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李栄薫 反日種族主義 日韓危機の根源 ② (2019文藝春秋) [日記(2019)]

反日種族主義 日韓危機の根源続きです。
日韓請求権協定
 「元徴用工」が日本企業への賠償請求訴訟を起こし、韓国の大法院がこれを認めました。個人請求権と外交保護権は消滅しないことを認め、日韓併合は不法行為であるとしたのです。日本は1965年の日韓請求権協定を盾にこれを拒否しました。徴用工問題の法的側面「日韓請求権協定」を論じています。


日本の日本が韓半島に残して行った財産は1964年の価格で52億ドルを超え、韓半島の総財産の85パーセントに達しており、そのうち22億ドルが南韓にありました。


というのが前提です。サンフランシスコ平和条約(1951)で、この22億ドルを日本が放棄し連合国は22億ドルを韓国に譲渡します。韓国に残していった日本の財貨を韓国政府が受け取ることでチャラにしようということでしょう。

この平和条約で韓国は、日本に対する戦勝国でも、日本の植民地被害国でもありませんでした。ただ「日本から分離された地域」でした。このことはとても重要です。
・・・戦勝国や植民地被害国であったなら、一方的賠償を要求できたでしょう。しかし、韓国は過去日本の一部であり、日本の敗戦によって分離されたものだったので、両国国家と国民の間で財産及び請求権を相互整理することになりました。
韓国と日本は相互に民事上の財産の返還、債務の返済を処理すべし、というのがサンフランシスコ条約でいうところの「特別調整」の意味です。韓国だけが請求権を持っていたのではなく、日本にも請求権がありました。

 つまり、韓国は過去日本の一部であった地域が「日本から分離された」ものであり、連合国(戦勝国)の一員ではなく、植民地被害国もないため、戦時賠償できないと主張します。残るのは、日本が朝鮮半島から勝手に持ち出した民事上の財産で、韓国は7億ドル、日本は7,000万ドルを主張し、決着がつかないまま両国は、 金鍾泌 ─大平正芳会談(1962)で、日本が経済協力金無償3億ドルと有償2億ドルを払うことで決着し、日韓基本条約(請求権協定を含む 1965)の締結に至ります。請求権協定には、

請求権協定文第二条三項には「今後韓日両国とその国民はいかなる請求権主張もできない」と明白に規定しました。また、韓国政府はこの協定で、個人請求権が消滅したことを何度も明らかにしました。

 これが、日本が元徴用工の損害賠償請求を請求権協定を盾に拒否するに至る経緯です。韓国の大法院は、

日本の企業がその徴用労務者の精神的被害に対し慰謝料を支払うよう判決を下しました。請求権協定は財産上の債権債務関係だけを扱い、「損害と苦痛」に伴う請求権問題は扱わなかったため、個人の請求権は有効だ

と言うわけです。国家間の請求権はカタがついていますから、矛先は日本企業です。張勉政権、朴政権下でこの精神的肉体的苦痛に対する賠償請求がなされますが、日本は、日本人の徴用工生存者に補償はしなかったため、当時日本人であった韓国徴用工も同様としこれを拒否します。この問題を解決しないまま日韓基本条約が結ばれ、大法院はその隙きを突いてきたとも言えます。「徴用工」が徴用ではなく単なる「出稼ぎ」だっとすれば、「精神的肉体的苦痛」もないわけですが…。

長い期間をかけて両国政府が合意し国民が同意し、その後数十年間遵守して来たことを、司法府の何人かの裁判官が覆すのは正当なことでしょうか?
・・・国際的な外交問題においては、司法府はそのようなことはしてはならない、という「司法自制の原則」が広く用いられています。

司法自制の原則」とは、裁判所の判決が政府の立場と違う場合には、政府の立場が優先される、という原則だそうです。英米仏独など先進国では、外交問題は裁判所(司法府)が政府(行政府)の立場を尊重するこの原則が生きています。著者の結論は、

