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呉善花  スカートの風(1997角川文庫) [日記 (2020)]

スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)  『韓国併合への道』『攘夷の韓国 開国の日本』読んで面白かったので、同じ著者のデビュー作『スカートの風』を読んでみました。前2作は、韓国人の目線で歴史から日韓関係を論じたものですが、『スカートの風 』は、韓国クラブの女給(ホステス)哀史と彼女たちを日本に送り出す韓国の『この国のかたち』です。

チマパラム
 タイトルに「チマパラム~日本永住をめざす韓国の女たち~」とあり、チマパラムとは経済力を手にした女性たちの奔放な行動ことで、中東へ出稼ぎに出ていった夫の仕送りなどでで優雅に暮らす韓国女性のこと。彼女らは集まって美味しいものを食べ花札をひき、

次には韓国でチェビゾクというホストクラブでの遊びへと発展する。こうして遊びに深入りし、若い男たちにお金を貢ぐことの楽しみを覚え、男以上に気前よくお金を使うようになる有閑マダムたちが多いという。
いま述べたような女たちの一連の動きをチマパラム (スカート の風)と言っている。チマパラムという言葉は、女が浮気をしたり、あるいは社会へ出てワアワアと騒がしくすることを意味している。

 経済力と自立を獲得した(一部の)韓国女性の一種の”反乱”だといいます。
それが女性の社会的進出ではなく”チマパラム”であることが、「この国のかたち」を伝えているわけです。チマパラムは、海外に出かける男たちのように、若い女たちを「韓国クラブのホステス」として(バブルで沸く)日本に押し出します。


 著者は1983年に来日し、日本の大学で学びながら韓国クラブのホステスたちに日本語を教えます。彼女たちとの交流をベースに、韓国を逃げ出し「日本永住をめざす」女たちの生態を追います。著者は、その親日(反韓)著作によって故国から入国を拒否されたように、本書も手厳しい韓国批判となっています。描かれるの1980年代の韓国の話ですから、現在とはよほど違っているのでしょうが、根にあるものは変わっていないのかも知れません。

 何が彼女たちを(ひいては著者自身を)日本へと駆り立てたのか、

結婚して子供を産む、そうでなければ女は、男の性欲を満足させる対象以外としては、なんら期待されることのない存在なのだ。社会は男のものであり、その社会をきりもりする男たちの出入りするところに、男たちの相手をする女がいる。これが韓国社会の男女の位置関係である。そして、その「相手」の内容として要求されるものは、一にも二にもセクシャリティなのだ。そこで女は、多かれ少なかれ、精神を無視されたセックスマシーンへと自らを処していくしかない。

という韓国の伝統があると著者は言います。この伝統から外れた女性、因習にnonを突きつけた女性たちが日本を目指したというのです。日本に行けばもっとマシな人生が送れると。

ヤンバンとキーセンの哀歌
 ヤンバンは李氏朝鮮の地主階級。キーセンとは神事に奉仕する「巫女」を源流に持ち、歌舞音曲でヤンバンなど支配層の酒席に侍る妓生。時には春を売り、ヤンバンはキーセンを愛人(妾)にします。

娘をヤンバンの妾にすることができれば、その一家はヤンバンの家に列せられて家柄の格も上がり、富と名誉を得て下層からの脱出をはかることができた。そのため、貧しいサンノム(庶民)の家に美人の娘があれば、親は娘をキーセンに仕立ててヤンバンの妾にすることを常とした。

この伝統が、送り出す側にも、送り出される側にもあるのではないかと著者は言います。日本にも、古くは平清盛の愛妾となった祇王、源義経の静御前などの「白拍子」があり、荷風が足繁く通った新橋や玉の井があり、「唐ゆき」もあります。韓国だけが特殊だったわけではないのですが、決定的に違っているのは、本書は1980年代の話だということです。

 女性であることの生き辛さから、故国を捨て日本に永住した著者もまた「チマパラム~日本永住をめざす韓国の女たち」のひとりだったわけです。故に著者の筆は「反韓」へと向かうことになります。

プロローグ 心の国境の間に
第1章 日本で働く韓国人ホステス なぜ日本に永住したいと願うか?
第2章 原題韓国の女性事情 だれも語らない生と性のドラマ
第3章 ヤンバンとキーセンの哀歌 現代を支配する李氏朝鮮の亡霊
第4章 韓国人と日本人 知り合おうとしない隣人たち

どれも面白いです。

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