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スタンダール 赤と黒(上) 2007光文新訳古典文庫 [日記(2019)]

赤と黒(上) (光文社古典新訳文庫) 赤と黒(上) (光文社古典新訳文庫)
 1827年フランス、農民(製材業者)の息子ジュリアン・ソレルが、美貌と知性で貴族社会で「成り上がり」、最後は断頭台の露と消える物語です。ナポレオンの第1帝制(1804)からルイ18世による王政復古(1814)を経て七月革命(1830)に至る時代です。貴族、聖職者が富と権力を握る王政復古の時代に、七月革命を予感させるように、農民ジュリアンが美貌と才知を武器に身分制度の一角を切り崩します。

ジュリアン・ソレル
 20歳の農民身分の司祭見習いジュリアンは、聖書をまるごと一冊ラテン語で暗記している才知によってヴェリエールの町長ルナール家の家庭教師に招かれます。ジュリアンが「成り上がる」物語ですが、権力志向や金銭の欲望が強いわけではなさそう。ジュリアンはナポレオン・ボナパルトの崇拝者で、コルシカの地主(貴族)の息子が、軍事技術によってフランスの支配者となったナポレオンに自己投影し、製材業者の息子も社会階層を上昇できるという野望を持って登場します。

 父親によって教会の司祭見習いに追いやられ、性に合っていたのかラテン語に習熟します。神学校ではキケロやホラティウスについての豊富な知識を披露して生徒や教師の反感を買いますが、学校長や司祭からは認められます。この才能によって、町長の息子の家庭教師家となりラ・モール侯爵の秘書となって、上流階級への切符を手に入れるわけです。デルヴィル夫人は、ルナール夫人に「あなたの家庭教師君、どうも信用ならない。いつでも何かを考えていて、やることはすべて計算ずくという感じよね」と見抜かれています。

 ルナール夫人を誘惑する場面です。ジュリアンはルナール氏のいる席で、闇に紛れて夫人の手を握り腕にキスします。これが夫人に恋い焦がれた結果の行為かというそうではなく、<何から何まで恵まれた御仁の女房の手を、まさにご本人の前で握ってやるとしたら、まんまと鼻をあかしてやることができるんじゃないか。よし、やってやるぞ、散々馬鹿にしてくれたお礼にな>。ジュリアンがレナール婦人に近づくのは、金持ち階級に対する反発からです。おまけに、恋の相手はルナール夫人でもデルヴィル夫人でもどちらでもよかった!。ルナール家の小間使エリザから結婚の申し出を受けていますが、安売りはできないとこれを拒絶しているあたりも、ジュリアンの野心が伺えます(このエリザが後にストーリーを動かします)。
 恋の経験も無く純真なルナール夫人は、姦通の罪に怯えながら、「奥様今夜二時にお部屋にまいります」というジュリアンの囁きに自室のドアを開けるわけです。

 ジュリアンは頭が良いものの、集団の中で空気が読めない、友人が作れないなど、発達障害気味の若者で、出自がら貴族に反発を抱きながら上昇志向が強い人物と言えます。

ルナール夫人
 ルナール夫人は、自身も富裕な貴族の娘で三人の息子の母親。娘時代は修道院で過ごした敬虔なクリスチャンで、世間の風に当たることなくルナール氏と結婚したため恋愛経験はありません。のルナール氏は町長で貴族。町長とはいえ王党派に属しているために掴んだ地位であり、金の計算は得意な俗物。その夫と比べ、ラテン語を操り美貌で20歳のジュリアンが現れ寄られたのですから、夫人はたちまち恋に堕ちます。
 有名な『恋愛論』を書いたスタンダールですから、この恋愛事件はなかなか面白い。ジュリアンは、貴族階級に対する反発から夫人を誘惑しますが、たちまちルナール夫人に溺れ、夫人は罪の意識怯えながら20歳の若者との恋に夢中になります。このふたりの揺れる心理の描写が面白いです。

 当然ルナール氏にバレぬはずはなく、ジュリアンに振られた小間使いエルザの仕掛けた匿名の手紙でバレます。コキュ(寝取られ夫)として世間の笑い者になるのもプライドが許せない、夫人を追い出してもいいが、夫人が受け継ぐはずの叔母の巨額の遺産も惜しい、とルナール氏は往左往。一方のルナール夫人は、匿名の手紙には匿名の手紙で対抗します。同じ便箋を使い活字を切り貼りし、文言を指定してジュリアンに手紙を作らせます。20歳の若者との恋に盲目となったか弱い女性ではありません。
 この事件で、ジュリアンはルナール家を出てパリで神学校に入ることになります。明日パリに立つ夜、ジュリアンは梯子を使ってルナール夫人の寝室に忍び込むという冒険に出ます。イヤダイヤだと言いながら夫人はジュリアンを受け入れるわけですが、この夜の夫人は、恋する女の強さを遺憾なく発揮します。ジュリアンが捕まることを恐れた夫人は、か弱い腕で梯子を運び出し隠します。空腹のジュリアンの元にポケットいっぱいにパンを詰めて運ぶ姿もいじらしい。この辺りの描写は、主人公ジュリアンもかたなしです。

 200年前の小説が今日これほどリアリティ持って読めるということは、人間は200前と少しも変わっていないということなのでしょう。次はパリ、物語は佳境に入ります。
続く

赤と黒(上) 、(下)  

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コメント 2

Lee

文章を追うだけで古典名作の内容がわかりやすく真に迫ってくる、素晴らしい記事をありがとうございます。ご指摘の通り成り上がりと不倫の話も変わらぬ人間の性(さが)を描いてある限り不滅なのですね。次回も期待しています。
光文社文庫はシュールな表紙が苦手で手が出なかったのですが、「赤と黒」の花のデザインは洒落ていて素敵です。
by Lee (2019-08-29 23:08) 

べっちゃん

新訳は読みやすくていいです。何度も挫折した「源氏物語」、「カラマーゾフの兄弟」もこれで読了できました。
by べっちゃん (2019-08-30 06:48) 

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