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梶山季之 族譜・李朝残影 ③ (岩波書店2007) [日記 (2020)]

族譜・李朝残影 (岩波現代文庫) 性欲のある風景
 1945年8月15日を描いた小説は数多くあります。少年の眼を通して描いたものもあるとおもいますが、『性欲のある風景』は、日本の植民地である朝鮮・京城で、15歳の少年が体験する「敗戦」のその日の風景です。「古今未曾有」の日が「性欲」のある風景なのです。こういう小説に登場する少年は、たいてい軍国少年だと思うのですが「梶山」少年は、勤労動員先の工場では遅刻常習者、映画館にも出入りし煙草も吸う軟派の少年。
 本書には『族譜』と『李朝残影』『性欲のある風景』の三編が収められていますが、『性欲のある風景』は前二者とは趣を異にします。

 後年、連想ゲームで、「終戦」という単語に「牛」と答えたことで、作者の回想が始まります。その日、少年は勤労動員先の工場に向かう途中、牛の交尾を見ます。

牝牛は体のどこに、あれだけの敏捷さと、老獪な知恵を隠し持っているのであろうか。彼女は兎のように、後肢でピョン、ピョン跳ね廻っては攻撃を躱し、背後から襲いかかる牡牛の頸といわず、胸といわず、その太い蹄で、一蹴するのだ。一方、牡牛は彼女から足蹴にされ痛めつけられることに依って、かえって情欲をそそられ闘志を掻き立てられるもののようである。

 牛の交尾を見たことによって「梶山」少年に火が付きます。

〈もう、逃しはしない〉と、僕は決心する。だが動悸は牛の皮膚のように大きく波打ち、足許すら覚束ないのだった。そんな僕を揶揄い、挑発するつもりなのか、彼女はわざと地面に寝転がって身悶えするような仕種をしてみせたりする。僕は逆上した。躰が大きく武者震いしたのを汐に、僕はすっかり頭が混乱してしまう。狂ったような激しい衝撃が、すべてを忘れさせた。僕は、もう夢中だった。そして「ガーン」と一発。
〈畜生! 覚えていろ、いくら藻掻いたって、貴様は俺のものだぞ!〉

笑ってはいけません。この後金本甲植と出会い、両班の金本少年は13歳のときに18歳の妻を娶ったことを知り、熱くなります。「梶山」少年は、淫売窟に並ぶ白いマフラーを巻いた少年航空兵を回想し、

莫迦ッ!時間がないんだ!

と叫んだ言葉を思い浮かべ、少年は映画館の暗闇で

漆黒の暗闇の中で、形態の定かでない朱い襞のようなものが、息づき焔のように揺らぐ、そんな想念のようであった。ああ、牛になりたい。僕は息を弾ませ、たとえ死と背中合わせだっても構わない、俺は知らねばならぬのだ、と思った。あの今朝の牡牛のように逞しく、羞恥も葬り捨てて奔放に未知なものを眼で見、指で触れ、官能に一切を委ねたい……。

 その後、少年は旧友から、軟派で遅刻常習犯の貴様みたいな奴がいるから、日本は負けたんだと罵声を浴びます。

「戦争は、終るもんか!」だが、語尾は弱々しく顫えていた。・・・日本の敗戦という事実を知っても、僕は動揺も覚えず、悲しさも伝わってこないのだった。・・・妙に機会を喪ったという哀惜の念が奔騰してきて、僕を空虚に佇ませ続けるのであった。昼間あれほど僕を虐み続けた暗い情炎の焔が、未練気に僕にまとわりつき燻ぶるのだ。僕は牡牛の荒々しい息遣いを、ハッキリ耳の傍で聞いていた。牝牛の烈しい足蹴を胸や腿の皮膚で感じていた。僕は極楽坂の淫売窟を、そして金本や少年航空兵の顔を思いうかべ、「戦争は決して、終らせるもんか!」と呟いた。

「機会を喪った」とは、金本や少年航空兵の顔を思い浮かべますから、「牡牛のように逞しく、羞恥も葬り捨てて奔放に未知なものを眼で見、指で触れ、官能に一切を委ねたい…」という官能の機会を喪ったということでしょう。自らも少年航空兵となって淫売窟に並ぶ、という機会を喪ったわけで、少年は「戦争は決して、終らせるもんか!と呟き」ながら官能を夢見ます。戦争が終わらないifの世界その先に、「梶山」少年は官能を夢見るわけです。

 この小説が書かれたのは当然戦後ですから、もっともらしい「1945年8月15日」の小説に『性欲のある風景』を対峙させたかったのでしょう。

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