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司馬遼太郎 翔ぶが如く(1) [日記(2018)]

新装版 翔ぶが如く (1) (文春文庫) 新装版 翔ぶが如く (2) (文春文庫)  泣こよっか、ひっ翔べ

 征韓論、西郷下野から西南戦争に至る、司馬遼太郎お馴染みの歴史小説です。冒頭で、洪水で流れてきた赤い鼻緒の下駄を見て、西郷が
下駄さァ、こんぅ風ぜぇ、どこずい、おじゃすか
と下駄に呼びかけたという逸話を紹介し、作者は、
こういう優しさとユーモアは当時の薩摩人に大なり小なり共通していたものがあり、この機微がわからなければ、うかつに薩摩のことは書けない
と言います。文庫本で10巻のこの長編小説は、薩摩人の優しさとユーモアをkeyに、巨人・西郷隆盛を描いています。西郷に直接語らせるよりも(もちろんそれもありますが)、西郷の行動を追い、西郷を取り巻く川路利良や桐野利秋、大久保、木戸、江藤、大隈等に語らせることで西郷その人に迫るという手法が取られます。西南戦争という新政府崩壊の危機を、彼らがどう乗り越えた回避したのかという群像劇です。

【薩摩人】
 作者によると、薩摩人が共通して持っている勇猛さ、優しさ、ユーモアは、「郷中」教育によって育まれたものだといいます。薩摩藩は鎌倉以来の士風を守るために

 すべての少年は「郷中」に所属し、郷中で少年たちを相互に切磋琢磨させた。教育の目標は学問ではなく、心のさわやかさをもって第一とし、臆病をもっとも卑しいものとし、勇強を尊ぶがしかし弱者や年少者へのいたわりのないものを軽蔑した。

 郷中における集団生活で、男子としての美学、倫理が徹底して叩き込まれ、薩摩武士が出来上がります。郷中=若衆宿は、九州、四国、紀伊半島に分布する風習であり、黒潮に乗ってやってきた古代日本人との関係が指摘されています。上代、中央に反乱を繰り返した隼人の血を受けついだ薩摩人の特異性かも知れません。流れてゆく下駄に話しかけた西郷には、郷中教育で養われた薩摩隼人が色濃く流れているということのようです。

【征韓論】
 西郷、征韓論、西南戦争は三位一体です。征韓論を唱えて破れた西郷が下野し、鹿児島の不平士族とともに西南戦争を起こしたというのが、教科書的理解ですが、西郷は何故征韓論を唱えたのか、維新の最大の功労者である西郷は何故西南戦争を起こしたのか、そこから西郷隆盛を理解しようというのが『翔ぶが如く』の主題です。

 西郷の征韓論には、その師とも言うべき島津斉彬のアジア政策があるといいます。松平春嶽によると、アヘン戦争で清を蚕食するイギリスを恐れる斉彬は、機制を制しシナ(中国)に攻め入り日中韓、ベトナムを含めたアジア連合によってロシアを含む西欧列強の進出を阻もうとする構想を持っていたようです。斉彬の忠実な弟子である西郷の征韓論には、このアジア政策があったわけです。

 もうひとつは、当時の武士階級の疲弊。廃藩置県(明治4年7月)によって大名、士族階級は、土地人民の支配権を失い、徴兵制が布かれ士族階級の最後の名誉であった「武」の特権まで奪われ庶民に転落します。いわば300万?の武士が失業したわけです。新政府に対する不満は士族に限ったことではなく、働き手を徴兵制で奪われ、地租改正に喘ぐ庶民よる一揆が各地で頻発し、あたかも革命前夜の様相を呈します。
 廃藩置県は、薩摩、長州、土佐の献上軍・御親兵(後の近衛軍)の武力を背景に断行されたわけです。近衛軍は、自らの武士の特権と誇りを否定するするために廃藩置県を行ったという自己矛盾を抱え、不満の坩堝と化します。岩倉使節団が明治4年11月に日本を離れたため、留守を守る陸軍大将・西郷がひとりこの不満を抑える役目を担わされます。これ以上不満を抑えられないと考えた西郷は、不満のはけ口としての外征、征韓論に行き着きます。

 軍制が整わず膨大な借金をかかえて破産寸前の新政府に外征の能力はありません。朝鮮を攻めれば、敵は朝鮮にとどまらず、清国、西欧列強を敵に回すことにもなりかねず、そうなっては国家存亡の危機。近代国家建設を優先する大久保の反征韓派と不平士族に支持された西郷の征韓派の抗争、荒っぽく言えばこれが「征韓論」の姿です。

 作者によると、大久保と西郷の征韓論をめぐる確執は、両者の「国家成立の原理的課題」の相違だといいます。

 西郷は国家の基盤は財政でも軍事力でもなく、民族がもつ颯爽とした士魂にありと思っていた。そういう精神像が、維新によって崩れた。というよりそういう精神像を陶冶してきた士族のいかにも士族らしい理想像をもって(西郷は)新国家の原理にしようとしていた。しかしながら出来上がった新国家は、立身出世主義の官員と利権と投機だけに目の色を変えている新興資本家を骨格とし、そして国民なるものが成立したものの、その国民たるや、精神の面でいえば恥ずべき土百姓や町人にすぎず、新国家は彼らに対し国家的な陶冶をおこなおうとはしない。こういう新国家というものが、いかに将来国庫が満ち、軍器が精巧になろうとも、この地球において存在するだけの価値のある国家とはいえない、と西郷はおもっている。

 作者は、さらに西郷の言葉を引用します

「外征することによって逆に攻められてもよい。国土が焦土に化するのも、あるいは可である。朝鮮を触ることによって逆にロシアや清国が日本に攻めてくることがあるとしても、それはむしろ歓迎すべきである。百戦百敗するとも真の日本人は焦土のなかから誕生するにちがいない。国家にとって必要なのはへんぺんたる財政の収支や、小ざかしい国際知識ではない」

 江戸を焦土と化し慶喜の首を刎ねないと革命は成就しないと考えていた西郷ですから、征韓論の底にこの思想があっても不思議はありません。
 西郷の個人的な事情もあります。西郷は、遣韓施設として渡韓し殺されることを望んでいたと言います。西郷が殺されれば戦争となり、士族の反政府エネルギーを戦争という形で開放することができます。新国家建設の構想を持たない西郷は、参議、陸軍大将、近衛都督して祭り上げられて無用の長物となった自分の死に場所を求めたいたといいます。

タグ:読書
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サンフランシスコ人

「岩倉使節団が明治4年....」

サンフランシスコに来ました!
by サンフランシスコ人 (2018-12-16 06:52) 

べっちゃん

明治4年7/14に廃藩置県を断行し、岩倉、木戸、大久保は11/12に岩倉使節団として欧米視察に出かけます。武士階級から土地と人民を取り上げるという大改革をやっておいて、後はよろしくというわけですから、残された西郷はたまったものではありません。「征韓論」には、こうした心象風景もあるのでしょう。
by べっちゃん (2018-12-16 10:09) 

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