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古田博司 東アジアの思想風景(1998岩波書店) [日記(2019)]

東アジアの思想風景
 元筑波大学の東洋史(政治思想史)の先生による東アジア3カ国(中国、韓国、北朝鮮)にまつろうエッセイです。擬古文調、古典漢文の言辞にあふれる文章で、広辞苑とwikipediaが必携かも知れません。著者はソウルで「淫蕩懶惰の日々」を送り、「青楼一覚の夢に酔い痴れ、微醺を漂わせつつ、暮靄蒼然とした町を徘徊」するわけです。何のことはない、酒色にふける怠惰な生活を送り、娼家で遊んで酔っ払って夕暮れの町を徘徊するわけです。こうした文章に抵抗がなければ、「読書」を満喫できます。

天皇制とコタツ
 著者は、1980~1986の6年間、韓国延世大学に招かれて日本語講師を努めます。当時、韓国人の眼に日本人はでどのように写っていたか。
 朝鮮は、陽明学すら異端としてこれを退けたほどの、朱子学を国教とした儒教国家です。16世紀に明国を訪れた朝鮮の使節は、当時の明を「陽明学の流行する鄙賎な国」、「禽獣に近い国」としてこれを日記に記しているらしい。明は、李氏朝鮮が夷狄と蔑む満州族に滅ぼされ、征服王朝・清が誕生します。李朝は自らを明の後裔と認じて「小中華」を自称、夷狄の清国からは一切の学術を学ぶこと拒否したということです。

李承晩政権以来、儒教教育復興が叫ばれ、日本植民地期を卑属倭敵に対する民族闘争史観で輝かしく塗り込めた韓国。その韓国に、20世紀後葉訪れた私に付けられた新たなる名前は、すなわち「夷狄」であり、「倭奴(ウェノム)」であった。

著者は日本を棄てる気持ちで渡った韓国で、夷狄、倭奴の扱いを受けることになります。

夷狄には夷狄らしい振る舞いがあてがわれる。・・・日本文化について一言でも発しようなものなら、学生たちは苛立たしそうに耳を塞いだ。・・・日本にあるのは、すべて朝鮮文化の流出といった亜流である。彼らはそう答えた。私は否といった。天皇制とコタツだけは朝鮮には無いぞ。コタツと天皇制だけは日本独自である。しかし彼らは日本天皇制すら否定した。それは韓国人の祖先が、めくるめく古代の曙に、日本に渡って作ったものだ、と。私の「民族主義」を支えるものは、もはやコタツしか残されていなかった。

 鬱屈した著者は「淫蕩懶惰の日々」を送り、「青楼一覚の夢に酔い痴れ、微醺を漂わせつつ、暮靄蒼然とした町を徘徊」するわけです。

朱子学
 1997年、韓国は通貨危機に陥りIMFに救済を要請します。韓国メディアはIMFの支援を屈辱とし、背後には日本とアメリカがあり、経済とともに政治・社会・文化まで侵犯された、と報じた話から

自己を中華と措定し、まわりを夷狄、禽獣と見、まわりが強ければ悪人、弱ければ牛馬と見なす意識を朝鮮のインテリたちに教えたのは、実は女真族やモンゴルの異民族に押しまくられていた頃の、宋の人、朱氏その人であった。この宋儒の固陋な伝統が彼らの国民国家形成をうながし、云々。

 半島国家朝鮮は、安全保障上中国の国教である儒教を選択せざる得なかったわけでしょう。司馬遼太郎によると、朱子学というのは、考証や訓詁といった実証性よりも、大義と名分を重んじ、それについての異同を飽くなくたたかわせる、極度にイデオロギー色の強い体系だということのようです。

大義名分論というのは、何が正で何が邪かということを論議することだが、こういう神学論争は年代を経てゆくと、正の幅が狭く鋭くなり、ついには針の先端の面積ほども無くなってしまう。その面積以外は、邪なのである。(司馬遼太郎の『耽羅紀行』)

 「科挙」のためにこの朱子学を頭に詰め込み、大義名分論で、オレが正しいオマエは間違っているという議論を戦わせ、派閥闘争を繰り返してきたのが李朝500年。朱子学も小中華も政治を支えた官僚=両班(全人口の3%)の世界の話。97%の庶民は無関係だったと思うのですが、500年儒教で統治されれば庶民も朱子学の小中華に染まるのでしょうか。朱子学と小中華思想の尾を引く韓国は、通貨危機でもIMFを非難し、またも日本が侵略を目論んでいると考えたわけです。韓国は日韓通貨スワップ協議を再開したいでしょうが、夷狄に頭を下げることはしないでしょう。

楼妓
 夷狄、倭奴の扱いを受ける著者は、韓国という国と儒教を非難しますが、一方で下宿の下女や「青楼」の妓には温かい眼差しを向けます。

知識はないが聡明であり、野ではあるが卑ではなかった。韓国のインテリたちに牛馬同然に扱われ、店の搾取で一飯食にも事欠いてはいたが、舌鋒鋭く彼らと国を非難していた。当時、世人はナショナリズムの痙攣を繰り返していたが、妓たちは、「韓国の文化なぞ、まわりの侵略者がやってきて、その置き忘れが溜まったものよ」などと平然と言って憚らなかったものである。韓服は蒙古服だし、唐辛子は秀吉が持ってきた。どこで習ったかと問うと、学校の教科書にみんな書いてあるという。

 「青楼一覚の夢に酔い痴れ」る自らを「濹東」に彷徨った永井荷風に重ね、儒教の国には荷風のような文人墨客は絶無であること、紙幣に描かれる李退渓や李栗谷などの儒家も妾を囲っていたことなどに思いを馳せます。荷風が出ましたから、本書にも『濹東綺譚』があります。1997年、著者は失われた時を求めてソウルの城北洞を訪れ白日夢を見ます。ちょっと長いですが引用、著者渾身の一文です。

すでに道は夜明皎々、きらきらと輝き、傍らを蒼ぬめり川が静かに流れている。と、一閣の尼寺。木の扉は風雨に曝され・・・戸の隙間より身を滑らせて境内に入ると、浅茅が宿の有様・・・と、突然本堂より榔々たる木魚の声。
 はっと、振り返ると白い韓服の女が門外からこちらを手招きしている。

これは荷風ではなく鏡花です。一室に招き入れられ

ふと見ると薄紅梅の韓服、おじぎをする女、鼈甲の簪、髪の分け際、カルマも麗し、チマのひらりと片膝にかかり、広げた両手は川蝉の羽のごと蟬翼羅、衣通る腕のしなやかさ・・・目はほんのりと腫眼縁、手を取れば夜気に馴染んでひんやりと、この世のものか、あの世のものか。蛾眉秀で、切れ長の眼にちょっと検。
 やがては朝の雲となり、暮れては雨となる巫山の仙女、蒼海原はいつしか桑畠と化し、桑中に卿、卿、卿とよぶ声、女はいう鶏鳴と、男はいう昧旦(まだくらし)と。

 男女の姿は、いつの時代もどの国も変わることはありません。
 著者愛憎の韓国です。後で知ったのですが、著者は「韓国を助けるな、教えるな、関わるなの『否韓三原則』」を唱えた人だそうです。本書はその辺りの「嫌韓」本とはちょっと違います。お薦めです。


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