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呉善花 漢字廃止で韓国に何が起きたか(PHP新書2008) [日記 (2020)]

「漢字廃止」で韓国に何が起きたか Ⅰ 漢字廃止・ハングル専用政策の災禍
Ⅱ 韓国の言い回し~生活感覚、社会感覚の日常性~
Ⅲ 韓国のことわざ~価値観と人生観の伝統~

 前々から気になっていたのですが、半島では何故漢字が姿を消し、ハングル一辺倒になったんでしょうね。ハングルは14世紀に作られた表音文字で(それ迄漢字以外に文字は無かった?)、19世紀末まで殆ど使われなかったようです。

日本の「漢字仮名混じり文」と同じ形の「漢字ハングル混じり文」は、李朝末期に一部で用いられたことはありました。しかし本格的には、福沢諭吉の発案で、日本で鋳造したハングル活字を用いた李朝の「官報」の役割をも果たしていた新聞『漢城周報』(1886年)が最初です。そして、日本統治時代に近代学校制度が敷かれてから、「漢字ハングル混じり文」は一般の人々の間にまで広く普及したのです(識字率は1910年6%→1943年22%と上昇)。しかし韓国は、建国するとすぐに漢字廃止・ハングル専用政策を打ち出し、朴正熙政権時代に大きく推進されて現在に至っています。

表音文字
 例えば、「はんぐるは ひょうおんもじですから ぶんしょうを ぜんぶかなでかくようなもの。どうおんいぎごもあるし」、読むのはけっこう難。1970年の春から小学校では漢字が廃止されたようです。
 著者によると、韓国語の語彙のうち一般文書の70%、公文書の90%は漢字語だそうです。その漢字語を漢字を連想せずに音だけで理解するということになります。でどうなったかというと、漢字語をやさしい言葉に置き換えるようになり、抽象概念を扱う学術用語や文学的表現の漢語などの80%が失われつつあるといいます。もうひとつの弊害が読書離れ。現代の韓国国民一人当たりの読書量は年0.9冊だそうです。著者は、知識の荒廃が進んでいると嘆きます。日本も似たようなものかも知れませんが、漢語の80%が失われつつあるというのは深刻です。

1970年代以前に発行された人文・社会科学の大部分の専門書は、国(ハングル)漢混用で書かれている。高校までの十二年間、大学までの十六年間の教育を受けて社会に出る人々の大部分は、一般教養紙の記事や題目を読めない。こんなことは、世界のどこの国にあり得るだろうか。ましてや、博士論文を書く大学院生が、20年前に出された 指導教授の論文を漢字のせいで理解できないとは(1999朝鮮日報、ソウル大教授の談話)

 たとえば「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」とか「国破山河在 城春草木深」みたいな古典が彼の国にもあると思うのですが、漢字が読めないと折角の古典、文学も宝の持ち腐れ?、古文の授業はあるんでしょうか?、漢文の授業は無いでしょうね。漢字が読める、架ける世代とそうでない世代で、文化の伝承は滞っているというのです。

 「竪穴式石室発掘」を「人を殺してその血を墓の中に入れること」と理解した話(前掲 朝鮮日報)を例に、漢字を廃止した弊害を説きます。1999年に漢字復活が論議されたらしいですが復活はボツ。漢字には「日帝の残滓」があるというのがその主な理由だそうです。じゃぁ、ムンジェインさんは何故文在寅という漢字名を持っているんでしょうか?。

抽象化
 (漢字を廃止して)そのため韓国人一般は、いまでは日常的な肌触りから離れた言葉を用いて議論を深めていくことがまったく苦手な国民となってしまっている。日本の朝鮮統治の問題について、およそ日常的な感性から抜け出た議論をすることができない韓国人がほとんどなのも、だいたいはそのためである。「日帝問題」となると、韓国人はインテリだろうと庶民だろうときまって感情論となり、世界的な水準から歴史をみつめた冷静な議論になることがまずない。
それは通常、反日教育や固陋な小中華主義のせいだとされてきた。しかし、そればかりではない。そもそも現代韓国は、漢字を廃止したため、世界を論ずるにふさわしい抽象度をもって議論を展開するための言語的なベースが、ほとんど崩壊状態にあるのである。

なるほど。抽象を外れ日常的な感性では論議は深まりません。
 例えばこの「抽象」、日本人であれば抽象という熟語を思い浮かべ「抽」と「象」の漢字の意味を含めた概念として理解します。「物または表象の或る側面・性質を抽(ぬ)き離して把握する心的作用」とまでは理解しなくともです。抽象という語は当然ハングルにもあるわけですから、韓国人はこのハングルは如何なるイメージで捉えているのでしょう。英語のabstractionを英英辞書でひくイメージでしょうか。

 著者は、外国語として日本語を学んだ経験から、日本語の漢字を分析します。漢字の読みには音と訓があります。音は呉音、漢音で、訓は日本独自の音=和語です。日本語の漢字は音と訓で成り立っており、例えば「傍若無人」は「傍に人無きが若く」と漢音の後ろ(中)に和語=大和ことばが潜んでいると著者はいいます。この和語使った漢字の理解が、日本人の言語を支えているというのです。漢詩という外国語も、返り点、送り仮名を付けて和語として理解することが可能となります、これは素晴らしいことだと言います。改めて言われれば、なるほど。

 著者は漢字復活論者です。漢字復活は、日本の訓読みのように漢字に韓国固有語を訓として付けて復活すべきだと主張します。それこそ日帝の残滓でしょう。漢字が復活して韓国人が抽象を振りかざせば、手強いでしょうね。日本は、漢字を捨てなくてよかった。
 Ⅰが主題ですかから、Ⅱ、Ⅲは斜め読みでいいでしょう。

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コメント 2

Lee

漢字が抽象概念を表し客観的な思考を可能にする。言語がもつ精神的な役割の分析が非常に興味深かったです。日本は言語間のバランスをとることで発展に成功したともいえますね。
by Lee (2020-08-08 12:03) 

べっちゃん

漢字の音と訓の話は目からウロコでした。
by べっちゃん (2020-08-08 19:50) 

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