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佐藤 優 十五の夏(下) [日記(2019)]

十五の夏 下  続きです。図書館で借りたため時間が開いてしまいました。著者、十五歳の佐藤優氏はキエフからモスクワに入り「ラジオ・モスクワ」日本語課を訪問します。この奇妙な訪問に至った経緯が語られます。

 中学3年生の頃、筆者は「ラジオ・モスクワ」の熱心なリスナーだったようです。1970年~80年にかけて、所謂SWL(BCL)ブームが起こり、彼もまた短波ラジオで海外放送を聞くことを趣味を趣味としています。当時は日本語放送が多くあり、放送局に受信レポートを送ると、ベリ・カードや番組表を送ってくれました。特にモスクワ放送のリスナー・サービスは手厚く、筆者はロシアへの傾斜を強め、モスクワ放送の東京支局を訪問し、日ソ交流の団体と接触します。
 その団体で知り合った日本人からロシアに関する情報を吸収します。この辺りになると、15歳の中学生・優くんが、元外務省主任分析官でロシアの専門家・佐藤 優氏に変貌します。筆者(佐藤 優氏)は、元日本陸軍の情報将校、シベリア抑留の経験者、露文学科の大学生などを登場させ、北方領土問題など戦後の日ソ外交を展望します。歯舞、色丹二島返還論です。択捉、国後はサンフランシスコ条約で放棄され、歯舞、色丹は日ソ善隣友好条約を結べば返還される。まず二島返還論を実現しソ連関係を改善すべきだ、と云うわけです。これは佐藤 優氏の持論のようで、安部・プーチン会談が行われた昨年にはさかんに発言しています。
 ロシア外交の専門家ですから分からなくはないのですが...。

 著者はモスクワからウズベキスタンのバハラを訪れて中央アジアを体験し、ハバロフスクを経由して日本に帰り着きます。この後優くんは、同志社大学・神学部から外務省を経て作家となります。この旅行が彼の人生に何をもたらしたのかは推測する他はありませんが、優くんは訪れた国で観光はせず、バスに乗り市場を訪れ人々と触れ合うことでその国を体験します。15歳の少年が東欧、ソ連を旅行して学んだのは、異文化、民族と文化の多様性ということではないかと思います。

 1975年当時、15歳の高校生が東欧・ソ連をひとりで旅行することは珍しい「事件」ではありますが、40数年経ってそれを本にする意味がいまひと分かりません。

タグ:読書
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