韓国は、何か受け取ってないものがあるから、日本はもっと出さなければいけない、などと主張することはできません。韓国人は、1965年の請求権協定で日本との過去史の始末がつけられたこと、過去史が清算されたことを認めなければなりません。これがグローバル・スタンダードです。

 面白いのは「日本が韓半島に残して行った財産は1964年の価格で52億ドルを超え、韓半島の総財産の85パーセントに達しており、そのうち22億ドルが南韓にありました。」の一文。とすると、残りの30億ドルは北朝鮮にあることなり、北朝鮮と国交が正常化されれば、この30億ドルと賠償請求で大モメにモメることになります。金正恩委員長は、元徴用工問題、慰安婦問題をジッと眺めて戦略を建てているんでしょうね。それを考えれば、日本政府もハイハイと妥協するわけにはいきません。

慰安婦問題

  『反日種族主義』は3部構成で、第3部をまるまる費やし「種族主義の牙城、慰安婦」と題してこの問題を検証しています。今日では、「慰安婦狩り説」「強制連行説」「性奴隷説」「韓国慰安婦20万人説」などはほぼ虚偽ということになっています。著者は、慰安婦の1日の顧客数を数え、彼女の預金通帳、慰安所の番頭の日記を発掘し、

つまり慰安婦の生活は、あくまでも彼女たちの選択と意思によるものであるということです。職業としての慰安婦は、慰安所という場所で営まれた個人の営業だったのです。


 解放後、慰安婦は韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦の形態で存続し、朝鮮戦争の混乱もあり韓国の売春婦数は、日帝時代の10倍になるという隆盛を極めます。じゃぁ当時「慰安婦問題」があったのかというと殆ど皆無。この問題が浮上したのは、1983年に吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』という本を出版し「慰安婦狩り」を証言し(この証言は後に否定されます)、それを韓国のマスコミが取り上げてから生まれます。

(慰安婦問題を取り上げる)彼らが本当の人道主義者であれば、彼らが本当の女性主義者であれば、彼らは解放後の韓国軍慰安婦、民間慰安婦、米軍慰安婦に対しても、彼女たちは性奴隷だったと主張し、韓国男性、国家、米軍に責任を問うべきでした。しかし、彼らはそうはしませんでした。彼らは、貧困階層の女性たちに強要された売春の長い歴史の中で1937~45年の日本軍慰安婦だけを切り離し、日本国家の責任を追及しました。

韓国軍慰安婦、米軍慰安婦は問題とせず、日本軍の慰安婦だけをやり玉にあげるわけです。これはトライバリズムの「自分たちの人種、民族、宗教、国家、政治信条というものを第一に考え、そうでないものとの歩み寄りを拒否して、むしろそうした人たちを強引に屈服させていこうという」特徴に当てはまります。文永弘安の役で国土を蹂躙し35年にわたって国家と民族を搾取した日本に対する恨(ハン)でしょう。著者は「慰安婦問題」をこう結論づけます、

この28年間、日本との関係を最悪の水準に導いている慰安婦の問題について、もう一度言及しておこうと思います。何人かのアマチュア社会学者たちが、何人かの職業的運動家たちが、この国の外交を左右しました。全国民が彼らの精神的捕虜となりました。全国が、彼らが巫女となって繰り広げる鎮魂グッ(死霊祭) の会場になりました。シャーマニズムの賑やかなお祭りでした。至るところに慰安婦を形象化した少女像が建てられました。誰も犯すことのできない神聖なトーテムでした。

序文に
『反日種族主義』日本語版の刊行には、韓国語版の企画段階からそのような提案をされて来られた産経新聞の久保田るり子記者(編集委員) の役割が重要でした。久保田氏の案内で文藝春秋の小田慶郎氏がソウルまで来られ、日本語版の自社出版を提案され、結局そのように実現しました。
とあり、本書の企画段階から産経新聞の関与あったようです。産経新聞は、当初から日本語版を予定して、自社の論調に見合った本書を企画したと思われます。なかなか手の込んだプロパガンダとも言えます。ともあれ、韓国で、韓国人としてこうした発言をした著者たちの勇気には、感心させられます。

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