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司馬遼太郎 坂の上の雲 ⑥ 日本海海戦 無線電信 [日記 (2020)]

坂の上の雲 <新装版> 六三笠.jpg
戦艦 三笠

続きです

無線電
 当然モールス信号です。モールス符号が国際的用いられるのは1868年、マルコーニが大西洋横断無線通信に成功したのは1901年ですから、技術の伝播は実に速いものです。1904年の連合艦隊には木村駿吉によって開発された三六式無線機が積まれています。バルチック艦隊には通信距離700マイル世界一のマルコーニ製無線が搭載されていたようです。

(戦艦)三笠には、その弾薬庫にある下瀬火薬とともに、もっとも誇るべきものとして三六式無線通信機が、後部シェルターデッキの下に備えられていた。
秋山真之が、戦後すぐ、この無線機の発明者である木村駿吉博士へお礼の電報を打ち、あとあとまで、
「通信戦に関するかぎり、日本海軍のひとり舞台だった」
と語っていたほどに、その性能がすぐれていた。この日露戦争の前、日本海軍が無線の実用化のために払った苦心と努力は凄まじいほどのもので、日本は作戦と艦隊運動の優越をもってロシアに対抗する以外になく、それを実際の海上で可能にするのは、優秀な無線機であった。

 当時、真空管は発明されたばかりで実用になっていませんから、三六式無線機は、誘導コイルを使った火花式送信機とコヒーラ検波器の受信機と印字機から成る送信出力600W、到達距離1000kmの無線機です。火花ですから周波数もなにもあったものでは無く、図を見る限り周波数を決定する同調回路もありません。どうやって各艦からの電波を区分したのか不思議です(アンテナの長さで周波数を区分したという記述が何処かにあったと思います)。
三六式2.jpg 三六式.jpg
 巡洋艦以上の船にはこの三六式無線機が積まれていたようですから、信濃丸がバルチック艦隊を発見し「敵艦見ユ」と打電したのはこの無線機です。5月27日午前2時45分、信濃丸は、五島列島の小島・白瀬付近の海域でバルチック艦隊に遭遇し、三笠に打電します。巡洋艦・和泉がそれを引き継ぎ、バルチック艦隊の進路、編成を打電し、聯合艦隊は敵と遭遇する前にその全貌を知ります。和泉は、艦隊全船の煙突が黄色に塗られていることも伝え、砲撃の格好の目標となります。

 信濃丸が発した「敵艦見ゆ」の無電は、対馬に停泊中の第三艦隊旗艦厳島から鎮海湾の三笠あて、午前五時五分に中継打電された。
 すでに暗号が決められている。の字を続けざまに七度打つのである。
「タタタ、タタタタ」
この早暁、鎮海湾から加徳水道にかけて錨をおろしているあらゆる軍艦の無線機が、いっせいに鳴った。

 交信にはモールス符号が使われたはずですから、「タ」はモールス信号では-・。-・という符号が7回繰り返されたことになります。真珠湾奇襲の際に使われた「ワレ奇襲ニ成功セリ」という暗号は「トラトラトラ」ですから「・・―・・ ・・・」。
 面白いのは、バルチック艦隊も信濃丸を発見しこの無電を受信しているにも関わらず、妨害電波も発射せず砲撃もしていないことです。

 この物語の主人公であり日本海海戦の演出者である参謀・秋山真之は、バルチック艦隊は対馬海峡を通るのか、太平洋から津軽海峡を通るのか、に悩みに悩み続け対馬海峡を選択します。聯合艦隊司令部にとって、この「敵艦見ユ」の無電がどれほど劇的であったか。戦端を開くにあたり、勇躍、大本営に打電します。

敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅戦セントス
秋山真之はこの一文に、有名な
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ
を加えます。秋山は、Z旗の信号文、「聯合艦隊解散の訓示」など後世に伝わる名文を遺しています。大悪予備門で一時は正岡子規と文学を志していますから、平明にして格調高い文章はその時代に培われたと思われます。

祖国防衛戦争
 日本海海戦は聯合艦隊の歴史的な大勝利に終わり、アメリカの仲裁で日露戦争は集結します。満州の日本陸軍は、奉天会戦でかろうじて勝利しますが、兵員、弾薬の欠乏からロシア軍を追撃できず、おまけに国庫はから同然で、日本はこれ以上日露戦争を継続できない状況。このまま戦争を続ければ敗北という崖っぷちにあります。ロシアは、ナポレオン、ナチス・ドイツの侵攻でも、次々に戦線を後退させ敵の戦線が伸び切った時に反攻に転じ勝利をつかむという戦術を得意としていますから、南山・金州、黒溝台、奉天の勝利は果たして勝利だったのかどうか。ポーツマスの講和会議でも、ロシアは賠償金の支払いを拒否しますから、負けたとは考えていなかったようです。日本海会戦の敗戦で、ロシアはたっとアメリカの仲裁を受け入れます。

 (日本海)海戦において日本側がやぶれた場合の結果の想像ばかりは一種類しかない。・・・
まず満州において善戦しつつもしかし結果においては戦力を衰耗させつつある日本陸軍が、一挙に孤軍の運命におちいり、半年を経ずして全滅するであろうということである。
 当然、日本国は降伏する。・・・おそらく列強の均衡力学を利用してかならずしも全土がロシア領にならないにしても、最小限に考えて対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの租借地になり、そして北海 道全土と千島列島はロシア領になるであろう。・・・

 むろん、東アジアの歴史も、その後とはちがったものになったにちがいない。満州は、すでに開戦前にロシアが事実上居すわってしまった現実がそのまま国際的に承認され、また李朝鮮もほとんどロシアの属邦になり、すくなくとも朝鮮の宗主国が中国からロシアに変わったに相違なく、さらにいえば早くからロシアが目をつけていた馬山港のほかに、元山港や釜山港も租借地になり、 また仁川付近にロシア総督府が出現したであろうという想像を制御できるような材料はほとんどないのである。

 これも歴史の”if”ですが、作者が日露戦争を祖国防衛戦争と呼ぶ所以です。妄想と笑って済ますわけにはいきません。明治38年、日本は綱渡りの末、亡国の崖っぷちで踏みとどまったのです。

 ポーツマス条約によって、朝鮮半島に於ける日本の優越権が認められ、日露両国の軍隊は満州から撤退し、樺太の北緯50度以南の領土を獲得します。さらに、ロシアは東清鉄道の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権、関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡します。
 韓国は、第二次日韓協約によって外交権を失い、首都漢城(ソウル)に日本の統監府が置かれ、日本の保護国となって1910年の「日韓併合」と至ります。満州の鉄道と付属地、旅順・大連の租借権は、後の「満州帝国」の祖型となります。

 司馬遼太郎は、日韓併合と満州帝国についての小説は書いていません。残念なことです。

タグ:読書
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