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ラーラ・プレスコット あの本は読まれているか (2020東京創元社) [日記 (2020)]

あの本は読まれているか  図書館が休館のため、ついamazonでベストセラーということになります。1-clickですぐ読めるという誘惑には勝てません。全米で500万部売れたという『ザリガニの鳴くところ』の次は、出版前の原稿がオークションで200万ドルで落札されたという『あの本は読まれているか』。原題The Secrets We Kept。

タイピスト
 「パリは燃えているか」のようなタイトルです。「あの本」とはパステルナークの『ドクトル・ジバゴ』。この小説は反体制的であるという理由で禁書となり、国外に持ち出され1957年に出版されます。翌年にノーベル賞が授与されますが、受ければパステルナークは国外追放となるため辞退したという曰く付きの小説。『ドクトル・ジバゴ』を、ソ連から持ち出し出版し反共産主義のプロパガンダに利用しようとするCIA(西側)と、パステルナークの愛人オリガ・イヴィンスカヤ(東側)の両面から描いたエスピオナージです。
 『ドクトル・ジバゴ』をめぐる諜報戦が本書の主題ですが、主人公はスパイではなくCIAに勤めるタイピストたち。「西側」の語りて手は全員がこのタイピスト。スパイである男性は戯画化され、女性たちのエスピオナージュという一風変わった小説です。

わたしたちはラドクリフ、ヴァッサー、スミスといった一流大学を出てCIAに就職しており、だれもが一族で最初の大卒の娘だった。中国語を話せる者も、飛行機を操縦できる者もいたし、ジョン・ウエインよりも巧みにコルト1873を扱える者もいた。けれど、面接のときに聞かれたのは、「きみ、タイプはできる?」だけだった。

 タイピストですがらスパイではありませんが、機密事項に触れスパイたちの動向を側で観察するという点で、彼女たちはCIAを語るに相応しい存在です。彼女たちは、アイビーリーグ出身のスパイたちの生態を冷静に観察しその生態を暴き、ロッカーやコーヒーショップ、酒場で方法交換しストレスを解消します。何処の国もいつの時代も同じです(笑。彼女たちによると、CIA長官のアレン・ダレスも、女好きのただの中年ということになります。その当意即妙で生き生きとした”おしゃべり”が、本書の魅力のひとつです。

イリーナ
 「西側」のヒロインはイリーナ・ドロツヴァ。両親はロシア人、父親は矯正収容所で死に母親はひとりでアメリカに渡ってイリーナを産み裁縫の腕一本で彼女を育てます。「ちゃんと目を合わせないと、相手に見くびられてよ、イリナー。とりわけ男からね」と言うこの母親もなかなか魅力的。そう言えば『ドクトル・ジバゴ』のヒロイン・ラーラの母親もテイラーでした。アパートの家賃が値上がりしたため、イリーナはCIAのタイピスト採用試験を受け、タイプの腕は下から二番目だったにも係わらず採用されます。配属先はソ連部。父親がKGBに殺された亡命ロシア人の娘なら愛国心も強いだろうというのが採用の理由。イリーナはタイピストではなく、「運び屋」として訓練されます。

 米軍のOSS(戦略情報局)が1945年に解消発展しCIAが設立されます。イリーナがタイピストとなった1956年、CIAにはOSSの生き残りが多数います。ソ連部の受け付け係りサリーもそんなひとり。サリーは、第二次界大戦中OSSに所属しスリランカで戦争プロパガンダ作戦に従事。その美貌と社交性を使った情報収集の能力を認められ、OSSのスパイとなります。

あたしは自分から尋ねるか否かにかかわらず、権力を持つ男たちが進んで情報を提供してくれることを発見したのだった。あたしはツバメになった。神から与えられた、情報収集の才能を発揮する女のことだ。

 1957年、ソ連が人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、軍事・科学技術で最先端を走っていたと思っていたと信じていたアメリカに「スプートニク・ショック」が走ります。当時、CIAは、西側の音楽や印刷物をソ連国内に密かに運び込み、西側の文化的優位を強調し、ソ連が自由な思想を禁じているというプロパガンダ戦略を進めています。

彼らには人工衛星があったが、わたしたちには彼らのがあった。当時、わたしたちは本が武器になりうると――文学が歴史を変えられると――信じていた。

そして『ドクトル・ジバゴ』が登場します。

これは単なる小説ではなく、武器である。これぞCIAが手に入れ、ソ連国民みずからに起爆させるべく、鉄のカーテンの向こう側に運びこむべき武器である

オリガ
 「東側」のヒロインはパステルナークの愛人オリガ・イヴィンスカヤ。文芸誌〈 新世界〉の出版社に勤めていたオリガは、有名な詩人だったパステルナークと出会い関係を結びます。56歳の詩人と、娘と息子を抱える未亡人の不倫。オリガは

