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村井章介 中世倭人伝 (1) (1993岩波新書) [日記 (2021)]

中世倭人伝 (岩波新書)境界.jpg
マージナル(境界)
 李氏朝鮮の公式記録『朝鮮王朝実録』に登場する、「倭人」「倭賊」「倭奴」「倭」などと呼ばれる人々の話です。「倭」ですから日本、日本人のことです。「倭」とは「魏志倭人伝」だけの世界ではなく14世紀~16世紀の朝鮮半島南部、対馬・壱岐、済州島、西北九州、中国江南の沿海地方などをふくむ海域での日本のアイコンだった様です。教科書で習う「倭寇」です。

「倭志」「倭人」「倭語」「医服」などというばあいの「倭」は、けっして「日本」と等置できる語ではない。民族的には朝鮮人であっても、倭寇によって対馬などに連行され、ある期間をそこでくらし、通交者として朝鮮に渡った人は、倭人とよばれている。海賊の標識とされた
衣服・倭語は、この海域に生きる人々の共通のいでたち、共通の言語であって、「日本」の服装や言語とまったくおなじではなかった。こうした人間集団のなかに、民族的な意味での日本人、朝鮮人、中国人がみずからを投じた(あるいはむりやり引きこまれた)とき、かれらが身におびる特徴は、なかば日本、なかば朝鮮、なかば中国といったあいまいな(マージナルな)ものとなる。こうした境界性をおびた人間類型<マージナル・マン>とよぶ。

  「日朝関係史」「日中関係史」などは、ふたつの国家が結ぶ関係を軸として研究されます。つまり国家という<点>と<点>とをつなぐ<線>として認識されてきたわけです。本書はそうした「点と線」から踏み込んで、倭寇が跋扈した14世紀~16世紀の朝鮮半島~対馬・壱岐~、西北九州~中国江南の沿海地方の海域をいずれの国にも属さないマージナル<面><場>として捉えます。その場で、国境や民族を超えて存在した倭寇と言われる一群の人々の話です。倭寇とは倭人でもなく朝鮮人でも中国人でもない、国家、民族からはみ出た疎外されたマージナル・マンとして捉えます。

倭寇
 倭寇は、フンドシ一丁刀をかついで東シナ海を荒らし回り、明の滅亡を早めたともいわれる「海賊」アウトローです。倭寇は13世紀始めに文献に登場しますが、14~15世紀に倭寇の被害が拡大するのは、元(モンゴル帝国)滅亡(1368)、高麗滅亡(1393=李朝成立)など東アジアの政情不安が影響していると考えられます。日本も鎌倉幕府(1333滅亡)→南北朝→室町幕府(1338成立)という政治の混乱期で、海賊を取り締まる余裕などなかった時代です。その権力の空白に乗じるようにアウトロー達が徒党を組んだ、それが倭寇です。

 倭寇は、多数の船と騎兵を擁する「倭寇集団」を組み、それらが各地を寇掠してゆくという状況だったようです。その活動回数が最も多かった1377年は、咸鏡道と江原道をのぞく朝鮮半島の全地域が被害にあい、高麗の首都開京まで迫っています。『朝鮮王朝実録』には、1379年に騎馬七百・歩兵二千という大規模な倭寇が、慶尚南道の晋州を襲った記録が記されています。騎馬七百・歩兵二千はもはや賊を超えた軍団です。
 倭寇の略奪は米や財物だけではなく人にも及び、1429年に日本を訪れた朝鮮通信使は、船で瀬戸内海を通過したとき、港に寄るごとに、枷や鎖でつながれた半島から拐われ人々が奴婢として使役されている様子を報告しています。相当多数の朝鮮人が倭寇によって日本に連行され、奴隷として使役され遠い国に転売されていたと言います。
 倭の暴虐ここ極まるというものですが、実はそう単純な話ではなかったようです。(続きます

*** 『中世倭人伝』目次 ***
「魏志倭人伝」によるプロローグ 
Ⅰ 国境をまたぐ地域 1)倭寇と朝鮮 2)地域をつくるもの 3)境界と国家
Ⅱ「三浦」―異国のなかの中世 1)都市「三浦」の形成 2)周辺地域への影響 3)三浦の乱
Ⅲ 密貿易の構造 1)三浦の乱後の「日本国使臣」 2)倭物にむらがる人々 3)〈環シナ海地域〉の成熟
中華の崩壊によるエピローグ

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