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佐藤充功 昭和史発掘 幻の特務機関「ヤマ」(2003新潮新書) [日記(2019)]

昭和史発掘幻の特務機関「ヤマ」 (新潮新書 (026))IMG_20190728_0002.jpgIMG_20190728_0001.jpg
ヤマ機関
 「ゾルゲ諜報団を捉えた陰の組織、ヤマ機関」というキャッチコピーにひかれて読んでみました。
 旧陸軍の諜報組織として、対ソ連諜報のハルピン特務機関、汪兆銘汪政権樹立に関わった梅機関、インド独立工作の岩畔機関などが有名です。いずれも満州、中国、東南アジアの謀略機関ですが、著者によると憲兵隊とともに国内で防諜に携わったのがこの「ヤマ機関」という組織だそうです。
 本書は、雑誌に現れる片言隻句やヤマ機関に関わったとされる旧軍関係者への聞き取りに基づき、陸軍省でも存在が秘匿された諜報組織ですから実態は闇の中、もうひとつ歯切れが悪いです。
 ヤマ機関は1937兵務局・兵務課に科学的防諜機関として兵務局分室として誕生、後に大臣直轄の軍事資料部・分室(通称ヤマ機関)に移管され、国際電信電話の盗聴、外国公館の信書の開封、不法無線の探知、会議の盗聴などを主たる任務とする国内を対象とする防諜組織です。兵務局には、陸軍中野学校や登戸研究所の発足に関わった岩畔豪雄がいますから、この諜報組織の誕生に関わったことは十分想像されます。ヤマ機関には甲~戊班があり、戊班は殺しのライセンスを持っていたというのですが…。
 面白いのは、「ヤマ機関」で検索をかけると「外事課 - Wikipedia」がヒットし、「警視庁外事課には「外事技術調査室」(ヤマ、または8係と俗称される)通信傍受機関が存在するといわれる。東京都日野市を中心として日本国内に多くの通信所や車両を持っているとされる。」という記述があります。歴史の闇から「ヤマ機関」がチラリと姿を表す数少ないシーンです。
ゾルゲ事件
 「ヤマ機関」とゾルゲの関わりです。ゾルゲ事件は、米国から帰国した北林トモの内定から宮城与徳が浮かび上がり、尾崎秀実、ゾルゲ、ブーケリッチ、クラウゼンが芋つる式に捕まったというのが定説です。本書によると、ヤマ機関がマックス・クラウゼン(ゾルゲ諜報団一員)がソヴィエトに送った暗号無線の発信源を突き止め、ゾルゲ諜報団の逮捕に一役買っていたといいます。ゾルゲ、尾崎秀実たちが掴んだ情報を「ドイツ統計年鑑」を乱数表に使って暗号化し、クラウゼンが日本で組み立てた無線機でウラジオストックに送信するのがゾルゲ諜報団の一連の流れ。ドイツ戦線でソ連の勝利を決定づけた「南進政策」の情報(1941年7月)も、東京都市逓信局によって受信されたようですが、発信源の特定には至らなかったようです。その後、ヤマ機関は、方向探知器を使い三点測位で発信源を割り出すに至ります。探知機は「重量約8kg、送受信機と足踏み式の発電機が組み込まれ、送信空中線出力は5kw(5Wの誤記)で波長は短波帯域を使い,18Mcまでの水晶発振子を用いる」とあり、ルーフにループ型の回転アンテナを取り付けた3台のシボレーが都内を走り、三点測位で発信源を麻布広尾町のクラウゼン宅と特定します。文脈から、クラウゼンが不法電波の発信元と特定されたのは、1941年7月~逮捕の10月の間のことでしょう。ゾルゲ諜報団の最大の功績「南進政策」の打電はすでになされており、ヤマ機関の電波探査はゾルゲのスパイ活動阻止には役に立たなかったことになります。
 ヤマ機関がゾルゲ事件にどの程度関わっていたのかは不明です。10月10日に宮城が逮捕され、14日には尾崎、18日にはゾルゲ、クラウゼン、ブーケリッチの逮捕によってゾルゲ諜報団は壊滅します。
 諜報機関が存在の証拠を残しているとは思いませんが、本書を読んでも「ヤマ機関」の実像は浮かび上がって来ません。陸軍の諜報機関が大陸と東南アジアで活躍した以上、国内にも相当の諜報機関があったことは十分想像できます。
方向探知器.jpgゼロ戦搭載の方向探知器

タグ:読書
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