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呉善花 侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (1) (2014文春新書) [日記 (2020)]

侮日論 「韓国人」はなぜ日本を憎むのか (文春新書)  呉善花氏の著作は何冊か読みましたがどれも面白いです。本書は、氏の「反日韓国論の集大成」だそうです。

 第一章  言論弾圧国家としての韓国
 第二章  反日主義はどのように変遷してきたか
 第三章  侮日観の伝統と華夷秩序の世界観
 第四章 「血の一体性」の意識に基づく民族感情
 第五章 植民地化を絶対的な悪とする考えは間違っている
 第六章 私はどのようにして反日から親日へ変わったのか

侮日観の伝統と華夷秩序の世界観
 司馬遼太郎は、『壱岐・対馬の道(街道をゆく13)』で、江戸時代の朝鮮通信使・申維翰の著者『海游録』を引用して日韓関係の難しさを書いています。対馬藩の応接係で儒者の雨森芳洲は申維翰と交誼を結び、朝鮮は日本人をなぜ「倭」と蔑むのかと問います。申維翰は秀吉の朝鮮征伐など日本民族の侵略的性癖を蔑んで倭というのだと答えます。また申維翰は、雨森との交誼にも関わらず、『海游録』で彼を罵倒し親しい関係を否定しています。日本人と親しい間柄だと分かれば親日と避難されるためです。

 朝鮮と日本の関係は、時に個人レベルでの友情も成立させ難いほどに難しい。そのことがすでに十八世紀初頭から存在していたのである。

と嘆息します(申維翰と雨森芳洲のエピソードは本書にもあります)。18世紀の朝鮮には、既に日本人への侮蔑と傲りがあったようです。朝鮮通信使・申維翰にあったのは、「反日」ではなく本書で言う「侮日」です。その「侮日」が1945年の解放以降「反日」のイデオロギーに変質していった、というのが本書の主題です。

 「侮日」は、朝鮮の伝統的な「小中華思想」と、日本の「朝鮮侵略の歴史」に根ざしたものだといいます。朝鮮は、伝統的に中国に冊封体制をとり中国を宗主国とした国です。強大な中国と国境を接する半島国家ですから仕方がありませんが、李氏朝鮮は中国に卑屈なまでに臣下の礼をとり、儒教を取り入れ、国そのものを中華風に仕立てることで強大な中国の侵略から身を護ってきました。寄らば大樹の陰、中国の傘の下の安全保障、「事大主義です」。著者は李朝が事大主義政策をとったのは、小国としてはやむを得ない選択だったとしつつ、上下関係を重んじ礼を尊ぶ儒教思想に裏打ちされた事大主義が価値観として定着し、国家に覇気が失われたことを批判します。

 事大主義よって華夷秩序に組み入れられた朝鮮は、

やがて自らは中国と文化的同質性をもった「小中華」である、という自負をもつようになっていきました。ところが李朝は、蔑視すべき夷族である女真族が明を滅ぼし、満州族が中国に清王朝を開くに至って、大きな矛盾にぶつかることになります。つまり、現実には清国に事大しながら、心のなかでは清国を夷族として蔑視する、という矛盾です。

この葛藤の鉾先が向かった先が倭?。清をあからさまには侮蔑出来ないが、日本なら小中華の自負を以って侮蔑しても問題ないわけです。

中華主義では、中華から文化的な距離があればあるほど野蛮とみなされましたから、中華主義を奉じた朝鮮半島諸国にとっては、日本は明らかに自らよりも劣った野蛮な夷族の地と認識されました。

・・・自らはより中華に近く、隣国の日本はより遠い。この日本との文化的・地理的な距離の差異によって、朝鮮半島諸国は、伝統的に日本に対する優位性の意識を保持し、したがって日本蔑視の観点をもつようになったのです。

中国との距離で文化の程度を測られてはたまりませんが、これが「華夷秩序」というものだそうです。この場合の「華」とは清ではなく滅びた明のことでしょう。

中国が夷狄化した以上、正統的な中華主義を奉ずるのは、もはや我が国しかないという認識に立ち、「大中華」なき世界で唯一の「中華」であることを、大きな誇りとするようになっていったのです。これが李朝特有の小中華主義思想です

 朝鮮は世界の中心だというわけです。日本など文化の果てる辺境の夷狄、さらに、日本は昔から朝鮮を侵略した野蛮国。
 ただ分からないのは、儒教の、長幼の序や身分秩序に伴う礼は朝鮮の庶民にもあったと思われますが、「小中華主義」や「華夷秩序」はもともと為政者、知識人の思想だったと思うのですが。申維翰は李朝の高級官僚、三一運動の主体はキリスト教、天道教徒です。一般庶民の対日感情はどんなものだったのか?。日韓併合によって朝鮮の近代化は進み、農業生産高の向上や産業構造の変化によって庶民の暮らし向きは改善されたとするなら、「侮日」「反日」は誰かが意図したプロパガンダによるものだと思うのですが。

侵略の歴史
 いわゆる日本の「朝鮮侵略」と言われるものには、神功皇后の三韓征伐、倭・高句麗戦争(404)、任那の日本府、倭寇、文禄・慶長の役(壬辰倭乱)、征韓論、日韓併合などがあるといいます。
 日本の軍隊が朝鮮半島に行くわけですから、侵略と言われても仕方がありませんが、実態は朝鮮半島を回廊として侵略されるという恐怖の裏返しだったのではないかと思います。李朝は内乱を自力で解決できず、いつ欧米列強に支配されてもおかしくない状態であり、半島に列強が(特にロシアが)進出すれば日本の安全は脅かされます。明治政府は、安全保障の問題として李朝に開国と富国強兵を迫ったのが「征韓論」です。
 「日韓併合」も、植民地化というより、朝鮮半島を南下するロシアに危機感を募らせた結果と考えられます。高宋がロシアと接近し、ロシア公使館に逃げ込む一連の行動が日本の危機感を煽ったわけです。

 「文禄・慶長の役」では多くの文化財が灰燼となっていますが(唐辛子が伝えられキムチが作られるようになった!)、日韓併合でどんな「被害」があったかは?です。この一連の歴史をもって、日本は侵略的で野蛮な国だとなります。これに小中華思想が加わったものが「反日」だといいます。韓国では、1875年の江華島事件~1945年の開放に至る70年間を、日本に対する反侵略戦争の歴史と位置づけているそうです。反日には70年の「恨」が込められていることになります。従って、反日の

その真の目的は「植民地化をもたらした日本民族の侵略的で野蛮な資質」を「日本人に自覚させ直させる」ことにあります。

だそうです。70年の反日の歴史が不買運動に繋がっている?。
 →続きます。

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