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丸谷才一 輝く日の宮 ③(2003講談社) [日記 (2022)]

輝く日の宮 (講談社文庫)  『輝く日の宮 』の期間の空いた続きです。先日読んだ『王朝日記の魅力』(蜻蛉日記)に、源氏物語は一種の政治小説だという記述があります。光源氏のモデルは、藤原氏から謀反の疑いをかけられ太宰府へ追いやられた源高明だというのが理由です。作者の紫式部は道長の娘・彰子の女房であり、道長の庇護を受けていたわけですから奇妙な話。
 源氏物語には、「桐壺」と「帚木」の間に「輝く日の宮」と呼ばれる帖があったという説があるそうです。そのまぼろしの一帖が何らかの理由で失われた、消し去られた、その謎を解くミステリーです。藤原定家が「輝く日の宮」の存在を記しており、けっこう有名な話だそうです。『紫式部日記』の成立と式部、道長の関係を書いた小説を再読してみました。失われた帖「輝く日の宮」の謎を追うミステリーで、面白いです。

奥の細道
 源氏物語ではなくなぜ芭蕉なのかというと、ヒロイン杉安佐子のプロファイルで、これが小説の導入部です。安佐子は女子大の国文学科講師、バツイチで何人かの男と関係を結びますから、和泉式部がモデルかも知れません。デートは、男が安佐子のマンションに通う「妻問婚」。男が女の下に通う平安時代の恋を背景に(後朝の贈答歌はありませんが)、失われた帖「輝く日の宮」の謎解きが進行するという構成です。

 「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」という話です。小説ですから、ヒロイン・杉安佐子の学会発表というかたちで進行します。芭蕉は、「西行500回忌」にあたる1689年、東北各地に点在する歌枕や古跡を訪ねることを目的に『奥の細道』の旅に出ます。安佐子は、この通説に真っ向から反論します。1689年は、西行と同じく源義経の500回忌にあたり、芭蕉は義経回向のために奥州の義経の事蹟を訪ね『奥の細道』の旅をしたのではないかという仮説を提示します(芭蕉=隠密説もあります)。芭蕉は、遺言によって義仲寺の木曽義仲の隣に葬られているように「平家物語」のファン。旅の目的のひとつが平泉ですから『奥の細道』の旅が義経追慕の旅だったとしても不思議はありません。有名な「五月雨や降りのこしてや光堂」の初案は、曽良によると「五月雨や年々降りて五百たび」だそうです。平泉・金色堂、五百年とくれば義経です。

 『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり」は、

(芭蕉は)空間をたどることで時間を実感しようと思い立ったのです。つまり時間の空間化とでも言うのでしょうか。行く先は、遥かな過去のある、悠遠の昔の名残りをとどめている、つまりたっぷりと時間をたたえている・・・縄文以前からの時間をたたえている辺境が選ばれました。義経も西行も行ったし・・・人生と歴史双方の膨大な時間をいわば空間に翻訳し、身体的に対応し経験し認識すること、それがあの大旅行でした。

タイムトラベルです。この『輝く日の宮』もまたタイムトラベルなんだ、と作者は言いたいわけです。「御霊信仰」や為永春水の人情本が出てきたり、春水と徳田秋声の類似性だの、作者の蘊蓄が披露されます。

 学会の講評で、安佐子の「奥の細道=義経500回忌旅行 説」は学問的裏付けに乏しい、小説にでもすれば、と揶揄されます。作者が「輝く日の宮」実在説を小説のかたちで書く謂われ、言い訳でもあるわけです。
 何時になったら「源氏物語」は登場するんだ!。続きます

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