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高橋和巳 堕落ーあるいは内なる曠野(1995講談社文庫、初出1965年「文芸」) [日記(2019)]

堕落 (P+D BOOKS)  孤児院の院長・青木隆造の転落の物語です。転落と破滅は高橋和己の謂わば「オハコ、十八番」で、『悲の器』の大学教授も『憂鬱なる党派』の高校教師も『邪宗門』の教祖も、転落し破滅してゆきます。何故かくも破滅に拘るのか?。おそらく、破滅に至る人間の物語りにこそ人間の本質がのぞき文学がある、と作家は考えているのでしょう。転落、破滅の因子として理想があります。理想は大抵現実に裏切られ、裏切られることで転落と破滅が始まります。

 青木隆造は、満鉄調査部、関東軍参謀部顧問、満州青年連盟(協和会?)オルガナイザー、開拓団指導者として満州国に関わり、シベリア抑留の後帰国、私財を投じて孤児院を独力で立ち上げます。その福祉活動が認められ、新聞社から顕彰されたまさにその時から青木の転落が始まります。顕彰のため上京した青木は、同道した女性秘書と暴力で関係を結びます。『悲の器』の大学教授も同様に「お手伝い」と関係を持ちますが、ふたり動機がよく分からない。青木は私財で福祉法人を立ち上げ、職員、孤児たちから慕われる人格者。大学教授も、国立大学の法学部長を勤め政府の委員会にも名を連ねる次期学長候補。そうした人物が女性問題を起こし、大学教授は裁判に訴えられ社会的に破滅します。作者にとって動機はどうでもよく、重要なのは破滅することのようです。

 青木は、さらに別の職員を暴力で犯し、施設を辞めさせアパートに囲います。女性秘書の場合は過ちともいえますが、ふたり目は確信犯。つまり、結果を予測して行為に及んだことになります。職員達の知るところとなり詰め寄られると、自分を院長の職から下ろせとうそぶく始末。
 青木の不可解な行動は、彼の過去い深く関わっています。青木は満鉄調査部、関東軍顧問として、王道楽土、五族協和の理想を掲げた満州帝国の建設に関わっています。満州国は日本帝国が大陸に作った傀儡国家、植民地ですが、その地で国家建設に携わった人々が目指したのは、日本国から独立した理想国家です。

日本最大の資産である満鉄を解体し付属地や租借地を満州国に返還するだけではなく、政治制度的にも満州をできるだけ日本から切り離すべきだ。三井・三菱などの独占資本をしめだし、天皇制そのものを締め出さねばならぬ。

 と理想論がある一方、日本は、清朝最後の皇帝宣統帝・溥儀を満州国皇帝の地位につけ、三種の神器のまがい物まで与え、日本帝国化を目論見ます。理想国家どころか、内地の矛盾を丸ごと抱え込んだ第二の日本帝国を作ろうとしたわけです。青木は満州国建国を過渡期と捉え、

過渡期における政治は・・・多くの試行錯誤と罪過を重ねねばならぬ。やがて事成って安定したのちに、過渡期の罪過を一身に担って消えてゆく幻影の独裁者、つまりは傀儡が必要なのだ。もし仮に・・・民衆の称賛が不当にその幻影の独裁者に集まりそうになれば、阿片を与え女を与えて、人格的に破綻させ、その座を奪うことぐらいは赤児の手をねじるよりも易しい。

 青木の作った孤児院が世間から認められ顕彰を受けるまでになったその時、その独裁者たる青木は、自分の思想通り「女を与え」られ「人格を破綻」し「その座を奪う」ことを自らに課したことになります。この贖罪とも言える転落・堕落は、青木の満州引き揚げに深く根ざしています。
 満州国は帝国大学出身の官僚が主流を占め、青木は満州青年連盟(協和会)、開拓団指導者に追いやられ、敗戦によって700名の開拓団を率いて荒野を逃れる運命に見舞われます。命惜しさに、自ら率いる開拓団から脱走し二人の子供と妻を捨てます。シベリア抑留を経て日本に帰り着き、満州で犯した罪を償うかのように孤児院を、それも国家が見捨てた混血児の「王道楽土」を作ろうとします。青木は、福祉活動が認められて顕彰されたことで、自ら封じ込めた罪が顕在化し贖罪に走ります。孤児院もまた青木が独裁し築き上げようとした疑似「国家」であり、民衆の称賛が不当にその幻影の独裁者に集まった今、事成って安定したこの時、過渡期の罪過を一身に担って消えてゆく幻影の独裁者として、青木自身消えなければならなかったわけです。何故なら、青木の内には、妻子や同胞を捨てた満州の曠野が広がっているからです。
 理想を掲げ理想に裏切られ理想を裏切った人間の物語です。理想こそが破滅の元であり、理想を支えるものが知識であるなら、知識人の「罪と罰」の物語と言うことができます。

 青木は大阪の場末の街に流れ着き、金を奪おうとした労務者を傘の尖で刺し殺し収監されます。

だが私は主張する。私を裁くものは国家であることこそ望ましいと。宗教でもなく、良心でもなく、道徳でもなく、この東方の小島の上に君臨する権力、一たび世界性を持とうとし、もろくもついえた国家であるべきだと。なぜなら、私の青春のすべては文字通り、幻の国の建設に捧げられたのだから・・・
 それはつかの間に滅びたけれども、いかなる王道、いかなる仁政もまた、それに先行する覇道(武力・権謀による政治)の上にしか築かれない。いずれは滅びるものとしてその覇道に私は荷担し参与した。さあ裁いてみよ。国家を建設するということがどういうことか、国家とは何であるか、あなた方に解っているなら、裁いてみよ。国家の名において裁いてみよ・・・

 大上段に振り上げた大見得も、「おい、どこへ行くんだ老いぼれ。そっちじゃない、こっちだ」という看守の言葉で、王道も覇道も消しとんで、青木隆造の「罪と罰」は終わります。

 『憂鬱なる党派』の高校教師も、『邪宗門』の教祖も、転落して辿りつたところは、
高橋和巳の生まれ育った大阪の場末の街です。作家にとっての「曠野」かも知れません。彼ら小説の主人公に「救い」は用意されていません。『罪と罰』で、元娼婦ソーニャはシベリアに流刑となったラスコーリニコフを追いますが、『憂鬱なる党派』にも『邪宗門』にも、そして『堕落』にもソーニャは登場しません。高橋和巳が生きていたら、ソーニャが登場し、罪と罰と救いの文学が生まれたでしょう。
 妻たか子によると、高橋和巳には「幻の国」を求めて遠く印度から東方の小島日本にやって来る少年の物語の構想があったそうです。「幻の国」は、青木が満州で夢見た幻の国であったのかも知れません。

タグ:読書
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