SSブログ

丸谷才一 輝く日の宮 ⑦(2003講談社) [日記 (2022)]

輝く日の宮 (講談社文庫)
「輝く日の宮」はなぜ消えたのか?
 道長は、為時が献上した『源氏』を彰子に見せ、女房達はこれを争って読むようになります。おそらく女房のひとりが朗読し、彰子以下が聴くというかたちで広まり、写本も行われたことでしょう。
 彰子の女房のひ一人して側で朗読を聴く紫式部は、「桐壷」が終わり続いて「若紫」が朗読されるのを聴き「輝く日の宮」が消えていることに愕然とします、小説ではそういうことになっています。1007年のことだと作者は言います。
 『源氏』は評判がよく一条天皇まで夢中になり、道長は紫式部に貴重品の紙を渡し書き継がれます。

ときどきは宿下りして書くこともあつて、寛弘五年の末には(小説は)もうとうに光源氏が明石から都に帰つて来てゐる。それを道長は一巻づつ中宮に奉り、中宮は帝に差上げ……やがて写本が出まはる。ちようど連載小説のやうな仕組。

 「連載小説」とは面白いです。1008年5月末か6月はじめ、道長は中宮彰子の前に『源氏物語』があるのを見て、その席に居た紫式部をからかい和歌を詠みます。 7月に中宮・彰子は懐妊し、土御門邸(道長の邸)へ戻り。紫式部も随行。この頃、道長と紫式部の関係が生じます。

道長の歌は、  すきものと 名にしたてれば 見る人の をらですぐるは あらじとぞ思ふ
紫式部の返歌は、人にまだ 折られぬものを 誰かこの すきものぞとは 口ならしけむ

 道長は、梅の実が「酸きもの」と「好きもの」を掛けて、誰かが「手折ら」ずはにいないだろう、と詠みます。色好みの『源氏』を描くくらいだから、あんたも「好きもの」だろうと誘惑し、紫式部は、まだ人に手折られたことなどありませんのに、誰がその実を酸っぱいと言いふらしたのでしょう、と惚けます。この後、道長は紫式部の局の戸を叩き、水鶏(くいな)の歌の贈答と続くわけです。『紫式部日記』だと思います。
 道長と紫式部の関係は、

 女郎花(おみなえし) さかりの色を見るからに 露の分きける 身こそ知らるれ
(今を盛りと咲く女郎花の美しさを見ると、朝露の恵みにあづかれない身のあはれさが思ひ知らされます)
と、今朝まで道長に添臥ししてゐた若い女をねたむ(ねたむふりをする……ふりをして男への愛を示す)歌を詠むと、 「おや、早いね」と微笑して、硯を 所望 し、
 白露は 分きてもおかじ 女郎花 こころからにや 色の染むらん
(露が分け隔てなどするものですか。女郎花は心のありやう一つで色つぽくなりますよ)
と返歌を詠んだ。上手に言ひ返し、やきもちを慎しむほうがきれいに見えますよとユーモアに富む言ひ方でたしなめてゐる。

道長42歳、紫式部30~34歳、見事な大人の相聞歌です。そうした関係ですから、紫式部は、寝物語で道長に「輝く日の宮」が何故消えたかを問うたはずです、「あなたも天皇の妻を寝取ったのか?」くらいは言ったかもしれない。
 紫式部と道長の架空の会話となります。道長は「輝く日の宮」を消した理由を答えます、

物語がはじまつていきなり、あんな大変な事柄を書くのは、初心の作者には無理なことですよ。・・・あれぢや読者だつて困つてしまふ。どうしたらいいかと幾月も思案したあげく、あの妙案が浮んだ。取つてしまふといふ手。・・・古物語の一巻が散逸してゐるのはよくある。

道長には深謀遠慮があります、

すべてすぐれた典籍が 崇められ、讃へられつづけるためには、大きく謎をしつらへて 世々 の学者たちをいつまでも騒がせなければなりません。・・・この国のつづく限り、人々は「輝く日の宮」の巻の不思議を解かうと努めることでせう。その力くらべと骨折りが、この物語にいつそう陰翳を与へ、作の構へを重々しくし、姿に風格を加へるはず。

『源氏』のような物語には《謎》がある方がふさわしい。後世の人々はその謎解きをあれこれ考え、それは『源氏』という物語に陰影を加えるというのです。丸谷才一の推理ですが、読んでる方は「騙された」?。「輝く日の宮」が存在し消されたとすれば、犯人は『源氏』を世に出した道長というのが最も妥当な推理でしょう。本書の主人公は紫式部ではなく道長です。

「輝く日の宮」の再現
 「輝く日の宮」抜きで完結はしたものの、紫式部はやはりその巻を書きたいと願つてゐたにちがひない。

と、丸谷才一は大胆に「輝く日の宮」の再現を試みます。「輝く日の宮」には朝顔、六条御息所との馴れ初めが記されていた筈ですが、本命は藤壺との最初の関係。当然、2回目の逢う瀬に協力した藤壺の侍女・王命婦が初回もセッティングします。

あわてて傍らをおさぐりになると、そこには藤壺の女御があやめのやうに横たはり、すすり泣きしていらつしやる。

いきなり実事(と作者は表現します)が終わった後の情景です。後朝の歌まで創作します。

あかときの 枕にくやむ 泪かな 逢ふを限りと など誓ひてし 
(共寝のあとの暁、悔む泪が枕を濡らします、一度だけお逢ひすればもうそれでいいなどとどうして誓つたのかといふ後悔のせいで)とお詠みになると、消え入るやうなお声で、 
限りぞと 思ひたえなむ 逢ひ見てし 夢のなごりの 身をせむる闇 
(これでおしまひと思ひ切ることにしませう、共寝した夢心地のあとの 呵責 の闇のなかで)

丸谷センセイ、完全にノッてます。

若者(源氏)は女に導かれて、長くつづく濃い暗闇のなかを、そろそろと一足づつ歩みを運び、未来といふあや(危)ふくてあやしい、心いさみするもののなかへはいつてゆく。

王命婦の手引きで、源氏が藤壷の房に向かうところでEND。

 失われた「輝く日の宮」の謎解きミステリ。『源氏』裏には藤原道長がいたのです。道長は、栄華を極めた摂関政治の立役者ですが、『源氏物語』を世に出したこの1点において(編集者、素材提供者であったかどうかは別にして)、日本史上第一級の人物といえます。面白かったので、『紫式部日記』も読んでみます。(この項オシマイ)

nice!(5)  コメント(0) 

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。