物語の初めは(『ドクトル・ジバゴ』の)ヒロインのラーラが彼の妻ジナイダに似ていた・・・時間の経過とともにラーラが次第にわたしになったこと、あるいは、わたしがラーラになっていった。

 『ドクトル・ジバゴ』は読んでいませんが、映画を見て不思議に思うのはジバゴとラーラの不倫が堂々と愛の物語として成立していることです(世に不倫の文学が多いので不思議でも何でもありませんが)。ノーベル文学賞に輝く『ドクトル・ジバゴ』の背景にはパステルナークとオリガの不倫があったことになります。

モスクワのあちこちのアパートで開かれる小さな集まりで、ボーリャが朗読することもあった。そんなとき・・・わたしは彼の隣に座を占め、女主人であり、 傍らにいる女であり、妻ともいえる役割を演じることを誇りに思っていた。

 オリガは、十月革命を批判しているとみなされて禁書となっていた『ドクトル・ジバゴ』の著者パステルナークの愛人として秘密警察KGBに逮捕されます。オリガからパステルナークの反体制の証拠を引き出そうとしたわけです。不思議なことは、パステルナークではなくオリガが逮捕されたこと。スターリンがパステルナークの詩の愛好者であったため粛清の対象から外され、代わりに矛先がオリガに向かったわけです。数十万人(百万人?)を粛清したスターリンがパステルナークの叙情詩の愛好者であったことは、歴史のジョーク?。彼は政府から立派な住宅まで与えられています。「文学のほうが 戦車の製造より大切だ」とスターリンは口 にしていたとか。KGBは証人をでっち上げ、オリガはポチマにある矯正収容所で5年間の懲役刑となります。


 作者によってパステルナークの欺瞞が明かされます。オリガが捕まって、パステルナークは

 オリガのことを考えない日は一日としてなかったけれど、彼の渇望は時間が経つにつれて薄れていたし、人生が複雑でなくなったことに感謝するようになっていた。なにしろ、妻に噓をつく罪悪感をもはや抱かずにすみ、人々から噂される気まずさや、ジナイダがすべて承知の上で決してその件を口にしないことへの居心地の悪さも感じずにすんだのだから。・・・オリガがいなければ、彼女の隣にいるときの心の高ぶりはないだろうが、救いようのない低迷もない。あれほど燃えるような欲望を抱くことはないだろうが、彼女の 癇癪、脅し、気まぐれをぶつけられることもない。
 オリガとの関係を終わらせることを決めた。
 ふたりは無言のままいっしょに食事をし、ボリスは自分でも気づいていなかった肩凝りがほぐれていくのを感じる。残りの人生は、こうしてすごすべきなのだと思う。執筆し、作品を生み出し、妻と温かい食事を分け合って。ボリスは少しワインをくれと頼み、妻がグラスを満たす。

 と書く以上、裏付けはあるんでしょうね。オリガは矯正収容所で辛酸をなめますが、その過酷な生活はソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』やアイノ・クーシネンが革命の堕天使たちで描いた女囚の生活です。スターリンが死に、オリガは恩赦によってモスクワに帰ってきます。パステルナークは、オリガとの関係を終わらせると決心したにも関わらず、オリガを訪ねまたも不倫が始まります。パステルナークは執筆に関するあらゆる業務をオリガに一任し彼女はパステルナークの代理人となり、

彼の言葉を世に送り出す人間だった。わたしは彼の使者になったのだ。

 イタリア人が『ドクトル・ジバゴ』の出版を企て、パステルナークはオリガと相談すること無く原稿をイタリア人に渡し、小説は出版され世に出ます。ストーリーの流れから、CIAとKGBが原稿を巡って争うサスペンスだと思ったのですが、どうも違ったようです。

わたし(オリガ)にできるのは、フェルトリネッリがそれを外国で出版する前に、ソ連国内で出版する計画を進める努力をすることだけだ。それが彼を、わたしを救う唯一の方法だった。

 CIAのタイピスト兼「運び屋」のイリーナ、受付係兼「ツバメ」のサリーの登場となります。

タグ:読書
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コメント 2

Lee

映画ドクトル・ジバゴは大好きな作品で先日もBSで堪能。ご指摘のように不倫とは思えない美しい愛の物語とシベリアの風景に感動します。音楽の「ラーラのテーマ」も良いですね。原作者パステルナークに記事の私生活があったとは知りませんでした。
by Lee (2020-05-10 11:30) 

べっちゃん

図書館が開いたら原作も読んでみようかと思っています。
by べっちゃん (2020-05-11 10:57) 

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