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映画 暗殺の森(1970伊仏独) [日記 (2020)]

暗殺の森 [DVD]  原題”Il conformista”、適合者、同調者。邦題の「暗殺の森」の原題が何故「適合者、同調者」なのか?と考えると、この分かりにくい映画の裏が見えてきます。ファシストのマルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)が反ファシズムの指導者を暗殺する物語で、暗殺に向かう車中で、暗殺に至る経緯をマルチェロが回想するという構成をとっています。

ファシズム
 マルチェロは、フランスに亡命した反ファシズムの指導者クアドリ教授に近づき、イタリア国内の反ファシズム勢力を炙り出すという計画をたて、これがファシスタ党に承認されます。
 マルチェロはイタリア貴族の末裔。父親は精神病院に入り母親は運転手を愛人にモルヒネに溺れ、一家の伝統とマルチェロの矜持は破綻しています。おまけに、子供の頃に同性愛の洗礼を受け相手を殺したという過去まで持っています。ファシスタ党の幹部は、人が党に協力する動機は恐怖、金であり思想的な協力者は稀だとした上で、君は違うとマルチェロに言います。マルチェロのファシズムは思想への共鳴ではなく、こうしたコンプレックスを包む「鎧」と考えられます。
 思想としてファシズムを選択したマルチェロに対置されるのが、マルチェロの護衛兼監視者のマンガニエーロ。マンガニエーロはファシズムの思想や理念ましてコンプレックスなどとは無縁で、ファシスタ党の職業的エージェントとして登場します。マルチェロはクアドリ教授に教えを受けた知識人であることを加えると、ファシズムを支えるマンガニエーロ、マルチェロという構造が透けて見えます。

エロス
 マルチェロは中産階級の娘ジュリア(ステファニア・サンドレッリ)と結婚し、新婚旅行で訪れたパリでクアドリ教授に近付きます。この時、マルチェロの役目は、党の指示によりスパイから暗殺者に変わり、教授の妻アンナ(ドミニク・サンダ)の登場によって、映画も「男と女」の物語に変わります。暗殺者が暗殺対象の妻に性的欲望掻き立てられ(とてもラブストーリーとは言えない)、ファシズム、反ファシズムという政治の物語が、男女の性愛の物語に変質します。政治と対極にある性愛にすり替わるわけですから、この二つは表裏関係にあると言っているようです。
 アンナとジュリア、マルチェロと教授が踊るダンスホールのシーンは圧巻。アンナとジュリアの女同士のダンスは同性愛を連想させ、マルチェロが踊る男女に飲み込まれるシーンは「政治など何ほどのもか?」と言っているようです。マルチェロは少年時代にホモセクシュアルの洗礼を受け、結婚したジュリアは6年にわたって老人と性交渉を持った花嫁、ファシストは反ファシズムの教授の妻と関係を結び、ジュリアとアンナもレズビアンのイメージを暗示させます。『暗殺の森』は、政治的暗殺の殻を被ったエロスの物語です。
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 ジュリア               アンナ

適合者、同調者
 マルチェロがクアドリ教授を殺せばストーリーして完結すわけですが、教授とアンナはファシスト党の別の暗殺者に殺され、マルチェロは暗殺者にもなれずアンナを救うこともできず、傍観者として終わります。マンガニエーロは何もしないマルチェロを、「どんな仕事もするが卑怯者の相手はごめんだ 卑怯者とホモとユダヤ人は同類だ まとめて銃殺してやりたい」と評しますが、これはほぼナチズム。本物?のファシズムからすると、マルチェロはファシストではなく単なる傍観者、映画の原題である時代の適合者、同調者に過ぎないということです。
 ムッソリーニが失脚してファシズムは終焉を迎え、同調者に過ぎなかったマルチェロは転向します。転向の引き金が、殺した筈の同性愛の相手に再会したことも象徴的です。娼婦?の臥せるホテルのベッドから始まった映画は、娼館と思われる場所で惑うマルチェロの姿で終わります。ファシズムで鎧えなくなったマルチェロは、次に何を選択したのか?...。
 『暗殺の森』は、イタリアのファシズムを裏から描いた映画ですが、政治の季節の1970年に、29歳のベルナルド・ベルトルッチがファシズムを描いたことに意味があったのでしょう。「イデオロギーは思想的鎧、衣裳に過ぎない」という映画で、『暗殺の森』が評価される理由もそこにあると思われます。

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン ステファニア・サンドレッリ ドミニク・サンダ

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