイ団の全貌ーゾルゲ事件』による共産主義の脅威
3)1964年に「ソ連邦英雄」となったゾルゲの復権

の3点です。近年の情報公開とソ連の崩壊によって新資料が出現し、この神話が崩れ(一部修正され)ます。著者は、新発見の資料を元に「ゾルゲ事件」に新たな光を当てます。残念ながら、光が当てられるのはゾルゲ「事件」でありリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀樹ではありません。
 興味深いのは、ゾルゲ事件と米国共産党の関係を明らかにした第5章、ゾルゲと尾崎を引き合わせた鬼頭銀一を手がかりに上海ゾルゲ・グループに迫る第6章です。

ウィロビー
 冷戦と中華人民共和国の成立によって、アメリカは労働運動の拡散、同盟国の共産化を恐れ、非米活動委員会の下で自国の共産主義者の摘発に乗り出します(ローゼンバーグ事件、マッカーシズム)。これと歩調を合わせ、日本の占領政策が、民政局(GS)の民主化・非軍事化から、参謀第二部(G2)の反共防波堤の「逆コース」に変わります。G2のチャールズ・ウィロビーは、中国共産党を取材したスメドレーを赤色スパイに仕立て上げ「赤狩り」を言論界に及ぼすため、「ゾルゲ事件」に目を付けます。ゾルゲ、アグネス・スメドレー、尾崎秀実の「上海ゾルゲ諜報団」とゾルゲ、尾崎秀実、宮城与徳、クラウゼン、ブーケリッチのラムゼイ機関(東京ゾルゲ諜報団)を、赤軍情報総局(第四部)所属のゾルゲによる「共産主義の陰謀」として発表し反共情報戦に利用します(1949年)。

川合貞吉
 ウィロビーの謀略に一役買うのが、ゾルゲ事件の被告として懲役10年の判決を受け1945年に出所した川合貞吉です。
 川合は、1928年に中国に渡り、尾崎を通じてスメドレー、ゾルゲと知り合い、尾崎が帰国後もスメドレーに協力し情報収集にあたる。船越寿雄、河森好雄らジャーナリストを「上海ゾルゲ諜報団」に引き入れ、帰国後「東京ゾルゲ諜報団」に加わって1941年検挙されます。ゾルゲ、スメドレーと親交があったことで、スメドレーをスパイに仕立て上げたいGHQの格好のターゲットとなったわけです。川合は以後GHQに協力しG2のエージェントとなります。「第4章 川合貞吉はGHQウィロビーのスパイだった」がこれに当たります。ゾルゲ諜報団のメンバーがGHQのスパイとなる戦後史の断片としては面白いですが、ゾルゲ事件の脇役に過ぎず、ゾルゲの諜報活動の本質に関わる人物ではありません。

鬼頭銀一
 尾崎をゾルゲに引き合わせた人物として、またゾルゲと中国共産党(周恩来)の接点に当たる人物として?、本書で重要な位置を占める人物です。
 鬼頭は、1925年に渡米しコロラド州デンバー大学に入学、27年に米国共産党に入党し、米国共産党日本人部書記となります。1929年、コンミンテルンの指示で安南経由で上海に渡り「上海ゾルゲ機関」の有力な一員となります。帰国した後も尾崎と接点があり、後パラオに渡り1938年謎の死を遂げます。ゾルゲ検挙の41年にはすでに死んでいますから、調書に名前が見える程度で捜査の対象からは外れています。

 ゾルゲ事件で鬼頭の名が最初に現れるのは尾崎の調書です。上海特派員時代(昭和5年頃)、コミンテルンのメンバーである鬼頭と知り合い、鬼頭からはジョンソン(ゾルゲ)という米人を紹介されます。その後の尾崎の調書では、(ゾルゲの調書に合わせるかの様にー取り調べでゾルゲの調書を読まされたんでしょう)「ジョンソン」の紹介者は鬼頭からスメドレーへと変わります。一方ゾルゲは、鬼頭については名前は知っているが上海ゾルゲ諜報団のメンバーではなく会ったこともないと、鬼頭との関係を強く否定します。誰が尾崎とゾルゲを結びつけたのかという問題ではなく、鬼頭銀一という存在を消すことによって何かを隠そうとしたのではないか、というのが著者の推測です。

