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司馬遼太郎 坂の上の雲② --ロシア(1969、2004文藝春秋) [日記 (2020)]

坂の上の雲 <新装版> 2 続きです。
ロシアの南下
 ロシアの南下によって「日清戦争 →三国干渉 →日露戦争」が起こったというのが、作者の考えです。この南下の淵源は、タタール人と毛皮だといいます。ロシアは、ノルマン人がウクライナ(キエフ、ルーシ)に建てた王国が基となっていますが、その時、広大なシベリアは狩猟遊牧民ツングース人、ヤクート人が暮らすたぶん原始の地です。13世紀にモンゴルがウクライナに侵入しこの地を支配します、いわゆる「タタールのくびき」です。モンゴル人は騎馬民族、その機動力でアジアからヨーロッパに跨がる大帝国を築きます。この支配は250年ほど続き、タタール人(モンゴル人)がロシア人に与えた影響は、専制主義と領土拡張思想だそうです。たかが2百数十年のモンゴル支配で、ロシア人が侵略的民族に変わるとも思えないのですが、アジアからヨーロッパを席巻したタタール人が騎馬民族であることを考えれば、さもありなんと思ってしまいます。さらにタタール人が消えたあとの中央アジア=前支配者の土地に「俺たちの領土だろう」というノリでロシア人が進出し、コサックが毛皮を求めてシベリアに侵入します。

古い時代、ロシア国家というのは、一個の巨大な毛皮商人であった。とくに17世紀以後、毛皮輸出が国家の重要財源になり、専売制がとられたこともある。シベリアは、その宝庫である。・・・人類(ツングース人、ヤクート人)も、まばらながら住んでいる。・・・彼らが毛皮をとる。ロシア人がそれを買いに来る。・・・かれらはシベリアを東へ東へと進み、ついに沿海州に達し、更にカムチャッカ半島にまで達した。ーーここは、ロシアの領土だ、ということになった。

 国家の主権の及ばない未開のシベリヤを、毛皮を求めて西進、南進するロシア人というのは想像できます。

彼らは長い歳月のあいだ、なし崩しの「侵略」を重ねつつ遂にカムチャッカ半島に達し、さらに千島列島に南下し、占守(しゅむす)、幌筵(ぱらむしろ)の両島を占領し、いよいよ進んで得撫(うるっぷ)島以北の諸島を侵したとき、はじめて日本と接触した。・・・日露戦争からほぼ150年前のころである。
 日本人が、当時でいう赤蝦夷ーーロシアの危機を感じた最初である。

 1781年、工藤平助は『赤蝦夷風説考』を書いて、南下するロシアの脅威と蝦夷地の開発を説きます。
 ロシアの南下は最初ヨーロッパで行われます。クリミア戦争を起こし外交で英仏に破れた後、1891年にシベリア鉄道を起工、その領土的野心は極東に向かいまます。極東でも、イギリスとロシアが角を突き合わせます。インドまで視野に入れ不凍港を求め南下するロシアに対して、クリミアでロシアの野望を阻んだイギリスは対馬海峡を封鎖するため済南島の北東にある巨文島に進出し、これに対しロシアは対馬に上陸し租借を強要します。英露の租借は実現しなかったわけですが、ロシアを過疎敵国とした攻守同盟、日英同盟に至ることになります。

 日清戦争の結果、2億両(テール)の賠償金と、台湾、澎湖島、遼東半島の領土を得ますが、露独仏の三国干渉によって遼東半島を放棄させられます。不凍港である旅順港の欲しいロシアはにとって、遼東半島を領有する日本は邪魔物。「東アジアの平和のため」とか何とか言って武力をチラつかせて遼東半島の返却を迫り、日本は一戦交えてでもという軍事力は無く、ましてドイツ、フランスまで敵にまわす国力はありません。ここから国民の間に「臥薪嘗胆」の気分が生まれ、ロシアに対抗できる軍備の拡張(海軍)が行われるわけです
 当時の日露の海軍力の差は、ロシアが1万トン以上の戦艦10隻、7千トン以上7隻、7千トン未満は10隻、日本は戦艦はゼロ、巡洋艦を持っているに過ぎないという貧弱さです。ロシアと対抗するためには、軍事費がとてつもない額になります。日清戦争が終わった明治28年に、総歳出9100万円に占める軍事費の比率は32%。翌29年は歳出は2億円に跳ねあがり同48%、30年55%で額は28年の三倍。この突出した軍事費で日本は海軍を充実させ、これが日露戦争まで続きます。当然、皺寄せは国民に行ったわけですが、国民はこの大きな軍事負担に耐えたわけです。それほど三国干渉の屈辱は大きかったのでしょう。

満州と朝鮮半島
 ロシアは、露清条約(1896)を結び旅順・大連の租借権(1898)を得て旅順に要塞を築き、シベリア鉄道と直結する”東清鉄道、南満州支線”の施設権を得、兵站の準備まで整えます。1900年義和団事件が起き、ロシアは満州に出兵しそのまま居座ります。
 ロシアの領土的野心を、たぶん蔵相ウィッテの回顧録がネタ元だと思われますが、作者はまるでニコライ二世の宮廷に潜り込んでいるかのように描きます。陸相クロパトキンにこう語らせます。

北京へ兵力を出す。が義和団は北京だけにいるのじゃありませんからね、満州にもいる。我々は満州にも大群を出す。そのまま座り込んでしまう。満州は自然ロシアのものになる。

 満州の次は朝鮮。退役軍人ベゾブラゾフを登場させてニコライ二世に説きます。

朝鮮をも領有なさらねばなりませぬ

満州と遼東を占領しただけで朝鮮を残しておいては何もならない。朝鮮は日本が懸命にその勢力下に置こうとしており、将来日本はこの半島を足がかりにして北進の気勢を示すであろう。その日本の野心をあらかじめ砕くには、いちはやく朝鮮をとってしまうほかない

朝鮮半島を得てはじめて陛下が欧亜にまたがる史上空前の帝国の主になられるということになります

 朝鮮こそいい面の皮ですが、かつては高宗が頼ってその公使館に逃げ込んだロシアは、こう考えていたことになります。

19世紀からこの時代(日露戦争前夜1903年)にかけて、世界の国家や地域は、他国の植民地になるか、それがいやならば産業を興して軍事力を持ち、帝国主義の仲間入りするか、その二通りの道しかなかった。後世の人が幻想して侵さず侵されず、人類の平和のみを国是とする国(現在の平和国家日本)こそ当時のあるべき姿とし、その幻想国家の架空の基準を当時の国家と国際社会に割り込ませて国家の在り方の正邪を決めるというのは、歴史は粘土細工の粘土にすぎなくなる。

・・・日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、その時から他国(朝鮮)の迷惑の上において己の国の自立を保たねばならなかった。

 日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれを捨てれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。

 この年、駐日ロシア大使ローゼンは、北緯39度線で朝鮮半島を日露で分割する提案がなされます。ロシアはすでに満州を奪い、その武力を背景としたロシアの企業は満州国境から北朝鮮を抑えています。この提案を飲めば、いずれロシアは南下し39度線上で軍事衝突が起き、日本列島はロシアに飲み込まれざるを得ません。

ロシアは日本を意識的に死へ追いつめていた。日本を窮鼠にした。死力をふるって猫を噛むしかなかったであろう。

続きます。

タグ:読書
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