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木内 昇 笑い三年、泣き三月(2011文藝春秋) [日記(2019)]

笑い三年、泣き三月。 (文春文庫)   『新選組 幕末の青嵐』に続き木内 昇、二冊目。
 昭和21年10月20日上野駅から幕が開きます。戦争が終わって1年、一面焼け野原となったの東京には闇市が建ち、上野、浅草にはレビューの劇場が復活します。漫才師・岡部善造は浅草六区で一旗揚げようと上野駅に降り立ち、浮浪児・田川武雄、復員兵・鹿内光秀と出会います。

 当時、劇場のレビューの幕間にコントや漫才が演じられたようで、メインは女性のダンス。コントや漫才も時事や世相の風刺が主流で、善造の生活に密着した話芸は時代遅れ、何処の劇場でも断られます。光秀の友人杉浦保が、浅草六区のはずれでミリオン座という50席の小さな劇場をオープンし、善造はこのミリオン座の舞台に立つことになります。これら面々に踊り子・風間時子、通称ふう子が加わり、漫才師、浮浪児、復員兵、踊り子の戦後の物語が始まります。

 この五人はなかなか個性的です。
 善造は門付けの三河漫才師で、「笑い」とは幸せの源であるという信念を持つ漫才師。浅草六区のはずれミリオン座に笑いを振りまき、これが悲しいことは三月で終わるが笑いは三年続くという『笑い三年、泣き三月』の謂れです。
 武雄は、印刷工場の息子で活字になったものを真実と信じ、古新聞を集め八十歳までの人生を設計している12歳の少年。空襲で家族を失っていますが、父親は陸軍中尉、兄は特攻兵でともに戦死、母親と妹は空襲で亡くなったという「物語」を持つ少年。
 光秀は元映画撮影所の助手で、これもポナペ島の激戦で片耳を失ったという「物語」を持つ復員兵。
 保は元助監督の活動屋。自分の関わった戦争賛美の映画が少年を戦場に駆り立てたことを悔い、劇場経営に転身します。
 ふう子は、山の手の白亜の邸に住んでいた財閥のお嬢様という「過去」を持っていますが、我を忘れると田舎言葉が出る18歳。他人に尽くすことを唯一つの誠と信じ、身体を売って宿無しの善造、武雄、光秀を自分のアパートに引き取るという聖女。
 同じ屋根の下で四人の「家族」が始まります。

 「額縁ショー」を見てこれからはエロの時代だと確信した保は、ダンサーを集めミリオン座でストリップ劇場を開きます。光秀が演出し、ふう子が踊り、ダンスの幕間に善造が漫談を演じ、武雄はキップもぎり。当時のストリップは、下着で踊る、せぜい太腿や乳房を見せる程度のもの。戦前の倫理が生きている時代ですから、これでも大変なことで、踊り子たちは頑強に拒否。助監督として現場の調整に当った保は手を変え品を変えての説得、光秀は地味なダンスを如何にエロテッィクに見せるかで頭を捻り、客席50のミリオン座に客が入り始め、幕間の善造の漫談も人気が出始めます。

 渥美清はじめ戦後の喜劇スターは浅草のストリップ劇場から生まれています。『笑い三年、泣き三月』はそうした笑いの勃興期を描いた小説ですが、風俗小説にとどまらず、岡部善造という不器用だが「笑い」とは何かに真摯に向き合った人間が、周りに幸せを運ぶ人情小説でもあります。『万引き家族』は赤の他人がひとつ屋根の下で暮らす「家族」の物語でしたが、『笑い三年、泣き三月』も善造、武雄、光秀、ふう子の他人が家族として暮らす物語です。敗戦によって分断された個人が、それぞれの「過去」、そうありたいと願った物語を持って寄り添い、そして別れてゆきます。戦後の復興も一段落した昭和25年、四人もそれぞれの道を歩みだします。
 地味で山場に乏しい小説ですが、陰影のくっきりした登場人物とストリーテリングの上手さで最後まで読んでしまいます。木内 昇さん(女性です)、なかなかの書き手です。

タグ:読書
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