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赤坂憲雄 ナウシカ考 風の谷の黙示録(2019岩波書店) ④ [日記 (2021)]

ナウシカ考 風の谷の黙示録続きです。
シュワの墓所
 ナウシカは蟲使いを伴って墓所に向かい、巨神兵オーマの火を使って墓の扉を開けます。墓所から現れたのは墓の主に使える神官たち(ヒドラ)。神官は墓の主が記す文書を解読し、外部(土鬼の神聖皇帝)に伝えるのが仕事。墓の主とはこの文字、生きて脈動する「文字」だったのです。(余談ですが、ジェフ・ヴァンダミア のSF『全滅領域』にもこの生きた文字が登場します)
 墓所の主 主に仕えその言葉を伝える神官(教団)→神が選んだ神聖皇帝という支配という構図は、神→キリスト教会→皇帝という構図そのもの。生きた文字とは聖書に相当します。

 著者はレヴィ=ストロースを援用し、文字とは、搾取と支配の源泉だといいます。

文字が権力を分泌する、文字による歴史叙述が、王権の正統性を保証する拠りどころとなる。そんな文字と歴史のよじれた関係が浮き彫りになる。それが、ほかならぬシュワの王都の中枢の、死のにおい垂れこめる墓所に秘め隠されていたのだ。
・・・かれらは、いつだって、誇らしげに、わが身に顕われる文字を読み、その秘められた意味を探りほどき、その技を伝えることを、それゆえに、自発的な隷従を要求する。そうして聖なる文字は、解放の時の訪れを約束しながら、ひそかに搾取と支配と虚偽を社会の隅々にまで導き入れるにちがいない。マンガ版『風の谷のナウシカ』の射程は、十分にそこに届いていたと、あらためて思う。p223

 著者によると、ナウシカと墓所の主との対話は、三幕から成り立っているといいます。この長い物語のクライマックスです。

【第一幕】
墓所の主は言います、
 永い浄化の時にそなた達はいる
 やがて腐海の尽きる日が来るであろう、青き清浄の地がよみがえるのだ
 浄化のための大いなる苦しみを罪への償いとして、やがて再建への輝かしいが来よう
 子等よ 私達はこの墓を絶頂と混乱の時代に英知を集めて建設した、
 その朝が来た時、世界の再建に力になるようにと
 わが身体に現われる文字を読みその技を伝えるがよい すべての文字が現われた時その日が来る、苦しみがおわる日が…(コミック7巻-195)

ナウシカは答えます、
 私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は 私達のものだ。生命は生命の力で生きている
 その朝が来るなら 私達はその朝に向かって生きよう
 私達は血を吐きつつくり返しくり返しその朝をこえて飛ぶ鳥だ!
 生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も 草木も人間も 変わっていくだろう、腐海も共に生きるだろう
 お前は変われない、組みこまれた予定があるだけだ
 私達はお前を必要としない(7-198)

オマエの支配は受けないオレたちはオレたちでやっていくと、被創物(人間)が生命を弄んだ(遺伝子操作をした)創造主(神)に反旗を翻します。

【第二幕】
墓所の主:清浄な世界が回復した時 汚染に適応した人間を元にもどす技術もここに記されてある
 交代はゆるやかに行われるはずだ 永い浄化の時はすぎ去り
 人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう
 私達の知性も技術も役目をおえて、人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう
ナウシカ:神というわけだ お前は千年の昔 (旧人類に)沢山つくられた神の中のひとつなんだ
 そして 千年の間に肉腫と汚物だらけになってしまった
 絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない
 その人達はなぜ気づかなかったのだろう 清浄と汚濁こそ生命だということに
 苦しみや悲劇やおろかさは 清浄な世界でもなくなりはしない それは人間の一部だから……
 だからこそ 苦界にあっても 喜びやかがやきもまたある(7-199)

 ナウシカたち新人類は、汚染された地球で生きらるように改造されています。浄化された地球では生きられず、再改造する必要があります。汚染に適応した人間を元にもどすとはこのことを指します。人間は「火の七日間」によって地球を滅ぼしました。人間の愚かさ知る墓所の主は、人間をおだやかな種族として再生しようとします。著者の言葉を借りれば、これは「人類去勢計画」。去勢された人間には戻らない!清浄と汚濁にまみれてこそ人間だ、命だ!とナウシカは言うのです。

【第三幕】
墓所の主:おまえにはみだらな闇のにおいがする・・・わたしは暗黒の中の唯一残された光だ
 娘よ、お前は再生への努力を放棄して人類を亡びるにまかせるというのか?
ナウシカ:その問は滑稽だ、私達は腐海と共に生きて来たのだ 滅びは私達の暮らしの一部になっている
墓所の主:生まれる子はますます少なく石化の業病からも 逃れられぬお前達に未来はない
 人類はわたしなしには亡びる、お前達はその朝を こえることはできない
ナウシカ:それはこの星がきめること…
墓所の主虚無だ! それは虚無だ! お前は危険な闇だ生命は光だ!
ナウシカちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!、すべては闇から生まれ闇に帰る、
 お前達も闇に帰るが良い!
(7-202)

著者は、「二元論をめぐる戦い」が演じられているといいます。まるでドフトエフスキーのような対話です。

墓所の主は、世界をあきらかな境界線で分かち隔てて、みずからを光や希望の側に置き、自身の提示する未来へのプログラムに自発的に隷従することをもとめる。
そうした世界を分断する境界のラインを、ナウシカは認めない。みずからの内なる闇や穢れや虚無を、生存の避けがたい条件として認めるからこそ、ささやかな生への希望を耕し、受け入れることを学んでゆく。
二元論の廃棄こそがくりかえし試みられている。どこかに絶対的な中心や神の座を設定したうえで、組み立てられる透明な二元論のなかに、ほかならぬ虚無や闇は潜んでいる(p272)

墓所の主は「おまえは希望の敵だ!」とナウシカの自我を破壊しようとし、ナウシカは「オマエは闇に帰れ!」と巨神兵オーマに命じ創造主を闇に葬ります。長い物語は幕を閉じます。
 ナウシカと巨神兵、『ナウシカ』と黙示録など考えることは未だいろいろありますが、宮崎駿にならって「語り残した事は多いがひとまずここで、物語を終ることにする」、します。

赤坂憲雄 ナウシカ考 風の谷の黙示録 ①   (2019岩波書店)

タグ:読書
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