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呉 善花 韓国併合への道 完全版 ② (2012文春新書) [日記 (2020)]

韓国併合への道 完全版 (文春新書 870) ロシア
 李朝のロシア接近を、著者は「新たな事大主義」と書きます。事大主義は、寄らば大樹の陰、李朝の伝統的な思想。李朝は、宗主国・清と三国干渉で弱腰となった日本に代わり、「事大主義」の対象として軍事大国ロシアに接近を図ります。半島での勢力拡張を目指す日本は、ロシアに接近する閔妃を暗殺し、親日派の金弘集内閣を成立させ改革を推し進めようとします。経済的に破綻し内乱と勢道政治の続く半島は、いずれ列強の支配下になると考える日本政府は、安全保障上朝鮮を内部改革によって近代国家にする必要があったのです。その突出した行動が、公使・三浦梧楼の閔妃暗殺となって現れたわけです。

 1895年の断髪令をきっかけに農民層を巻き込んだ武装蜂起(義兵)が各地で起き、1896年、ロシアと親露派は120名のロシア兵を使って高宗をロシア大使館に移します(露館播遷)。親露派によるクーデターです。李朝はロシアの傀儡国家となり、半島における日本の勢力は増々後退し、親日派の金弘集内閣と日本が目指した内政改革は完全に潰れます。

 1897年、ロシア公使館から王宮に移った高宗は、国名を「大韓帝国」に改めます。この頃西欧列強による清国蚕食(租借)が始まり、義和団事件のために出兵したロシア軍によって満州が占領され、日露は戦争へと踏み出します。1904年に日露戦争が勃発し、日本は第一次日韓協約を結んで朝鮮を保護国化し、日韓併合へと歩みだします。

日清日露.jpg
 日清戦争、日露戦争を地図上でみると(wikipedia)その戦場はほぼ同じ。半島をめぐって日清、日露が南満州で戦った戦争であり、半島の地政学的位置がよく分かります。面白いことに、1903年の日露協商会議では、半島を北緯39度線で南北に分割する案が検討されています。後の「満州帝国」、38度線での南北分断を考えると興味深いです。

日韓併合への道
 日露戦争の勝利した後、日本はアメリカのフィリピン支配、イギリスのインド支配を認め、米英に日本の朝鮮支配を認めさせます。帝国主義による東アジアの簒奪です(中国はすでに列強による租借地が乱立)。日露戦争終結後、第二次日韓協約(乙巳保護条約)を結び大韓帝国の外交権を奪います。閔妃のように勝手にロシアに接近されては困ると考えたのでしょう。高宗はバーグで開かれた「万国平和会議」に密使を派遣して(ハーグ密使事件)日韓協約の無効を訴えますが、出席さえ拒否されます。外交権を失った大韓帝国は、国際的に国家としてみとめられていなかったことになります。この密使事件がバレて高宗は退位ささせられ皇太子・純宗が即位します。

 日本の韓国併合の政策は、大韓帝国市民にどう受け止められたのか?。当然これに反対する「義兵」による蜂起もあるわけですが、一方、日本との同盟(合邦)を支持する勢力も存在します。李容九、宋秉畯の率いる公称100万、実質20数万?の会員を持つ「一進会」です。面白いのは、李容九、宋秉畯は東学党の闘士だったこと。斥倭斥洋、反閔氏を掲げて反乱を起こした彼らが何故親日に転向したのか?。著者は、

日本は、上からの近代化によって社会にもたらされる混乱を自力で美り越えることができた。しかしだれが考えても、当時の韓国では、近代化がもたらすであろう社会的な混乱を、 自力で乗り越えることなどできるはずもなかった。・・・国王側近も政府も指導力が皆無に等しかったから である。・・・韓国が独自に上からの行政改革をもって近代化をなしとげ、かつ自力をもって社会秩序を維持していくことはほとんど不可能だった。当時の韓国はそういう状況下におかれていたのである。
・・・当時の韓国はいったん外国の保護下に入り、そこで近代化を進めて力をつけ、独立へと向かうしか現実的にはとるべき道はなかったのである。

 李容九は自国の政府を見限ったわけです。売国に等しい彼らの行動も、見方によっては現実的な愛国的な行動とも言えます。何の成果も挙げられなかった「大韓民国臨時政府」は大々的に教科書に取り上げられていますが、「一進会」は影も形もありません。今日の韓国では、李容九、宋秉畯は「親日」のレッテルを貼られ、宋秉畯に至っては2007年の「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」によっての国家に財産を取り上げられているそうです。宋秉畯は1925年に死んでいますから、子孫の財産を取り上げたわけです(法律には「不遡及の原則」の大原則があるのですが、こと「反日」に至っては何でもアリなのでしょう)。

大アジア主義
 西欧から「近代民族国家」という理念が入り、外国勢力によって民族が独立の危機にあり、自国の政府があてにできない時、その民族はどうするか。日本は政府(幕府)を倒してかろうじて近代民族国家となり、中国、韓国は外国勢力を借りて政権の奪取をはかろうとします(孫文、金玉均)。三国干渉等によって日本にナショナリズムが高揚し、西欧列強に対抗する「大アジア主義」が芽生えます。いわば日中韓の弱者の大同団結です。孫文を支援した宮崎滔天、甲午農民戦争を支援する日本人の集団「天佑侠」(武田範之、内田良平)が現れます。李容九の「日韓合邦」もこの大アジア主義の文脈で捉えることもできます。

当時の状況でもし韓国が独立できたとしても、再び王室派、守旧派、親露派、親日派、親米派などの内部抗争が再開されることは目に見えていた。
・・・民族の自立を保ちながら、なおかつ国家的な権力をもってその自立を保証していこうとする限り、互いに自立した民族がその自立を維持しつつ一つの国家を形成するという合邦が、唯一描くことのできる構想ではなかっただろうか。

1910年、かくして韓国は日本に併合されます。著者は、「大アジア主義」の章をこう結びます。

私にいわせれば、李朝ーー韓国側の「併合への道をもたらした原因」を徹底して解明していこうとする動きは、少なくとも韓国内部からは現在に至るまで出てきてはいない。ようするに、自らの側に外国による統治を招来させてしまった要因を探り当て、そこに深い反省を寄せて現在から未来への展望をもとうとする気持ちが、解放直後の韓国知識人の間に生まれることもなく、いまなお欠落したままなのである。
・・・少なくとも民族の尊厳の確保に賭けて大アジア主義を掲げ、国内で最大限の努力を傾けた李容九らを売国奴と決めつけ、国内では表立った活動をすることなく外国で抗日活動(大韓民国臨時政府などー引用者注)を展開した安昌浩、李承晩らを愛国者・抗日の闘士と高く評価するといったバランスシートは、私にはまったく不当なものと思える。

続きます。

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ネオ・アッキー

明けましておめでとう御座います。
昨年はお世話になり、心よりお礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
by ネオ・アッキー (2020-01-03 13:45) 

べっちゃん

こちらこそ。何時も画像を楽しませていただいています。
by べっちゃん (2020-01-03 13:46) 

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