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韓国の高校歴史教科書 ②《大韓民国臨時政府》 (2006明石書店) [日記(2019)]

韓国の高校歴史教科書 (世界の教科書シリーズ)  日露戦争(教科書では「露日戦争」)から、日本は「日帝」と記されることになります。1905年の第二次日韓協約によって朝鮮は日本の保護国となりますから、韓国にとってははっきり日本帝国の侵略となるわけでしょう。

 「大韓民国臨時政府」なるものが上海に存在したことは、恥ずかしながらこの教科書を読むまで知りませんでした。ド・ゴールのフランス亡命政府、ポーランド亡命政府などは有名すが、「大韓民国臨時政府」は初耳。「大韓帝国」の亡命臨時政府ではなく「大韓民国」の臨時政府です。当時大韓民国ってありました?。高宗がロシア公使館に逃げ込んだ「露館播遷」という亡命政府はありましたが...。教科書によると、

 3/1運動をきっかけにわが民族は組織的に独立運動を推し進め、国民国家建設を効果的に準備する政府を樹立しようとした。ソウルや沿海州、上海にそれぞれ政府が組織され、ついに上海に大韓民国臨時政府を樹立した(1919.9)。
 大韓民国臨時政府は民主主義に立脚した近代憲法を持ち、民主共和制と大統領制を採択した。臨時政府は立法機関である臨時議政院、司法機関である法院[裁判所]、行政機関で国務院を置いて三権分立憲政体制を整えた。

 臨時政府はパリ講和会議に金奎植を代表として派遣しして独立を主張し、アメリカに欧米委員部を置いて李承晩を中心に外交活動を展開し、韓国の独立問題を国際世論に訴えるよう努力した
 自由主義と共和主義を基本理念として標榜した大韓民国臨時政府は、わが民族の主権を代表する政府として機能した。これとともに日帝強占期に独立運動統括する中心機構としての役割も果たした。

 こんな凄い組織があったんですねぇ、知らなかった!。司法機関や行政機関を持ち立憲体制を整えてもそれは上海でのこと、朝鮮国内は日帝の支配下にあり、何の実効も無かったと思うのですが。「大韓民国臨時政府の法統を継承した」と記載されています。現在の大韓民国は日本の敗戦、解放によって生まれたのではなく、この臨時政府から続くということのようです。初代大統領は、臨時政府政府の初代大統領の李承晩。ただ、李承晩は1911年~1945までアメリカに亡命していたわけですが...。上海には臨時政府跡という建物が現存し、 文在寅大統領が訪れています。大韓民国は敗戦によって「棚ぼた」で生まれた(李栄薫)国家ではないということです。
 大韓民国臨時政府は韓国光復軍という軍事組織まで持っています、

1937年に日帝が中日戦争(日中戦争)を引き起こして中国本土を脅かすと、大韓民国臨時政府では、満州地域の独立軍と各地に散らばっていた武装闘争勢力を集めて重慶で韓国光復軍を創設した(1940)。臨時政府が日本に宣戦布告をした後、韓国光復軍は連合軍と共同でミャンマー[ビルマ]戦線に参戦した。また、アメリカと協力して国内侵攻作戦を準備したが、日帝の崩壊によって実現できなかった
 その他に、満州地域では1930年代に入って中国共産党軍と連合した抗日遊撃隊である東北抗日連軍の活動も続いた。そして金元鳳を中心とした義烈団系統の人々は、中国国民党政府の協力を得て朝鮮義勇隊組織し、朝鮮義勇隊から分かれた華北地方の朝鮮独立同盟系列の人々は朝鮮義勇軍を結成し、中国共産党軍と連合して抗日闘争を展開した。

 前段の「連合軍」は中国国民党とことと思われ、国民党軍に加わって戦ったということ。後段の「東北抗日連軍」は中国共産党の軍で、そこに含まれる朝鮮軍は後に金日成の北朝鮮の母体となります。金元鳳は、朝鮮戦争後、北朝鮮で中央委員まで上り詰めた人物です。光復軍とは、南では中国国民党軍の下でビルマ戦線で戦い(9名参加?)、満州では中国共産党軍傘下で抗日闘争をしたのですが、満州の抗日組織が光復軍だったかどうか?。教科書の記述通り、「各地に散らばっていた武装闘争勢力」を大韓民国臨時政府と光復軍という概念で再編集したということではないかと思います。せっかくここまで書いたのですから、南北の分断についてもハッキリ書くべきだと思いますが...。ともかく、これを読めば韓国の高校生は輝かしい民族の歴史を誇りに思うことでしょう。
 「先生!、どうして『極東裁判』に大韓民国臨時政府が登場しないんですか?、中華民国は登場するのに...」と生徒が質問したら、先生はどう答えるのでしょう。

 で従軍慰安婦と徴用工はどうかというと、

日帝は強制徴用によって韓国人労働力を搾取し、学徒志願兵制度、徴兵制度などを実施して数多くの若者を戦争に動員した。また、若い女性を挺身隊という名前で強制動員して軍需工場などで酷使し、その一部は戦線に連行して日本軍慰安婦とする蛮行を犯した。

【読み物資料】日本軍慰安婦の実情
日本の帝国市議は1932年頃から侵略戦争を拡大し、占領地区で「軍人の強姦行為や性病感染を防止し、かつ軍事機密の漏洩を防ぐ」という口実でわが国や中国、台湾および占領地域の10~20万人に及ぶ女性をだましたり、暴力で連行した。彼女たちは満州、中国、ミャンマー(ビルマ)、マレーシア、インドネシア、パプア・ニューギニア、太平洋のさまざまな島や日本、韓国などにある慰安所で人権を剥奪された性的行為を共用された 云々。<韓国挺身隊問題対策協議会教育資料Ⅰ>

 民間団体の「挺対協」(現在は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」というそうです)の資料を国定教科書に引用するのはどうかと思いますが、日本の国家的犯罪が堂々と記載されています。この教科書を読むと、大韓民国の輝かしい歴史に感動し、日本人であることが恥ずかしくなります。

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