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中沢新一 増補改訂 アースダイバー (2019講談社) [日記 (2020)]

増補改訂 アースダイバー 東京アースダイバー
大阪アースダイバー』が面白かったので元祖『増補改訂版 アースダイバー』を読んでみました。
 大阪に住んでいますから、土地勘があり、マッチャマチ(松屋町筋)に人形問屋が多いのは、大阪夏の陣の後、家康が復興のために職人を集めて上町台地の粘土で瓦を焼き、職人が余技で人形を作るようになった、それが始まり。と言われれば、マッチャマチを知る大阪人にはナルホドという話です。船場、千日前、新世界、とお馴染みの土地にダイブして土地にまつろう大阪の心性を解き明かしてくれる『大阪アースダイバー』はめっぽう面白いです。が東京となると、赤坂だ浅草だと言われても知ってはいますがもうひとつピンと来ません。

 大阪が上町台地とその下に拡がる低地(沖積層)から成り立っているように、東京も洪積層の高台(山の手)と沖積層の低地(下町)が複雑に入り込むフィヨルドのような地形でなりたっているそうです。そう言えば坂が多い。大阪で坂と言えば上町台地に上がる坂だけ?です。この洪積層が「岬」のように沖積層に張り出す先端には寺や神社(古くは古墳)があるそうで、「岬」とは、

異界に向かって身をのりだしていく場所、そうしてのりだした全身で異界から吹き寄せる風を受ける場所を、あらわしている。境界に立って、向こうに広がる世界に通路を開いていく場所、それが岬だ。

低地は「異界」ですかぁ?、千日前が異界だと言われればなるほど…。この地が、開発の侵食を受けにくい「無の場所」として、

猛烈なスピードで変化していく経済の動きに決定づけられている都市空間の中に間の作用を受けない小さなスポットが、飛び地のように散在しながら、東京という都市の時間進行に影響を及ぼし続けている。(p22)

ということになります。
 上町台地の北の端に、難波宮、石山寺、大阪城があるように(南には四天王寺)、皇居(江戸城)、国会議事堂、霞が関など権力の象徴は当然洪積層の上にあります。岬には慶応大学、早稲田大学など多くの大学があり、そこは国家の権力が及ばない場所アジール(「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」)だといいます。

 『大阪アースダイバー』では、淀川の砂州に共同体から弾かれた「無縁」人々が住み着き、市場を作りやがて「船場資本主義」を生み出した、千日前の墓地、刑場を取り巻く下層民から大阪の演芸がうまれる、という沖積層アースダイバーが中心でした。「東京アースダイバー」でも面白いのは沖積地=下町です。

海民
 著者は、古代の東京の洪積地には狩猟採集の縄文人が暮らし、そこに弥生系人々が江戸湾から侵入したと考えます。江戸湾に入った弥生人は、農耕地を求めて隅田川、荒川を遡って内陸を目指したグループと、河口に定着し半農半魚で暮らしたグループに別れ、

海岸部を生活の場所に選んだ弥生人たちは、半農半漁のうちの「漁」を中心とする生活形態を発達させていった。彼らの心性は、列島の先住民である縄文人と多くの共通性を持つ。彼らにとって、自然は自分たちが管理すべき領域ではない。縄文人たちと同じように、漁の弥生人にとっては、自分たちも自然の一部であり、 その自然から技を使って恵みを取り出すことが人生である。私はその人たちを「海民」と呼ぶことにする。

 この「自分たちも自然の一部である」という心性を持つ縄文的「海民」が『増補改訂 アースダイバー』のメインテーマです。

深川
 慶長年間、摂津や和歌山からやってきた人々によって隅田川の低湿地が干拓され、深川が生まれます。永代島にあった祠(海民の神・豊玉姫)が富岡八幡となり永代寺も造られ、深川八幡神社の門前に下町の繁華街が形成されます。

もっとたくさんの参詣人がやってくるにはどうしたらよいものか、と頭をひねった。
「そうだ、お色気だ」というのが、僧たちの出した答えであった。さいわい深川界隈には、いかにも海民の娘らしい「おきゃん」な美少女たちが、ごろごろしていた た。この「おきゃん」という言い方は、 そののちには、辰巳の下町娘や芸者衆の代名詞にもなった言葉であるが、漢字で書くと「御俠」。

見てきたような話とはこのことです。おきゃんな美少女が接待する茶屋ができ、彼女たちを目当てに参詣人がドッと押し寄せます(笑。商売になるならと「鳥追い」「夜鷹」まで集まり、深川八幡の門前は江戸有数の岡場所となります。

 深川の華は、芸は売るが体は売らないという「きっぷ」のいい「辰巳芸者」。「おきゃん」で「いき」で「きっぷ」のいい辰巳芸者がどのように誕生したのか、という話となります。ここで「海民」「川の民」が登場します。彼女たちは、中世、大阪淀川砂州で芸と春を売った傀儡女、大阪雑魚場や京都六角町の魚市場で籠や盥を頭にのせて魚や貝や海藻を売った経済的に自立した女商人の末裔、すなわち海民の末裔だといいます。

 中世の遊女は、川を商売と生活の場所としていた。彼女たちは、盤石の大地に生きることを避けて、文字どおり水面に浮遊する「浮き世」の人生を選択した。その遊女の精神の伝統は、管理化の進んだ近世封建社会の中でも、しぶとく生き続けた。
 ・・・その伝統をもっとも強く残したのが、辰巳芸者である。高く張り渡した人生という軽業の綱の上野暮な欲望の地面に落下しないで渡りおおすため、彼女らはエロチシズムのあやうい発展場でも、イキでキャンなスタイルを押し通した。深川が川の世界であったことが、このような生き方を可能にした。

 太陽の運行と季節よって明日が予測可能な「農業」と、獲物が獲れるかとれないかは運次第という狩猟・漁労の差。たしかに、「いき」は、地に這いつくばる弥生人より獣を追い魚を狙う縄文人の方が似合います。辰巳芸者の「いき」に磨きをかけたのが、彼女たちの贔屓である木場の鳶職と魚河岸の仲買人たち。彼らもまた川や海に関係する海民です。

 さらに辰巳芸者の「いき」の構造解明のため、九鬼周造が援用されます(読んだこともない)。

名皆『いき」の構造』の中で、哲学者の九鬼周造は、「いき」 を定義して、「運命によって『諦め』を得た「媚態」が、『意気地』の自由に生きるのが、『いき』である」と書いた。九鬼は「いき」をもっぱら、異性への巧妙なアピール (媚態)という方面から観察して、こういう結論を得ている。

何のことか?ですが、後段から無理やり解釈すると、異性ために不自由をかこつより、オレ(アタシ)は自由を選択する!。そのすっぱりと諦めた意気地が、不特定多数への媚態となって現れる姿が「いき」だいうのです。辰巳芸者が、「芸者」とい運命のなかで「いき」を貫徹するために、冬でも素足でいるという様ことかと思います。「いき」とは痩せ我慢ようなものです。

 この海民の「いき」がの体現者が、芭蕉であり荷風であり、吉本隆明だというのですが…果たして?

タグ:読書
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コメント 2

Lee

出身地の東京は本当に坂が多く、江戸城防衛には都合がよかったそうです。東京アースダイバーは増補版以前を読んだので辰巳芸者や「いき」の記述が無くて残念^^;
by Lee (2020-06-25 22:59) 

べっちゃん

『大阪アースダイバー』の後、海民を追加した増補改訂版を書いたようです。個人的にはこの増補の部分が面白かったです。
by べっちゃん (2020-06-26 07:27) 

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