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磯田道史 素顔の西郷隆盛(2018新潮選書) [日記(2019)]

素顔の西郷隆盛 (新潮新書)  『武士の家計簿』、NHKの歴史番組『英雄たちの選択』の磯田道史氏です。番組で取り上げる人物、事件の多彩さ、磯田センセイの斜めから読む解説が面白く、この番組は結構好きです。その磯田センセイがどんな西郷隆盛像を描いてくれるのか?。

 語り口も平明、時に軽妙、引用も原文ではなく現代語訳され、西郷の側近くにいた人の証言から人物に迫っていますから、読み易いです。

栄達して多くの美妾を集めているという噂の新政府高官に西郷がこう言いました。「ずいぶん、美形を集めとるそうですなぁ」「西郷さんも美形はどうですか」「うちにも美形はおります、おーい」と西郷がポンポン手を叩くと、ワン! と吠えながら雌犬がやってきたそうです、 などなど。

 「西郷さん」と庶民から親しまれているにもかかわらず、大久保利通、木戸孝允などと比べるとイメージし辛い人物です。明治維新の最大の功労者にして西南戦争による大謀反人。大政奉還した幕府を戦争に引き出すために倒幕の密勅を捏造し、江戸で火付け強盗をさせ幕府を煽る謀略家の顔と、江戸城無血開城、朝敵庄内藩への温情など、様々な顔を持つ人物です。実のところ、”素顔の細郷さん”とはどんな人だったのか?。

 憑 依
 司馬遼太郎は、西郷を巨大な感情量の持ち主と表現して表現していましたが、著者は、

々西郷は、目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまうようなところがあります。たとえば犬と一緒にいて、犬がウナギを食べたいそぶり見せると、自分も大好物なのにあげてしまう。・・・自他の区別がない、他人と境目がないばかりか、犬と自分の区別さえもないところがありました。だから、一緒にいるとやがて餅みたいに共感で膨れ上がり、一体化してしまう。自分と他者を峻別するのが西洋人とするなら、それとは違う日本的な心性を突き詰めたのが西郷であり、だからこそ時代を越えた人気があるのだと思います。

感情量のスケールが並外れているわけです。当たり前ですが誰にでも憑依するわけではなく、自分と位相が同じ人物に、並外れた感情で同化してしまわけです。これが西郷という人物の基本トーン。

 島流し
 西郷は、二度の遠島にあっています。この遠島が西郷の節目だと著者は云います。1度目は、将軍職の慶喜擁立運動が祟って幕府から追われ、斉彬の死もあったのでしょうが、月照と入水自殺を図り生き残ります。何も男同士心中することはないでしょうが、これも西郷の「憑依」が引き起こした事件です。藩は西郷を死んだものとして奄美大島に逃がし、3年間大島で過ごします。西郷は、藩に隷属させられ奴隷に等しい環境の島の人々を目の当たりにしたはず。この体験が、西郷の革命思想の原点になったのではないかと著者は考えます。

 久光によって呼び戻された西郷は、「地ゴロ」発言と独断専行が祟って、今度は徳之島・沖永良部島に流されます。文久元年(1861年)11月に帰ってきたと思ったら、翌年の6月にはまたも島流しという忙しさ。この間「寺田屋騒動」があり、久光としては藩内の過激派を一掃したかったのでしょう。

私(著者)は、西郷はここでもう一度変わったと思うのです。・・・浪人が集まって尊王だ攘夷だとわいわい騒ぎ、それで国が変わるかというと、そうではない。藩ぐるみの軍事力を動員し、その力でもって日本は変えるものであり、官僚機構と軍隊組織という固い基盤をもって自分の政治意志行うべきである・・・

そのためには君主さえも騙していいし、久光を騙すと同時に、天皇の命令でさえ非義の勅命、つまり正しくない勅命は勅命ではない。もっと言うなら、正しくないこと言う天皇は天皇ではない、とまで言いかねない思想へと近づいていったように感じます。

リアリスト西郷の誕生です。並外れた感情量を持ち、平等・博愛の革命思想を持ったリアリスト、それが西郷さんというわけです。とまぁ一般啓蒙書ですから、磯田センセイも気楽に書いています。

 個人的に気になったのは「留守政府」と「征韓論」。
 廃藩置県で一区切りついた岩倉、木戸、伊藤、大久保等は、自分たちが帰るまで新しい事は一切するなと言いおいて外遊します。留守を預かった西郷は、 府県の統廃合(3府72県)、学制の制定、身分制度撤廃、 陸軍省・海軍省の設置、国立銀行条例、徴兵令、地租改正条例の布告など次々に重要な改革を推し進めます。「留守政府」という呼称は、後に政争に勝ち残った外遊組を視点であり、明治5~6年の時点で、西郷たちが本来の政府で岩倉たち外遊組は政府派遣の視察団だというのです。
 「韓論」、「韓論」です。この「韓論」に敗れて西郷は下野し、板垣、江藤、副島等が新政府を去ります。この明治6年の政変、「韓論 論争」は、二年近くも国を留守にしていた岩倉、大久保、木戸、伊藤たちによる主導権回復運動だったのではないか?(毛利敏彦 著『明治六年政変』)。いずれも「なるほど」です。

 今更と言われそうですが、目からウロコの一冊でした。

タグ:読書
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