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木内昇 万波を翔る ① (2019日経出版) [日記 (2020)]

万波を翔る  幕末の外交官・田辺太一を主人公とした維新ものです。木内 昇は、伊東甲子太郎を主人公に新選組を裏から描いた『地虫鳴く』があります。本書でも、幕末維新を、薩長ではなく幕府側から敗者の歴史を描きます。

外国方
 田辺太一は後家人の次男坊。部屋住みですから仕官もかなわず、甲府藩の藩校教授、長崎海軍伝習所を経て外国方の書物方にもぐり込みます。外国方は、鎖国の日本に外国船がやって来るようになり(ペリー来航は1853)、その折衝のために1858年に生まれた新しい役所。外務省のようなものでしょう。その長官も、水野忠徳、井上清直、岩瀬忠震、永井尚志、堀利熙に始まって10年間に50人ほど。ひとつの役職を複数でこなす幕府の制度とはいえ、長官がころころ変わっては、その下にいる役人はたまったものっではありません。太一は書物方ですから事務職。いわば手探りの新設役所のサラリーマンの物語でもあります。読み様によっては、サラリーマンの悲哀物語です。

 幕末の外交が舞台ですから、主題は貿易、為替、開港の問題です。幕末の外交を経済の動きで描こうというわけです。おまけに時勢は「攘夷」。長州藩がバックにいる朝廷は条約や開港の勅許を出さず、攘夷派は、露軍人、仏人暗殺に始まって、生麦事件、英国公使館焼討、異国船襲撃などの事件が頻発し、外国方はこの尻拭いに忙殺される有り様。英国公使館焼討などは高杉晋作、伊藤博文などが関わっていますから倒幕派から見れば快挙、幕府側の外国方にとってみれば暴挙、テロ。政治、経済案件の交渉から攘夷の後始末までやらされますから、気の毒といえば気の毒。
 もうひとつのおまけが、将軍後継をめぐる一ツ橋派と紀伊派の抗争と、抗争に勝った井伊直弼の「安政の大獄」。派閥抗争よって有能な外国奉行の首が飛び、外交の一貫性、整合性が失なわれます。

為替
 「日米修好通商条約」によって貿易が始まります。この時の為替が1ドル=1分銀3枚。当時の日本では金と銀の交換比率は同等ですから1ドル=1分金3枚。日本で1ドル=1分金3枚で両替し、海外に持っていって銀に交換して日本に持ち込めば為替差益が稼げるというわけです。日本にとっては、差損で金が流出することを意味します。この金の流出を食い止めようするのが、太一の上司である外国奉行の水野忠徳。水野忠徳の人物造形が秀逸です。

水野忠徳は、いたずらに顔の長い男であった。その上、顎がやや左にひしゃげている。色黒のせいか、焦げた瓢箪としゃべっているようであった。

 水野もまた太一同様の部屋住みで養子に入り、傘張りの内職までする貧乏を経験したしとかで金銭に細かい奉行。太一を使いに出し2文の釣り銭を請求するという幕府の奉行。おまけに性狷介この性格で為替差損に我慢ならなかったわけです。窮余の策で、新たに1ドル相当の銀貨(二朱銀2個で1ドル)を鋳造し金の流出を防ごうとしますが、ハリスに見抜かれ実効を挙げなかったようです。本書では、太一が発想し水野が実行したことになっています。
 一方の田辺太一も己を欺けない一本気で、思うことをズバリってしまう性格。何よりも落語と吉原が好きで、切羽詰まると落語調になる辺りは作者の分身かもしれません。書物方が奉行に直接意見具申できたはずはなさそうですが(外務省の平職員が大臣に意見するようなもの?)、この水野、太一のコンビが面白いです。本書で知ったのですが、水野は京に上って足止めを食らい人質同然となった徳川家茂の奪還を実行する(不成功)という硬骨漢でもあったようです。

 「安政の五ケ国条約」の締結により箱館・横浜・長崎で貿易が開始されます。輸出品は生糸、蚕卵紙、茶で、価格競争力のあるこれらの品は輸出に回ることで国内で品薄となり、海外からは機械生産された安価な綿織物が大量に輸入されたため、綿花、綿織物、木綿産業がダメージを受ます。これらの流通のアンバランスによって物価は高騰することとなり、為替差損だけではなく流通においても難題を抱え込むこととなります。生糸、雑穀などの五品目について江戸の問屋を経由する法令(五品江戸廻送令)を定め統制を図りますが、外国方はここでもまた列強の圧力に神経をすり減らす始末。
 この辺りは教科書的な記述で、経済小説というには物足りませんが。

続きます。

タグ:読書
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