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映画 わたしを離さないで(2010英) [日記 (2020)]

わたしを離さないで [DVD] わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)  小説が面白かったので映画を観てみました。『エクス・マキナ』『アナイアレイション -全滅領域』のアレックス・ガーランド(脚本)がこの小説をどう料理するか興味あるところです。カズオ・イシグロの小説は、『日の名残り』が映画化されていますが、決して成功作とはいえず原作の方が圧倒的に面白いです。それに比べると、『わたしを離さないで』は、3人の若い男女が主人公であり背景がSFですから映画には向いています。
 ストーリーは他に譲り、アレックス・ガーランドが原作の何を切り捨て何を加えたか、を中心に見てゆきます。

ヘールシャム 1978年
 イングランド然としたヘールシャムのたたずまいを背景に、制服姿の小学生の学校生活が描かれます。このグラマースクールの様な寮生活の映像と、そこで暮らす生徒たちは、実は臓器提供のために育てられる”クローン”人間だったという落差は、原作以上にショッキングです。原作もそうですが、早い段階で彼らがクローンであることが明かされますから、クローンと臓器提供はストーリーの主題ではありません。主題はもっと別のところにあるはずです。
 ストーリーの中心が、キャシー、トミー、ルースの三角関係であることは原作通りです。キャシーが何くれとなくトミーに世話をやくシーン、講堂に集合したなかでルースがトミーの手をそっと握るシーンは、後の3人の複雑な関係を暗示しています。この辺りの映像化は素晴らしいです。
 キャシーが、『わたしを離さないで』の曲に合わせて枕を抱いて踊るシーンです。原作では、”マダム”がキャシーの姿を見て涙を流すこのシーンはハイライトのはずですが、映画では、キャシーを見つめるのは何故かルースで、マダムの涙はカットされています。従って、キャシーの『わたしを離さないで』への思い入れは十分に伝わりません。「ノーフォーク=遺失物保管所 説」もカット。

コテージ 1985年
 18歳となって、舞台はヘールシャムからコテージへ移り、キャシーをキャリー・マリガン、トミーをアンドリュー・ガーフィールド、ルースをキーラ・ナイトレイが演じます。このコテージ時代のエピソードは、後の展開に関わってきます。ノーフォークで”ポシブル(possible)”と呼ばれるクローンのオリジナル(親)探し、ポルノ雑誌、臓器提供の”執行猶予の噂”、執行猶予と絵と関連などはもれなく登場しますが、失くした『わたしを離さないで』のミュージックテープを、リサイクルショップで見つけるエピソードはありません。ヘールシャムで始まった三角関係は、ルースとトミーは”カップル”に発展しています。キャシーとトミーの関係が気になるルースは、「アンタは後釜に座れない」とキャシーに啖呵を切り、ヘールシャムの伏線が見事に回収され、次の展開に続きます。

終了 1994年
 介護人となったキャシーは、臓器提供の手術を受けたルースを介護します。死期を悟ったルースは、ヘールシャムでキャシーとトミーの関係に割って入った罪を告白します。ふたりが本来の関係を結ぶことを願い、マダムにふたりの愛を証明して、臓器提供の執行猶予を申請することを薦めます。ルースとトミーがマダムを訪ね、そこでエミリ先生と会い、”執行猶予”がないこと、ヘールシャムの成り立ちと閉鎖の訳を知ります。帰途にトミーが運命を呪うように絶叫し、4回目の提供の後”終了”することも原作通り。キャシーはノーフォークに出かけトミーの幻を見て映画は終わります。
 ラストシーンで、木の枝や有刺鉄線にゴミがからまっている様子が映し出されます。何でゴミなのか?は原作を読まないとイメージ出来ません。原作のこの部分は、

わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。
この場所(ノーフォーク)こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。
やがて地平線に小さな人姿が現れ、徐々に大きくなり、トミーになりました。トミーは手を振り、わたしに呼びかけました…。

海岸線に打ち上げられたゴミは、3人が見に行った廃船、難破船を指します。そしてキャシーはトミーの幻影を見て、THE ENDとなります。
 映画はで、1ヶ月後に提供の手術を受けることが決まったキャシーの独白で終わります。

ここには、過去に失ったものがすべて流れ着く気がする。ここで待てば地平線のかなたに人影が現れる。近づくその人影はトミーだ。彼は手を振り私を呼ぶ。・・・トミーを知っただけでも幸せだった。

私は自分に問う、私たちと私たちが(臓器提供で)救った人々の違いが?。皆”終了”する。”生”を理解すること無く--命は尽きるのだ。

映画と原作 
 映画は、臓器提供と「死」を運命づけられたクローン人間の悲恋。施設で育んだキャシーとトミーの愛がルースによって引き裂かれ20年後に結ばれるが、トミーの死によって終わるという愛の物語です。原作は、キャシーが愛を育んだヘールシャムとルース、トミーを失い、ノーフォーク=遺失物保管所という精神領域に楽園とトミーを定着させるという、「喪失」の物語だと思われます。原作では重要なこのノーフォークというkey wordが、映画ではスッポリ抜け落ちています。愛の物語、しかも死を運命づけられたクローンの愛の物語の方が、映画としては本道でしょうね。「喪失」の物語など誰も見に行きません。

 原作のある映画化するというのは難しいです。小説は文字から、映画は映像からイメージを得ます。さらに映画には1.5時間から2時間という時間的制約があり、投資のリターンが要求されます。原作の質がどれほど高くても観客が入らなければ映画として成り立ちません。従って、原作のイメージを壊さない範囲で、原作の改変、脚色が必要となります。大抵の映画が、観客が望むテーマを抽出して映像化しています。これは仕方がないことです。むしろ原作を離れて原作にspirareされて映像化した方が成功するようです。例えば『ブレードランナー』。

 脚本を書いたアレックス・ガーランドには、臓器提供のために人間に飼育されるクローンは何故人間に反乱を起こさないのか?、という想いがあったはずです。原作でも、人間より優れたクローンを生み出そうとする科学者の存在が触れられています。この疑問の帰結が、アンドロイドの反乱を描いた『エクス・マキナ』でしょう。

監督:マーク・ロマネク
脚本:アレックス・ガーランド
出演:キャリー・マリガン アンドリュー・ガーフィールド キーラ・ナイトレイ

ザ・ビーチ(2000年) - 原作
28日後... (2002年) - 脚本
28週後... (2007年) - 製作総指揮
* わたしを離さないで(2010年) - 脚本・製作総指揮・・・このページ
エクス・マキナ(2015年) - 監督・脚本
* アナイアレイション -全滅領域(2018年) - 監督・脚本

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