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浅田次郎 流人道中記 ② (2020中央公論新社) [日記 (2021)]

流人道中記(上) (単行本) 流人道中記(下) (単行本)続きです。
 有壁宿の「宿村送り」は浅田次郎好みの噺です。一関に近い有壁の木賃宿で女が病に倒れます。女は盛岡の北にある沼宮内の農婦。亭主の菩提を弔う伊勢詣りの帰り、有壁まで来て倒れ、「故郷の水を飲んで死にたい」と言ったため「宿村送り」騒動が持ち上がります。

 「宿村送り」とは初めて知りました。「生類憐みの令」で有名な五代将軍綱吉の頃に定められ政令らしく、

旅人が必ず所持する往来手形には、旅の目的や住所のほかに、「右の者もし病死等つかまつり候はば、その所の作法を以て取り計らい下されたく」というような文言が付記されている。
しかし、病を得た旅人が故郷に帰りたいと願ったなら、沿道の宿駅はその懸命の意思を叶えてやらねばならなかった。(下巻p109)

 旅が困難となった旅行者を行政が救うというのです。「故郷の水を飲んで死にたい」と言えば、道中手形を持った旅人は「お上」の救済が期待でき、病気の看護や親類縁者への連絡、病死の場合も埋葬も行政の手で処理されたといいます。江戸時代というものが如何に凄い時代だったかが分かります。

 農婦・お菊が「故郷の水を飲んで死にたい」と言ったため、有壁を管轄する一関の代官は医者を呼びお菊を籠に乗せ、故郷の沼宮内に送ります。藩境では代官自ら南部藩に引き継ぎ、引き継いだ代官も生きて故郷に送るため心をくだきます。実はこれが仮病、夫を亡くし家族の無いお菊は飢饉が頻発する東北の村では厄介者、それを自覚するお菊は旅先で死ぬためにお伊勢参りをしたのですが、善根宿に助けら伊勢参りを済ませ一関まで帰り着き路銀が尽きたため「宿村送り」に頼ったわけです。頼ったものの、お菊は故郷の村に帰りたいのかというと、

「冷やっけえ夏でがんすな。花巻がこんたな陽気だば、おらが里のあだりは山背にくるまれてるだべ」
次郎兵衛(代官)は答えなかった。北の海から流れてくる山背の寒気は、夏の陽射しを遮って冷害をもたらす。御領内の米どころであるこのあたりですら、今年の実入りが悪いことは一目瞭然だった。
飢饉がくる。そうとわかっている生まれ故郷に、死に損ねてたどり着くお菊の胸中はいかばかりであろう。村人たちにとっては、天下の御誕(宿村送り)も大迷惑にちがいなかった。食い扶持がひとり増えるだけだ。(下巻p109)

お菊は「おらを殺してけろ」と言いいます。

 一関の代官も南部藩の代官も、そして玄蕃も仮病と分かってもお菊をいたわり「宿村送り」をします。玄蕃は、産みの母親の名がお菊であったことを乙次郎に告げ、過去を語りだします。不義密通の経緯となぜ切腹を拒んだのか?、3千石の御殿様がなぜ下々の事情、人情の機微通じているのか?の謎が明らかになります。『壬生義士伝』の重厚さはありませんが、一気に読ませませる「語り」は浅田次郎ならではです。

タグ:読書
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