SSブログ

古田博司 朝鮮民族を読み解く(1995ちくま新書) [日記(2019)]

朝鮮民族を読み解く―北と南に共通するもの (ちくま学芸文庫)  韓国の「反日」は筋金いりです。秀吉の侵攻、日韓併合あたりが原因かとも思うのですが、同じ日本の統治下にあった台湾の「反日」はあまり聞きません。東日本大震災では250億円もの義援金が集まり、初代の総統・李登輝は親日家です。過去の歴史を謝罪せよと迫る韓国の「反日」は、壬辰倭乱、日韓併合だけではなさそうと、いろいろ読み漁っています。『東アジアの思想風景』が面白かったので同じ著者による本書を読んでみました。

儒教(朱子学)
 有名な「同姓不婚」です。同姓同本貫の男女は結婚できないという規定です。民法で謳われていましたが、さすが1999年に廃止されたそうです。本書によると、これは李朝が儒教(朱子学)を国教に定めた15世紀頃から始まった習慣らしく、それ以前の高麗朝時代には近親結婚もあったらしい。儒教は、同姓同本貫は血族であり同じ血族の通婚は人倫にもとると、否定します。

 李朝は、朝鮮土俗のシャーマニズムで生きていた庶民に、高圧的に儒教を押しつ思想改造を図ります。例えば葬祭。朝鮮の伝統的な葬祭は政府によって禁止され、禁を破るものは百叩き、配流、場合によっては斬り殺すという刑罰で儒教流の葬祭を押し付けます。死者を悼む饗宴は禁止され、3年間の服喪が強制されます。女性は二夫にまみえずという儒教の規定に従い、寡婦の再婚は禁止されます(これはなんと1894年まで続いたとのこと)。

王と儒臣たちの儒教教化は、ヨーロッパ中世の異端審問と教理の実践を想起させるほど過激なものであった。一方は神のために生きることの真偽を問われ、他方は死者のため現実の性をささげる誠意をひたすら試されたのであった。

 ”異端審問”です。何故そこまでやる必要があったのか?、朝鮮という小国の生き残り戦術「事大主義」です。朝鮮を中国と同じ、それ以上の儒教の国に作り上げ、「東方礼儀の国」となることよって自国の安全を図ろうとしたのです。上からの押しつられた儒教が、例えば同姓不婚という制度が20世紀まで生き残っているということは、朝鮮民族にそれを受け入れる精神風土があったということでしょう。
 人は死ぬとキリスト教では天国にゆき、仏教では輪廻を繰り返すと考えますが、朝鮮のシャーマニズムでは、死んだ人の魂は地上にあると考えられています。儒教の亡くなった肉親が地上に留まっているという思想がそれと結びつき、祖先、一族との紐帯を強め”血族”という概念を生み、血族の内と外を峻別するウリ(自分たち)とナム(ストレンジャー)という精神風土を生むに至った、ということの様です。

ウリとナム
 著者によると朝鮮社会は、知人、同郷同学、宗族(同本同姓血族)、門中(門派血族)、堂内(四代祖血族)の同心円の構造を持っている。同本同姓血族の「宗族」が結束する内に向かうベクトルは、同じ力が外向きのベクトルを生む、と言います。ちょっと長いですが引用、

 経済が沈滞するようなことがあれば、あるいは政治的混乱がふたたび訪れるようなことがあれば、たちまち亀の甲羅に身をすくめるように、外縁部からおのれを切り捨てて行くであろう。知人、同郷同学、宗族(同本同姓血族)、門中(門派血族)、堂内(四代祖血族)へと、それは縮むであろう。この縮む過程は、まったく社会的危機に対応しているであろう。危機が大きければ大きいほど縮み、堂内を中心とする同心円は外側からブースターをはずして核の安全を守る。
 反対に社会が安定的で、豊かになればなるほどウリの同心円は逆の順で広がっていくであろう。あるいはひとつの細胞が権力と富をもてば、それは奇食と威勢の集団となって究極まで拡大する可能性をはらんでいる。そしてこれらの広がり縮む臨界の向こうが、つねに不信者たち、つまり
ナム(他者、ストレンジャー)の世界となる。ウリが縮みきったときの堂内(四代祖血族)がウリの核である。

 この構造を作ったのが儒教(朱子学)だといいます。党派と血族の力学はなにも朝鮮に限ったことではありません。朝鮮民族(李朝)では細分化された宗族間に働く力が大きく、勢道政治、士禍を生んだのだと思われます(内ゲバの論理?)。李 栄薫の言う「種族主義」とはこのことだと思われます。
同心円.jpg
 今日韓国で李朝がどのように評価されているか?。著者によると、朴正熙は李朝史と儒教の伝統を否定し、民族主義と愛国主義を鼓吹したといいます。

我々は李朝史を四色党争、事大主義、両班の安逸な無事主義的生活態度によって後代の子孫に悪影響を及ぼした民族的罪悪史であると考える。時に今日の我々の生活が困難にみちているのは、さながら李朝史の悪遺産そのものである。(朴正熙選集二)

 朴正熙は、1961年の軍事クーデターで権力を握り、日韓請求権協定で得た5億ドルをベース高度経済成長(漢江の奇跡)を成し遂げました。韓国の近代化を推し進めた朴正熙が、李朝を公的に否定した事実は興味深いです。さらに朴正熙と金日成の類似点、彼ら二人が李朝史を事大主義、民族の主体性の欠如の歴史とみることで一致していると言います。宗族意識の強い朝鮮で民族国家意識を醸成することは困難を極めたはずです。

 北朝鮮では、宗族民族国家という2つの楕円の中心を金日成を核として一点に収斂することにより、運命共同体を創り出す工作が延々30年の歳月をかけて行われていた。
 韓国ではこの核がない。そこで宗族の強制力を矯めることによりこれを中心としたウリの知人包括力を増し、部分集合を大きくすることにより民族国家へと次第に近づけていったのである。

 金一族の個人崇拝にはこうした朝鮮ならではの事情があるわけです。後段が分かり辛いですが、核のない韓国が国家的危機に陥った時(国家、民族の結束が必要な時)、ウリに収斂するために必要なものがナムの存在だと読めます。国家的危機を外に危機(ナム)を作って乗り切ろうとする発想で、このナムが日本だと考えると昨今の日韓問題は何となく分かるような気がします。朱子学を「悪遺産」と呼ぶことは容易ですが、朱子学を受け入れた民族の根源があるはずです。これはもう文化人類学の領域かも知れません。

 『東アジアの思想風景』が面白かったので読んだのですが、なかなか示唆に富む論考です。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。