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ディーリア・オーエンズ ザリガニの鳴くところ ② (2020早川書房) [日記 (2020)]

ザリガニの鳴くところ  続きです。
 接点と言うほどのドラマはないのですが、カイアと殺されたチェイスとの接点が明らかになります。大学に進学して街を離れたテイトは、休暇には帰るとカイアに約束したにもかかわらず帰らず、カイアはイケメンでスポーツマンのチェイスに言い寄られ、チェイスに傾斜してゆきます。チェイスは胡乱な動機でカイアに近づき、次第に彼女の野性の虜となります。カイアはというと、

チェイス・アンドルーズを見つめているのはカイアの体であり、心ではなかった。

 カイアとテイトの関係は、テイトがカイアに珍しい鳥の羽を贈りカイアがそれに応えるという「動物の求愛行動」のアナロジーとして描かれました。チェイスとの関係は、雌のホタルが光の明滅信号によって雄を呼び寄せる求愛行動のアナロジーとして描かれます。有り体に言えば、子孫を残すという本能、性的関心ですが、両者は少し違います。

 一匹の雌が信号を変えたのだ。その雌はさっきまで正しいチカリとジーの組み合わせを送り、仲間の雄(テイト)を引き寄せて子づくりをしていた。ところが、今度はべつの信号を送り、違う種の雄(チェイス)を引き寄せている。二匹目の雄は彼女のメッセージを読み解き、交尾を希望している仲間だと納得してその上を飛びまわった。と、雌のホタルが不意に起き上がって彼をくわえたかと思うと、むしゃむしゃとその雄を食べはじめ、六本の脚も左右の羽もきれいに平らげてしまった。

 子孫を残すために同種の雄を惹き付ける求愛信号と、別種の雄を惹き付けて食い殺す求愛信号があるのです。カイアは別種の雄=チェイスを惹き付けて殺したのか?。カイアは、家族に捨てられ湿地でひとり生きる間に、雄を食い殺すホタルの雌に成長したわけです。カイアはまた、夫のDVに耐えられず4人の子供を捨てて家出した母親をこう理解します、

雌ギツネは飢えたり過度のストレスがかかったりすると、子どもを捨てることがあるって。子どもたちは死んでも・・・雌ギツネは生き延びられる。そうすれば、状況が改善したときにまた子どもを産んで育てられるんだって。・・・自然界では──ザリガニの鳴くような奥地では──そういう無慈悲に思える行動のおかげで、実際、母親から産まれる子どもの総数は増える。そしてその結果、緊急時には子どもを捨てるという遺伝子が次の世代にも引き継がれる。

人間の生態と生物界の自然法則が二重写しなる、人間を動物に還元するこの辺りが本書の特異性です。

 チェイスは結婚を約束しながら他の女性と婚約したため、ふたりの関係は破綻。チェイスは、「湿地の少女」が街では暮らしてはゆけないと考え、またホワイト・ラッシュを妻にすることを忌避したわけです。カイアはチェイスの裏切りをこう考えます。

雄は雌から雌へ渡り歩くもの

 もうひとりの雄テイトが街に帰り、カイアは初恋の雄と再会します。テイトは、カイアの湿地のコレクションが子どもの趣味から湿地の「自然史博物館」へと変貌を遂げていたことに目をみはり、出版を薦めます。

かつて、ボートに乗ったその金髪の少年(テイト)は、嵐が来るまえにカイアを家まで導いてくれた。朽ちた株に羽根のプレゼントを置いてくれた。文字を教えてくれた。その繊細な十代の青年は、初潮を迎えたカイアを遠くから見守り、女としての性を目覚めさせもした。その若き科学者は、本を出せとカイアの背中を押してくれた。

カイアのコレクションは『東海岸の貝殻』他となってが出版され、土産物屋や書店のショーウィンドウに飾られ、カイアは在野の湿地研究者となります。boy meets girlの物語は完結を迎えたことになります。

 一方、殺人事件はどうなったのか?。チェイスの母親がカイアが贈った貝殻のペンダントが死体から消えていたことを証言し(つまりカイアが犯人だ!)、チェイスのシャツに付着していた赤い繊維がカイアの帽子の繊維と一致したこと、犯行時刻にカイアがボートで犯行現場に向かっていた目撃証言などが出て、カイアは逮捕され第一級謀殺容疑で起訴されます。カイアは、湿地の少女が何を訴えたところで官憲が信じてくれるわけはない、と一切の抗弁を拒みます。
 裁判ではマックス・フォン・シドーような弁護士(映画『ヒマラヤ杉に降る雪』)がカイアを弁護します。余談ですが、ワシントン州の海辺の小さな町を舞台に繰り広げられる人種差別と殺人のミステリ『殺人容疑』(映画の原作)とよく似ています。
 弁護士は、たったひとりで沼地で生き抜いている幼い少女に誰が救いの手を差し伸べたのか?。それどころか、彼女は自分たちとは違うと決めつけ、ホワイト・ラッシュとレッテルを貼って疎外した、

みなさん、我々は彼女が異質だから締め出したのでしょうか? それとも我々が締め出すから異質の存在になったのでしょうか? もし我々が彼女を受け入れていたら──いまこのときも、彼女は我々の仲間であったはずです。我々が食べさせ、衣服を着せ、愛し、教会や家に招いていたら、我々が彼女に偏見を抱くことはなかったでしょう。そして、彼女が今日この場所に坐り、罪に問われていることもなかっただろうと思うのです。

と陪審員の情に訴え、カイアは無罪となります。ではチェイスを殺したのは誰なんだ? →ここまで来てカイアが犯人ではないということはあり得ないですが、問題は動機。これが意外と単純で計画殺人、確信犯と言うより「成り行き」です。

 カイアのサバイバルは面白いですがミステリ部分はもうひとつ。全米で500万部売れたそうすが、ミステリとしてではなく”ビルトゥングスロマン”として読まれたのでしょう。カイアの圧倒的な存在感を始め、カイアの母親、カイアを小学校に入れる補導員、カイアに靴や衣服を提供するシャンピンの妻、勘定が出来ないカイアに釣り銭を多目に渡す食料品店の女店員など登場する女性は肯定的に描かれますが、テイトには一定の役割が与えられるものの、カイアの父親、殺されるチェイスなど男性はほぼ悪役(チェイスが殺されたのも自業自得?)。
ザリガニが鳴くところ』はジェンダーの物語と言えそうです。
 映画化の噂があるそうですが、強い女性を描くことが得意なハリウッドですから、以外といい映画になるかも知れません。 映画も観ました

タグ:読書
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