SSブログ

橋本大三郎 大澤真幸 ふしぎなキリスト教① (2011講談社) [日記(2019)]

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)  神も仏も信じていませが、「人間を惑わす」宗教というものが好きです(笑。世界を動かす「西洋」の根幹キリスト教を知れば世界が理解できる!、それに台頭著しいイスラムr世界も、というわけです。しかも新書一冊でという気楽な話です。

 本書は、二人の社会学者による対談で、大澤真幸が挑発的な質問を投げ、橋本大三郎がそれに答えるという形で、キリスト教に迫ります。中身は、

 第一部 一神教を理解する ~起源としてのユダヤ教~
 第二部 イエス・キリストとは何か
 第三部 いかに「西洋」をつくったか

 以下メモみたいなものです。信用しないように…。

ユダヤ教
・聖書は旧約(ユダヤ教)と新訳(キリスト教)から成り立っており、両者はほとんど同じで、神(ヤハウェ、エホバ)を戴く一神教の聖典
・旧約新訳の違いはキリストがいるかいないかの差。キリスト教は、バラモン教を否定して仏教が生まれたような成立過程ではなく、ユダヤ教を「取り込んで」成立している
・ユダヤ教の神ヤハウェは、神→預言者→民衆というルートで神の声を伝え、イエスはこの預言者の系譜に属する
 というのが前提です。しからば、ユダヤ教とは何か?

 ユダヤ教は、ユダヤ人の宗教→当たり前。ユダヤ人(放牧民)が何処にいたかというと、現在のパレスチナ、
・エジプトとメソポタミア(バビロニア、アッシリア)という大国に挟まれたカナンに居住していた
・ヤハウェは数ある神々の一つに過ぎなかった
・大国の侵略を受ける間に、破壊と怒りの神ヤハウェが軍神として信仰され、ダビデ、ソロモンなどの王の守護神となった

 ユダヤ民族は戦争には指導者の「王」がいたほうがいいと考えで王を決めますが、面白いのは預言者によって王が決められること。日本史だと、秀吉、家康のように武力によって王が誕生するのですが、ユダヤ民族はヤハウェが預言者を通じて王を決める。王権神授説はこうした背景から生まれたんでしょうか。ユダヤ民族は、ヤハウェを信仰すれば戦争に勝てると考えているので、ヤハウェ信仰を本書では「安全保障」上の契約に例えています。
 「安全保障条約」によってユダヤ民族が勝ったのかというと、連戦連敗。北のイスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、ユダヤ人はバビロンに拉致される(バビロン補囚)。民族が雲散霧消たわけですから、ヤハウェなどもう信じないとなるのが普通。ところがユダヤ人はヤハウェを捨てない。
 ユダヤ人はこれをヤハウェの課した「(神が人間を試す)試練」と考えるわけです。全能の絶対神ヤハウェは間違わない、だからバビロン補囚もヤハウェが意図をもって為した試練だ!。これは弱者の論理、「イジメられっ子」の負け惜しみ。60年経ってユダヤ人はエルサレムに帰るわけですから、試練と言えなくもない。あるいは、今は負けているが将来は勝つはずだ、また勝ったアッシリヤ、バビロニアは本当は堕落しとる、正義は我々にあるな等々(ニーチェの「奴隷道徳」)。

 強がりを言ってもユダヤ民族はバビロンで奴隷となるわけです。彼等は、ユダヤ民族がユダヤ民族であるという自覚を保つために、戒律=律法を厳しくし民族として団結します。何を食べてはいけないか、七日に一度は安息日とする、割礼もしなさいという民族のルール。これを守っていれば民族のアイデンティティは保たれ、民族が滅ぼされても国家の再建は可能。イスラエル建国は、この戦略の成果。
 神への仕え方は、
 ・儀式を行う →祭祀、後のサドカイ派
 ・戒律を守って暮らす→後のパリサイ派
 ・神の言葉を伝える預言者に従う
 の三つ。裁断、戒律が整備されると預言者は必要なくなり、預言者が現れると弾圧され殺される。洗礼者ヨハネもイエスもこの系譜で、最後は殺されます。

一神教、多神教
 仏教は、神などは存在せず、人間を含む自然界は因果律で成り立っている。宇宙も生態系も自然法則に支配されているに過ぎない。その法則を徹底的に理解した人物ゴータマ・シッダルタが仏(ブッダ)となった。宇宙の法則を認識し、法則と調和した状態が涅槃。
 儒教も自然の後ろに神は考えず、自然は人間をコントロールすべきものと考える。コントロールの手段は政治であり、政治的能力を持った人を訓練し自然をコントロールする。

 一神教は、世界のすべての出来事の背景に、人格を持つ神がいる。神は、意思があり、感情があり、理性があり、記憶があり、言葉を持つ(光あれなど)。従って、一神教の神とは会話が成り立つ。人間が幾度語りかけても神は「沈黙」しているだけで答えはあるはずはなく、この不断の一方通行のコミュニケーションを、祈り、信仰という。
    災害で子供を失った母親は、何故私の子供は死んだかと神に問い、答えは得られない。自問自答の果にこれは「試練」だと考え、試練を与えるほどだから神は私を見ていると考える。また試練!。人間が苦しむ存在であるなら、弱者の論理、イジメられっ子の負け惜しみから出発したユダヤ教は、案外本質を突くところから出発したのかも知れません。人間精神の安全弁。

 ホラーは好きですから悪魔、サタンの存在は重要です(笑。完全無欠の神が悪魔など作るわけはない。サタンは「反対者」「妨害者」という意味、神への信仰を検証する存在で、神の代理として地上を査察してまわる「係」のこと。神は姿を現しませんから、代わりにサタンが現れる。「荒野の誘惑」でサタンが現れ、イエスを試し最後は尻尾を巻いて逃げるというのも査察で、少女に取り付いてエクソシストに追い出される悪魔も神の代理?、笑いますね。

 「§13 権力との独特の距離感」も面白いです。ユダヤ教は、人間が権力を持つことを警戒し、権力を肯定しない。神の意思を体現する預言者が王となる人物を指名し、部族社会のリーダーである長老がこれに同意を与え、王が神に背く行動をとると預言者が批判するというシステムを持っていた。神が認め民衆(長老)が同意するという民主主義に近い体制。絶対神ヤハウェがいるからとれるシステム。
 預言者が王になりたい人間王になった者と結託する危険がなかったのか?。民衆が、「アイツ偽モンでっせ」と長老に耳打ちし長老が同意しなければ王にはなれません。また預言者は民衆の中から現れおまけに無報酬、なりたい人間がなれるわけではなかった。預言者は神の言葉を民衆に伝える人間ですから、預言者の言葉を民衆が信じなければ預言者にはなれない。これを民主主義の萌芽と見るかどうか。

 以上は第一部のさわりで、「原罪とは何か」「全知全能の神がつくった世界に、何故悪があるのか」などアクロバチックですが面白い話が詰まっています。第二部はいよいよイエス・キリストとは何か。
 続く

タグ:読書
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。