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ユヴァル・ノア・ハラリ サピエンス全史(下)  宗教 [日記(2019)]

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福続きです。
宗教
 社会秩序とヒエラルキーで分断されていたホモ・サピエンスが、全世界と全人類を視野に入れ統一へと動き出します。統一というより周辺を飲み込むといった方がいいでしょう。その原動力が、貨幣帝国そして宗教だといいます。排他的で不寛容な宗教が世界のグローバル化を如何に推し進めたのか、です。
 著者は宗教を、

 超人間的な秩序(神)の信奉に基づく、 人間の規範(戒律あるいは律法)と価値観の制度


と定義します。まぁ何となく分かります。一言で言えば、宗教もまた共同の幻想、擬制であり、幻想と擬制を維持するために規範、戒律を持つということでしょうか。
 原始的な宗教は、狩猟採集社会で生まれた動植物など自然に対する信仰、アニミズムです。狩猟採集社会が農耕社会に移り、信仰の対象は動物や自然を越え抽象化された概念、共同幻想=宗教へと変わります。これは、農耕、牧畜によって自然の一部、小麦、羊などを支配下に治めたからだといいます。所有物は信仰の対象とはならないわけです。

多神教と一神教
 最初の宗教は、作物の豊穣を祈る神、自然災害から逃れる神、病を治す神と様々な神の存在する多神教だったと考えられます。主流である多神教と並列して、少数ながら唯一の絶対神を持つ一神教(「局地的一神教」と著者は呼びます)もあったと思われます。その主流の多神教を押し退けて、どのようにキリスト教、イスラム教の一神教が勢力を拡大していったのか?。

やがて多神教の信者の一部は、自分の守護神をおおいに気に入ったので、多神教の基本的な考え方からしだいに離れていった。彼らは自分の神が唯一の神で、その神こそがじつは宇宙の至高の神的存在であると信じ始めた。
とはいえ同時に、彼らはその神は関心を持ち、えこひいきをすると考え続け、その神とは取引ができると信じていた。こうして一神教が生まれ、その信者たちは、病気から快復したり、くじで当たったり、戦争で勝ったりできるよう、宇宙の至高の神的存在に嘆願した。

 「取引」とは「契約」のことだと思われます。”アンタひとりを崇める代わりに願いを叶えてね”ということでしょうか。あまり説得力のある答えとは思えませんが。ケースケースで崇める神を変えるより、万能の神を崇めるほうが便利は便利です。

人間の崇拝

 現代の宗教を論じた12章の「人間の崇拝」は、多神教→一神教がハギレが悪かったのに比べ明快です。神が死んだ?現在、宗教の最大のものは自由主義社会主義だと言います。つまり、神が形を変えイデオロギーという衣をまとって新たな宗教として登場したわけです。
 自由主義、社会主義の根底には、人間(ホモ・サピエンス)至上主義があるといいます。人間こそ唯一絶対のものでるという、神を人間にすり替えた新たな宗教の誕生です。

 例えば社会主義は、マルクスやエンゲルス、レーニンによって唱えられ(イエスやモハメッド)、『資本論』のような聖典や預言の書があり(聖書やコーラン)、5月1日(メーデー)や10月革命の記念日のような祝祭日があります。超人間的な秩序の信奉に基づく、 人間の規範と価値観の制度という宗教の定義にぴったり当てはまります。あらゆる人間は平等であるという考え方は、あらゆる魂は神の前に平等であるという一神教の信念の焼き直しにすぎない、と著者はいいます。
 自由主義はどうか。社会主義ほど明らかな創始者や経典はありませんが、自由主義的な信念は、これも各個人には自由で永遠の魂があるとするキリスト教の伝統的な信念の直接の遺産だといいます。自由主義的な人間至上主義の主要な戒律は、一まとめに「人権」と言われるものです。
 自由主義も社会主義も、キリスト教やイスラム教のように積極的に「宣教」を行います。自由が制限される地域に「お節介にも」出掛け、武力をもってイデオロギーを押し付けます。

 社会主義、自由主義とともにもうひとつの人間至上主義の宗派があります。「進化論」的な人間至上主義で、その代表がナチスズムだといいます。人類は不変で永遠のものではなく、進化も退化もしうる変わりやすい種だとしたうえで、人類は超人に進化することもできれば、人間以下の存在に退化することもありうるというのです。人類の最も進んだ形態はアーリア人種であると考え、アーリア人種の純血を護るために、ユダヤ人やロマ、同性愛者、精神障害者のような退化したホモ・サピエンスは隔離され、さらには皆殺しにさえしなければならないとナチスは主張し実行したのです。ナチス党大会の映像を見ると(文化大革命も同じ)、ナチズムは宗教と変わりの無いことは一目瞭然です。アーリア人種至上主義は人間至上主義のヴァリエーションのひとつに過ぎません。
 イデオロギーと宗教の本質を見抜いたわけですから、人間は何故宗教やイデオロギーを必要とするのか?何故ドイツ人がナチズムに走ったか?まで突っ込んで欲しかったのですが、それはありません。

 

 著者は、現在の世界を動かす自由主義と社会主義を、一括りに人間が産み出した幻想、擬制として片付けますが、問題は幻想が行き着くその先です。第12はこう締め括られます。

 自由主義の人間至上主義の信条と、生命科学の最新の成果との間には、巨大な溝が口を開けつつあり、私たちはもはやそれを無視し続けるのは難しい。
 私たちの自由主義的な政治制度と司法制度は、誰もが不可分で変えることのできない神聖な内なる性質を持っているという信念に基づいており、その性質が世界に意味を与え、あらゆる倫理的権威や政治的権威の源泉になっている。これは、各個人の中に自由で永遠の魂が宿っているという伝統的なキリスト教の信念の生まれ変わりだ。だが過去二〇〇年間に、生命科学はこの信念を徹底的に切り崩した。人体内部の働きを研究する科学者たちは、そこに魂は発見できなかった。

 彼らはしだいに、人間の行動は自由意思ではなくホルモンや遺伝子、シナプスで決まると主張するようになっている──チンパンジーやオオカミ、アリの行動を決めるのと同じ力で決まる、と。私たちの司法制度と政治制度は、そのような不都合な発見は、たいてい隠しておこうとする。だが率直に言って、生物学科と法学科や政治学科とを隔てる壁を、私たちはあとどれほど維持することができるだろう?

 

と第四部「科学革命」が始まります。


タグ:読書
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