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映画 昔々、アナトリアで(2011トルコ ボスニア・ヘルツェゴビナ) [日記(2019)]

昔々、アナトリアで [DVD]  分かり辛い映画です、しかも160分弱の長尺。2011年のカンヌ審査員特別グランプリ、『雪の轍』で2014年カンヌパルムドール受賞のトルコの映画です。

 警察が容疑者を連れ、検事、検視医とともに死体を探す、それだけの話です。容疑者の曖昧な供述で埋められた場所は容易に発見できず、夜のアナトリア(トルコ)の丘陵をあちこち移動します。警官たちのとりとめもないおしゃべり、検事と検視医の世間話も焦点を結ばず、そもそもこの映画にストーリーがあるのかと疑いたくなります。会話を補って余りあるのが、ヘッドライトに照らされるアナトリアの夜の丘陵と、その広大な自然の中で死体捜索という俗事に振り回される人間のおかし、矮小さ。

 はかどらない捜索のなかで、苛立つ警部、死体が発見されないため手持ち無沙汰の検事と検視医、三者三様の人物像が明らかになります。
 警察に20年勤めた警部は、病気の子供と煩い女房を抱え、家族と過ごすより仕事をしているの方が心が休まると愚痴ります。検事は、死期を予言し子供を出産後予言通り死んだ友人の妻のエピソードを語ります。映画の進行とともに、この女性は検事の妻でありその死は自殺であることが明かされます。検視医は、子供は無く離婚した過去を明かします。

 妻子のいる家庭から仕事に逃げる男、浮気のため子供を残して妻に自殺された男、子供を持ちたくなかったため妻に去られた男。殺人容疑者は殺した男の子供は自分の子であることを警部に打ち明けます。

 死体は見つからず、一行は近くの村で食事を取ることになり、村長の家を訪れます。村長は、息子、娘がそれぞれ成長して自立し、末娘だけが家にいることを問わず語りに語ります。強風のため停電が起き、闇の中からランプに照らされたこの末娘が登場するシーンが映画のクライマックス。娘の美しさに警部、検事、検視医たちは息を呑み、容疑者は何故か涙を流します。容疑者は、村長の家で飲食する一行の中に、自分が殺した男の幻を見ますから、涙は宗教的体験からくるものだったのでしょう。容疑者の弟は、殺したのは自分だと呟きますが、聞こえなかったのか誰も取り上げません。誰が殺したのか何故殺したのか、一切明かされません。この映画にとってはどうでもいいことなのです。
 アナトリアの雄大な自然の中で、様々な家族、夫婦、親子の関係が示されます。一番身近な人間関係です。村長、警部、検事と検死医とある意味で知的上昇、ムラから都会へと近づくと、その関係性は壊れるということなのでしょうか。容疑者もまた街の住人です。そして聖母マリア(イスラム教にもある)が現れる?宗教的体験は街ではなくムラで起きるということなのでしょう。
アナトリア.jpg アナトリア2.jpg
 死体が発見され、検視のため死体を街の病院に運びます。病院には被害者の妻と子供が待っています。子供は容疑者に石を投げ、無実の容疑者は実の子供に石をぶつけられたことになります。母親はこの情景をどう見たのか?。また一つ家族の形が示されます。

 検視解剖が行われます。検視医は死体の気道と肺に土を見つけ、被害者は生きたまま埋められたことが疑われます。検視医は「気道と肺に異常を認められず」と検視報告書に書き入れます。生き埋めという残酷な事実を隠したことになります、被害者の妻のためか、子供のためか、容疑者のためか。
 検視医が、病院から去ってゆく被害者の妻と子供の姿を窓から眺めるシーンで、幕。

 と考えて再度観ると、難解、冗長だと思ったこの映画も腑に落ちます。名画かも知れません。

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
出演:ムハンメト・ウズンエル イルマズ・アルドアン タネル・ビルセル フィラット・タニス

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