 ゾルゲは上海でモスクワの指令を中国共産党に伝える役割を果たしており、相手はコードネーム「モスクヴィン」を持つ周恩来であった。中国共産党の周恩来が指導する特務機関、藩漢年・康生らの「中共中央特科」、孫文未亡人・宋慶齢・・・たちが関わっていた。(p181)
 ゾルゲは、彼の中国での諜報活動にとって核心的に重要な人物(陳翰笙、王学文、鬼頭銀一等)を、日本の官憲に対する手記・供述では意識的に軽く扱うか、隠蔽している。主任務の一つである周恩来、藩漢年ら中共中央特科との関係は、完全に秘匿している。(p186)

 周恩来が登場し、中共中央特科なる諜報・謀略組織が登場します。ゾルゲは何故中国共産党との関係を(日本の官権に)隠したかったのか?。当時の上海は、ソ連共産党、ソ連赤軍、コミンテルンなどの諜報組織が入り乱れ相互牽制の状態にあり、それらの組織から中国共産党との関係を隠したかった、あるいは、第四の諜報組織に属する(あるいは率いた)鬼頭との関係そのものを隠したかった、というのが著者の推測です。二重スパイ、三重スパイの疑いをかけられていたゾルゲの保身かも知れません。

 鬼頭は、パラオで謀殺を疑わせる食中毒で死んでいます。謀殺を疑うほどに鬼頭銀一は謎に満ちた人物です。魔都上海の闇に蠢く諜報世界の謎です。

米国共産党日本人部
 米国共産党は、労働運動や反戦運動を組織するオモテの顔と、コミンテルンの司令を受けて活動する「ウラの顔」があり、鬼頭は中国に渡っていますから、このウラの顔に属するコミュニストだったと考えられます。帰国してゾルゲ諜報団の一員となった宮城与徳もウラの顔に属していたことになります。

人種のるつぼアメリカは、ソ連=コミンテルンの必要とする国際工作員の格好の供給源であり、活動資金のドルの調達も容易です。米国共産党は16の言語部を持ち、必要に応じて英語と現地の言葉を操れる工作員としてリクルートしていたと考えられます。

 「ウラの顔」とは、ソ連国家・ソ連共産党の要請に応じてアメリカから世界に工作員を送り出す、コミンテルンの秘密機関・国際連絡部(オムス、OMS)に直結する活動だった。OMSは、コミンテルンばかりではなく、赤軍GRUや内務人民委員部NKVD要員の偽造パスポート作成・出入国、国際連絡、秘密資金授受などでも重要な役割を果たした。(p155)
 ソ連のアジア工作は、モスクワのコミンテルン指導者クーシネン・・・らを介して、一時的にドイツから、ヒトラー政権成立後はおおむねアメリカ経由で、米国共産党書記長アール・ブラウダー・・・らの手で進められた。


 コミンテルンは宮城与徳をゾルゲの支援者として東京に派遣しゾルゲと尾崎を再会させ、「東京ゾルゲ諜報団」を組織します。ゾルゲの日本潜入はニューヨーク経由であり、クラウゼンも米国を経由して横浜に上陸しています。ゾルゲは米国共産党に東京での日本人協力者の斡旋を、クラウゼンは無線機に使う米国製の真空管を依頼したものと想像されます。当時、米国共産党の言語別部(日本人部も)は党書記局の直轄でニューヨークに本拠を置いています。ゾルゲはNY経由で来日していますから、すでに32年末に東京派遣が決まっていた宮城とNYで会っていた可能性があります。

 かなりマニアックで、「ゾルゲ事件」を概観するには不適当な本です。個人的には、ゾルゲと米国共産党、コミンテルンの関係、鬼頭銀一の存在からゾルゲと中国共産党の関係が浮かび上がるなど、興味深い一書でした。

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