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李志綏 毛沢東の私生活 (上) (文春文庫1996) [日記 (2020)]

毛沢東の私生活 上 (文春文庫)  「暴露本」が話題となっていますが、本書も四半世紀前の暴露本です。暴露の相手は何しろ毛沢東ですから、大統領再選のために仮想敵国にすり寄ったり、外交成果より写真写りが大事なトランプさんとは、その破壊力とスケールが違います。

 1949(毛沢東との初対面は1955)~1976年の20年間、毛沢東と身近に接した主治医によるノンフィクションです。毛沢東は私の世代では、何より「造反有理」のスローガン。日中戦争、国共内戦を戦い中華人民共和国を建国した英雄であり、文化大革命という権力闘争で数百万の犠牲者を出した独裁者でもあるわけです。毛沢東がどんな素顔を持っていたのか?、文春、週刊現代の気分で読んでみました。あわよくば、文革や林彪のクーデターの裏話も知ることができればと。

曾祖父の面目失墜事件も頭にうかんだ---同治帝が梅毒にかかっていると正直に主張して生母、西太后の不興を買ったあげくに曾祖父は降格、譴責の処分を受けた。この一件は代々語りつがれ、子孫は二度と宮廷の侍医をつとめるべきではないという家憲が生まれたのではなかったか。

 著者は4代にわたる医者の家系(代々漢方医、李志綏は西洋医学)で、権力には仕えるなという家訓を違えて毛沢東の主治医となります。主治医ですから毛沢東の行くところ何処へでもお供をし、雑談の相手もさせられ、中華人民共和国・首席の表の顔も裏の顔もつぶさに知ることとなります。

毛沢東の宮廷
 主治医ですから毛沢東の病気には何でも対処しないといけないわけで、例えばインポテンツ。毛はことのほか好色で、ダンスパーティーを催しては若い女性を寝室に引き入れていたようですから 、この病気は本人にとっては深刻。笑ってはいけません。

主席は鹿の角のエキス使用には固執しなかったが、インポテンツ治療と長命持続のあらたな手をみつけるよう厳命した。この点でも、ほかの多くの問題と同様、歴代皇帝のやり方を毛は踏襲したのだった。

この問題以外でも毛は自らを歴代皇帝に重ねていたようです。毛は中国の歴史書、なかでも『二十四史』を愛読していたと言います。

毛の歴史観は大多数の中国人とはなはだしく異なるものであった。彼の政治観には道徳など入りこむ余地はなかった。その毛沢東が中国の歴代皇帝におのれを擬すばかりか、最高の敬意を史上最高の無慈悲かつ残忍な暴君のためにとっておいたことを知って、私は非常な衝撃を受けた。目的を達するためならば、どんな冷酷かつ専制的な方法を用いることも辞さない気だった。

 「酒池肉林」と悪逆非道で有名な殷王朝の紂王、「焚書坑儒」で有名な中国統一の始皇帝、隋の暴君・煬帝など、一癖も二癖もある皇帝がお気に入り。

 酒池は無いが肉林はある生活で、側近は毛に女性を取り持ち、豪華な専用列車(なんとベッド、トイレ持参)を仕立てる「首席の大名旅行」などを読むと(つい半島の首席を連想しますが)、毛沢東はさながら中華人民共和国の皇帝です。この主治医に言わせると、毛が暮らす中南海は、「宮廷の宦官、讒言と嫉妬が渦巻く毛沢東の宮廷」だと言います。
 広大な国土と国民を統治するためには、儒教や共産主義ような思想、皇帝や毛沢東のような独裁者が必要なのかも知れません。

百花斉放、百家争鳴(1957年)
 いよいよ権力闘争の話。毛沢東は、「私は国家首席を辞める」という噂を流しナンバー2の劉少奇や鄧小平を油断させます。劉少奇が、次の首席はオレだとばかり第八回党大会で集団指導制の推進、個人崇拝排除打ち出して毛沢東思想を削除すると、毛はすかさず反撃に出ます。「主観主義、セクト主義、官僚主義」を一掃する名目で党内の「整風運動(百花斉放百家争鳴)」に着手します。謂わば「マッチポンプ」。
 整風運動は、知識人や民主勢力を使って共産党を自由に批判させ 、自分に批判的な党幹部を追い落とし、同時に右派を炙り出し、反右派闘争を起こしてこれを潰そうという巧妙な作戦。
 著者によると、

いまから顧みると、一九五七年における毛沢東の整風運動は、いわば早産の文化大革命だったと思われる。こんにち一九五七年についてもっとも記憶に残るのは党外の右派分子にくわえられたテロルである。ところが最初のうち、毛沢東にとっての敵対者はじつは党内の最高幹部たちであり、彼を軽視してその権力を削減しようとし、毛がユートピア的な社会主義の夢(大躍進)に猛進しようと主張した際に警告を発した人々なのだ。(p341)

 この反右派闘争で50万人が殺されたり収容所送りとなったそうです。

三年後の一九六〇年になってはじめて、つまり時の外相・陳毅が私に対し五十万人が右派分子の烙印をおされたと語ったとき、私はその数字が大きすぎると思い、大半は故意に告発されたものと察したのである。何よりもやりきれないのは、いろいろな職場で右派分子の摘発が割当制になっていたという事実だ。どこの職場でも、要員の五パーセントが右派分子の罪ありと宣言しなければならなかった。

