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映画 二十四時間の情事(1959仏日)  [日記(2018)]

二十四時間の情事 ヒロシマ・モナムール アラン・レネ HDマスター [DVD]  原題、”Hiroshima mon amour”、『ヒロシマ・モナムール』。広島に「平和」に関する映画撮影に来たフランスの女優と日本人男性の24時間の恋を描いています。原爆が背景にありますから反戦映画と見るか、それともラブストーリーと見るかです。”Hiroshima”を取るか”mon amour”を取るかですが、じつは分かちがたく結びついています。


君はヒロシマで何も見なかった(男)
全てを見た、病院へ行った、資料館に4回行った(女)

と男女の会話と女のモノローグにのせて、情事の映像(手と背中だけ)と原爆のニュース映像が交互に映し出されます。映画撮影で広島を訪れた女優と日本人男性が恋に落ち情事に発展したようです。いきずりの恋です。女は明日帰国するため、ふたりに残された時間は24時間、これが邦題の由縁です。
 ふたりの出会いも、名前も明らかにされません。名前が無いことも、この映画の企みです。ヒロシマ1.jpg ヒロシマ2.jpg
 冒頭の男女の会話がこの映画で重要な意味を持ちます。会話はほとんど女のモノローグで、彼女はニュース映像や資料館の原爆の惨状を語り出します。

 (原爆投下後)二週間後、広島は花に覆われた、焼け跡から花が咲く (女)
 それは作り話(男)

それは記憶の美化だと男は言います。

 愛の中にもそんな幻想はある
 決して忘れないという幻想
 ヒロシマを前に 忘れないという幻想を抱いた
 愛の幻想と同じ

 あなたのように私も忘却を知っている(女)
 君は忘却を知らない(男)
 私にも記憶がある 忘却も知っている(女)
 君に記憶はない(男)
 あなたと同じように 私も全力で忘却と闘った
 あなたと同じ 私も忘れた
 私も癒やされぬ記憶を持ちたかった 影と石の記憶を
 私も全力で闘った
 なぜわすれてはならないかを 見失う怖さを相手に
 あなたと同じ 私も忘れた
 記憶が要るのは当然なのに なぜ否定するの?(女)

 男が記憶を失ったという発言はありませんから、「あなた」とは男ではなく擬人化された「ヒロシマ」ではないかと思われます。ヒロシマの記憶とは、ニュース映像であり、原爆ドーム、資料館に残された原爆の資料です。戦争が終わって14年の1959年、ヒロシマは原爆の記憶は風化し、女もまた「全力で忘却と闘った」記憶が風化したということの様です。
 話はヒロシマの原爆から「記憶の忘却(風化)」に、女の「癒やされぬ記憶」に移ります。「愛の幻想」という言葉が出てきますから、愛に関わる記憶なのでしょう。

 女の記憶が徐々に明らかになります。女はヌヴェール(仏エニーヴル県)で育ち、18歳の時ドイツ兵と恋に落ちます。ヴィシー政権下でナチス・ドイツがフランスを占領していた頃です。20歳の時、それはフランスがドイツから解放される時、ドイツ兵と女は駆け落ちを約束し、待ち合わせの場所でドイツ兵は村人に殺されます。敵兵と関係を持った女は村人の制裁を受け、髪を切られ丸坊主にされます。これが女の記憶です。
 女は「全力で忘却と闘った」にもかかわらず、記憶は忘却の淵に沈みつつある。原爆の記憶の風化と自分の愛の記憶の風化を重ね、ヒロシマで男と出会い、男の中にドイツ兵を見つけ行きずりの恋に落ちます。

 ラストの男と女の会話、

 あなたの名はヒロシマ(女)
 君の名はヌヴェール(男) ・・・FIN

 ヒロシマとフランスのヌヴェールが繋がり、時空を越えてふたつの記憶が出会う物語です。これが男と女に名前が与えられずアノニマスであった理由です。『夜と霧』のアラン・レネが描いたもうひとつの「戦争」です。

監督:アラン・レネ
脚本:マルグリット・デュラス
出演:エマニュエル・リヴァ 岡田英次

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