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木内 昇 櫛挽道守(2013年 集英社) [日記(2019)]

櫛挽道守 (集英社文庫)  中央公論文芸賞・柴田錬三郎賞・親鸞賞のトリプル受賞作です。
 幕末の中山道の宿駅、藪原で櫛を挽く女性・登瀬の物語です。幕末の木曽の宿駅を舞台にした小説というと、藤村の『夜明け前』があります。『夜明け前』は、尊皇攘夷(というか勤王)という時代のうねりの中で本陣の当主・青山半蔵が生きるの物語です。『櫛挽道守(くしびきちもり)』でも、幕末の政治状況が宿駅に落とす影がモチーフとなっていますが、主題は櫛職人・登瀬の女の半生です。時代が変転する中で「櫛を挽くのは男の仕事、磨くのが女の仕事」とされる因習を破り、女性が男性の職場に進出する物語です。これもやはり『夜明け前』ということができます。

 登瀬が作るのは「お六櫛」。女性が髪を梳かす櫛のことで、四寸ほどのミネバリの木に、百二十本ほどの細かい櫛の歯が並ぶ梳き櫛です。耕地面積の少ない宿場・藪原では、この櫛の生産が農民の副業となり、中山道で江戸に運ばれ「お六櫛」として流通します。登瀬は、名人と言われた父親吾助のもとで櫛挽の技術を習得し、父親も、長男が早世したこともあって登瀬を技術の後継者として育てます。登瀬は櫛を作ることに生き甲斐を感じ、女は家庭内の雑事をこなし、嫁して子をなすという当時の常識の外で生きようとしたことになります。嫁すこともなく櫛挽一筋の登瀬に対置されるのが、母親と妹の喜和。母親は嫁に行こうとしない登瀬に気を揉み、喜和は自分の婚期が遅れることに苛立ちます。喜和は祭礼で男を見つけ、男の子を宿して嫁します。因襲を破るこの姉妹は、時代の先端を走っていたのか、あるいは新しい時代が木曽の山中まで浸透してきたのかも知れません。

 お六櫛の流通を握るのは藪原の問屋。櫛職人は櫛の材料を問屋から買い、挽いた櫛を問屋に納め日々の米を購うという仕組みです。この問屋から登瀬に縁談が持ち込まれます。吾助はお六櫛の技継承のためこれを断ったため、一家は問屋から謂れのない差別を受け、宿場で浮いた存在となります。藪原の共同体原理を壊したため共同体から疎外されます。

 「いかず後家」への偏見、固陋な流通組織、偏狭な地域社会といういう三つ旧弊が出ました。これらが如何に解消されるか、登瀬が如何に立ち向かうかが後半の主題となり、実幸が登場します。実幸は奈良井の脇本陣の四男で、江戸で塗り櫛の職人となった人物。吾助の櫛挽きの業に憧れ弟子入りします。母親は、実幸を登瀬の婿養子となり跡継ぎのない一家を支えてくれることを期待し、その期待を感じ取った登瀬は、櫛挽の競争相手でもある実幸に異様な闘争心を燃やします。櫛挽きに飛び抜けた才能を持ち、出自と垢抜けた立ち振る舞いの実幸は白馬の王子というわけです。
 実幸はこの三つ旧弊を見事にひっくり返します。土産用の塗櫛を作って経済的基盤を確保し、自分の櫛に刻印を打ってブランドを確立し、問屋を通さず江戸、京大阪に販路を広げ、母親の希望通り入り婿となります。登瀬は妻となり母となり、櫛挽の職人として共同体に定着します。「夜明け前」の女の誕生です。

 ペリーの来航や桜田門外の変など幕末の政治トピックがストーリーの底流をなしています。『夜明け前』の青山半蔵は、豪農や商人の知識層に浸透していた平田派の国学を学んだ知識人です。その半蔵がペリーの来航や尊皇攘夷を語る分には違和感はありませんが、櫛職人という環境を考えると、登瀬や実幸に幕末の政治を語らせることには少し無理があります。和宮降嫁の行列、水戸天狗党の通過などで十分ではないかと思います。そうした時代のうねりは、中山道の宿場の生活にも及んだはずであり、それが人々の意識を変え、共同体の有り様を変え、櫛の流通を変えていったことでしょう。そうした変化を感じ取った登瀬が、旧時代の壁を突き破ったのか、新しい時代が登瀬に追いついたのか…。

 旅人が行き交い、和宮降嫁の行列、水戸天狗党が通った宿場を舞台に、女の命とも言うべき黒髪を梳く「櫛」を挽く登瀬をヒロインに、幕末から明治を生きた女の物語です。宮尾登美子の衣鉢を継ぐのは木内 昇かも知れません。

タグ:読書
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