 右派分子の狩り出しは要員の5%の割当制!。組織単位で、(右派であるかどうかは別に)5%の人間を右派として告発したということです。百花斉放、百家争鳴で炙り出された右派は3000万人。毛沢東は3000万にのぼる「人民の敵」がいることを知ります。「中国は人口が多い」とは毛沢東の口癖だった。「少しくらいうしなっても余裕たっぷりだ。たいした問題じゃない」。後の「大躍進」政策の失敗による餓死者は3500~7000万人、文化大革命の犠牲者は数百万人と言われますが、毛沢東にとってみればたいした「問題じゃなかった」のでしょう。

大躍進(1958~61)
 そもそも「大躍進」は、1957年のフルシチョフに招かれたモスクワ会議で、81カ国の共産主義者を前にした演説に端を発するといいます。毛沢東は演説で、15年以内に鉄鋼などの主要工業製品の生産でソ連はアメリカを、中国はイギリスを追い抜き、共産主義世界の経済は資本主義世界をしのぎ、世界は共産主義革命の機が熟する、と言ってのけます。この大風呂敷が「大躍進」の源です。

 大躍進の中核となるのが食料の増産と製鉄。毛沢東の指揮のもと、合作社を改組した人民公社は競うように高い目標を掲げ米の増産に励みます。実現可能な目標が次第に上方修正され(忖度)、終いには非現実的な数字が達成されたという嘘がまかり通る有り様。ところが誰もこの嘘を暴こうとはしません。

 現実性を欠いた高い生産目標について疑問を呈しようものなら、それこそ右派分子の烙印をおされる危険をおかすことになった。毛沢東の強烈な意思はだんだんと不賛成者を沈黙に追いやり、主席にへつらおうとする者は嘘をつくようになった。とうてい達成できないと知りつつもより高い生産目標に同意して、たとえ目標の達成に失敗しても成功したと強弁するようになった。党全体が嘘をつくようになっていた。

 鉄鋼増産の方は笑い話みたいなもの。農家の裏庭に製鋼炉が設けられ製鉄が始まります。何処にでも鉄鉱石があるわけではないので、原料はなんと農家の鍋釜、農機具。鍋釜を溶かして鉄を作るという「鉄鋼増産」が行われたのです。おまけに、この「裏庭楝鋼炉」に農家の労働力が割かれ、農機具が製鉄のため失われ、農作物の収穫が大幅に減って飢饉が起こったという信じられない話です。ホンマ信じられない。にさらに、税はこの水増しされた収穫に基づいて徴収されますから、農家(人民公社)は自分たちの食い扶持まで税金で持っていかれる始末。数千万の餓死者を出したという「大躍進」のこれが真実の姿だとはとても信じられません。

 この実態を知っても毛沢東は路線変更をしなかったといいます。水増しがまかり通る「食料増産」「裏庭楝鋼炉」は、社会主義国家が共産主義国家へ舵を切る人民の創造的エネルギーだと評価し、「大躍進」政策は続けられます。
 さすがの毛沢東も1958年11月に国家首席を辞任し、劉少奇があとを継ぎます。

廬山会議(1959)
 国家首席を辞任した毛は、起死回生の「廬山会議」を開催します。大躍進の失敗は無かったことにして、政敵・劉少奇を追い落とすための会議です。毛沢東の権力闘争は、直接政敵に批判を向けず、周りの弱い部分から攻める”搦め手”作戦(本命・劉少奇を葬るのは、この会議から7年後の1966年の文化大革命)。やり玉に上がったのは人民解放軍の元勲章ひとり副総理兼国防相の彭徳懐。彭徳懐が毛に宛てた私信を会議で公開し、彭とその支持者をブルジョア民主主義者であると非難します。著者によると、その書簡は、毛を賛美しつつ人民公社の「水増し」や「裏庭楝鋼炉」を取り上げ大躍進の急進主義を批判したものだったそうで、


それは穏当で誠実な書簡であり、思慮深くて全体のバランスがよくとれていた。彭徳懐はもともと政治家などではなく、朴訥かつ誠心の士であり、政治的な陰謀をたくらめない生粋の軍人だった。が、特段の勇気があって、多くの人々が嘘をついている時期に真実を語り、またほかの党指導者とちがって毛主席を少しも恐れてはいなかった。

 私信を公開された上にブルジョア、右派と非難された彭は、席を蹴ります。毛は彭徳懐と大躍進を非難する一派を「反党分子」として葬り去ります。

(会議)最終日に配布された党のある文書で、毛沢東は廬山会議で大いなる闘争が発生したと書く。「それは階級闘争である。二大階級間の ブルジョアジーとプロレタリアートとの 生死を賭した闘争の継続であり、この十年間にわたる社会主義革命中にも行なわれてきたものである」。

 大躍進の失敗を総括する会議で、擁護派(つまりゴマすり)を使って批判派を潰し、この権力闘争を「階級闘争」とするのです。餓死者まで出し、中南海まで飢餓に陥れた大躍進が失敗だったことは、誰の目にも明らか。「王様は裸だ!」と言わせない毛沢東のカリスマ性、恐怖政治、それを生み出す政治思想のドグマはが生む階級闘争は、「魔女狩り」を連想させます。

面白いので続きます。

タグ:読書
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